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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
前回の話はこちら



今回ネタにするのは

黒田官兵衛 天下一の軍師(講談社青い鳥文庫)

評価ポイントは前回と同じです その方が比較しやすいと思うので

ではまいる


(1)官兵衛の幼少期
14歳でお母さん(明石則実女)を亡くし、一時期和歌の世界に逃避した物の、教育を担当していた僧侶・円満房のいさめによって立ち直る…と言うエピソードは一番最初に書かれておりました。そして…
(2)栗山善助との出会い
栗山善助ともこの円満房の寺で逢ったことになってた(爆)※ちなみに善助は「円満房の寺に手習いに来ていた村の子」ということになってた まあ善助の幼少期は不詳なので、なんでもありだなヾ(^^;)
それにしても前回検証でも気になっていたのですが、官兵衛の母・明石則実女(この本では「いわ」と名前がついてるが、史料裏付けがあるのか不明)は和歌が得意という描写が必ずあるのですが、ここまで書かれていると言うことは明石則実女の和歌というのはそこそこ有名だったんでしょうか?でも官兵衛の和歌がうまかったという話は余り聞かねーなヾ(^^;)
(3)小寺政職の近習に
これも触れられていたけれど、最初から政職は「名門出身を振りかざす判断能力0のバカ殿」として描かれていました。小寺って‥そりゃ黒田と比べたら上かも知れないけど、そんなに名門かなあ(→暴言)
なおこの本では、この後天下の趨勢を知りたいと願った官兵衛(ヲイヲイ)は政職の許しを得て京に上洛、ここで南蛮寺に出入りして和田惟政や高山右近と知り合い、切支丹の教えに触れた…としています。この辺はこの作者の創作ではないかと思われます。
(4)櫛橋光との結婚
当然書かれてました。1ページで終了したけど_(。_゜)/
(5)黒田長政誕生
これも書かれていました。3行で終了したけど⊂(。Д。⊂⌒`つ ところでやはり次男・熊之助についてはまったく書かれず。熊之助が不憫じゃ…(´;ω;`)
(6)青山・土器山の戦い
書いてはいたけれど、青山という地名も土器山という地名も全く登場せず、最初読んだときには「この筆者、こんな大事なこと無視したの?」と勘違いしてしまいました。勘違いしたのも無理はなく、この戦いで勝利した物の母利一族を始めとする多くの家臣を失った…と言う大事なことが全く書かれず、「官兵衛の知謀で楽勝だった」といわんばかりの書きっぷり。をいをい…
(7)織田信長との遭遇
その後、官兵衛は小寺家の家中で一人だけ毛利家ではなく織田家に着くことを主張、その意見が通ったために織田信長の元に派遣されます…と言う感じでこの本でも書かれていました。ただしこの本では小寺政職のバカ殿ぶりはすでに全開で(なに、何かまずくなったら官兵衛一人切り捨てればよい)と政職に言わせてます。またこの本でも「官兵衛は信長の前で播磨国の情勢を詳しく分析して説明した」とあります。
しかしこの本の特徴は、官兵衛は元服直後の時点で京に上洛し((2)にて記述)「織田信長は天下を取る男」と注目していることです…出来すぎてません?ヾ(^^;)
また、この本でも「この後帰国した官兵衛は信長の意向を受けて、毛利方についていた播磨の武将達を織田側にした」としていますが、事実ではありません。重ね重ね念のため。
なお、この本でも、この時に官兵衛は初めて豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)と知りあったとしていました。但し荒木村重には信長に会いに行く途中で高山右近の仲介であったことにしています。この辺全く大河と同じです。
(8)英賀合戦
青山の戦い同様、少人数で大軍を破ったという官兵衛の代表的な合戦の一つです。この本では青山・土器山の戦いの記述がかなり酷かったのでこっちはどうか心配だったのですが、8ページも割いて詳述してました。まあ史実でも官兵衛側の被害が少なくて圧勝だったんで書きやすかったんでしょう。
(9)松寿丸(長政)人質に
これも大事な話なので当然書いていたのですが、なぜ家臣の官兵衛の息子が人質になったのか?という理由付けは「政職は本心では織田信長に着いていなかった上に政職の息子が病弱だったから」という2段がまえになってました。
(10)秀吉の播磨攻め
この本では佐用城、上月城の戦いなど割と詳述していましたが、一番の注目点はあの竹中半兵衛との出会いをこの時点としていること。多分今まで紹介した5冊の中で一番遅い(^^;)
(11)有岡城幽閉
黒田官兵衛の生涯で一番重大事件なので、当然書いてました。又、この時牢屋の窓から垂れ下がる藤を見て感動した…と言うエピソードも書いてました。この辺の話を切支丹がらみで進めている(つまりこの事件が官兵衛改宗のきっかけになった)としているのはこの本の特徴かと。
(12)鳥取城の干攻め
これについては官兵衛の献策として詳しく記述してたんですが、三木城の干殺し含めて「(干攻めは)血で血を洗う信長の戦いとは違う、秀吉の味方の損害も少なく的の命も無駄に取らない戦」とこの本では書いてるんですが、こう言いきって良いもんでしょうか?
(13)備中高松城水攻め
これはこの後の中国大返しと共に官兵衛の人生最大の見せ場なので、この本でも詳しく記述されていました。大河ドラマでもやっていた「船に石積んで川せき止めた(これ官兵衛の作戦なんだよ)」という話も書いてあったんですが、そうなんでしょうか?
(14)中国大返し
(13)の最中に織田信長が本能寺の変で横死し、動転する秀吉に対して官兵衛は「殿、これはまたとない機会ですぞ」と毛利との交渉をとりまとめ、明智光秀に大勝した…という超有名すぎるエピソード。当然書いてました。ところでこの本でも「この時官兵衛は毛利氏や宇喜多氏から軍旗を20本ほど借り受け、あたかも秀吉軍に毛利・宇喜多軍が合流したように見せかけ光秀を攪乱した」という旨の記述があるのですが、これ事実?いまだに解決してない(^^;)
この本ではこの後の「清洲会議」「賤ヶ岳の戦い」も非常に詳しく描いているのですが、この2つの事件には官兵衛は余り関わってないという話を聞いたことが…事実この本でも詳しく書いてる割には、全く官兵衛登場せず。登場したらそれの方がもっと問題ではあるが…あ、大坂城設計とか毛利との講和交渉とか官兵衛の活躍もちゃんと書いてます。これは史実でもそうだったっけ?でもその後織田信雄を家康から引き離すよう調略したのは官兵衛の仕事だったっけな?ヾ(--;)
(15)九州御動座(九州征伐)
この前の四国(長宗我部)攻めと共に官兵衛が活躍したこの戦い、この本では2ページで終了⊂(。Д。⊂⌒`つ…官兵衛この戦いでは活躍してるんですよ…『黒田家文書』でこの辺の手紙が占める比重の大きさ見たら一目瞭然なのに…賤ヶ岳よりもページ数少ないなんて(涙)
(16)秀吉との仲の険悪化
この本では、賤ヶ岳の合戦の辺りから既にあやしくなってます。早い!ヾ(^^;)
ついでに言うと、同じ頃から石田三成も秀吉の重要な側近になっていて、既に官兵衛とは険悪な仲になってます。早すぎる!ヾ(^^;)
(17)宇都宮一族暗殺事件
この本では触れていました。子供向け書籍では初めてです。但し、その記述は「わがままな鎮房が悪い、秀吉が悪い、短気な長政が悪い!」…大河ドラマの焼き直しかと思いました。と言うかもしかして大河の原作ってこれか?!ヾ(--;)
(18)小田原攻め
丸腰で和平の使者を務めたというこの話も官兵衛の人生の中の見せ場の一つであり、この本でも書かれていました。実質10行程度でしたが_(。_゜)/
(19)朝鮮出兵
官兵衛がかり出され、そしてこの時の出来事が原因で秀吉に自害寸前にまで追い込まれたこの事件、当然書かれてはいましたが、重大事件の割には実質7ページ程度でした。官兵衛余り関わってないのに熱もって書かれた賤ヶ岳の戦いより扱い軽いヾ(^^;)なお、この本で目立つのは「浅野長政と囲碁をしていたときに三成がやってきて、面会するの待たせたら、何と三成に讒言されちゃった!」というあの有名なエピソードを書いていたこと。他の子供向け本では何故か触れてないのが多かったんで。
(20)九州の関ヶ原
官兵衛人生最大の見せ場、この本では書いていました。まあ、触れてないのがおかしいわけですが(^^;)
ところでこの本では官兵衛は「家康が勝っても三成が勝っても黒田家が残るように動いておこう」と考えていたとします。その仮定自体は妥当とは思うのですが、何故かこの本の官兵衛はその考えでいたわりには息子の長政に積極的に家康に着くように勧めたりします。訳わかんない。



子供向け伝記はどうしても主人公ヨイショに陥りがちになる傾向があるんですが、この本はとりわけその傾向が強いように感じました。
でも、一番気になったのは
・信長が「で、あるか」という台詞を連発する
・秀吉が、小田原にやってきた伊達政宗に「もう少し遅かったらこの首が落ちていたぞ」と扇子で政宗の首を叩きながら言った
…と言う記述。
実はこれらの話はNHKの大河ドラマで初めて為された演出で史実ではないのです。
 ※「であるか」は『利家とまつ』、「この首が落ちていたぞ」は『独眼竜政宗』
この本は巻末に「参考文献一覧」がないのですが、まさか参考文献は「今までのNHK大河ドラマ」とか言う恐ろしいことはないでしょうな…この本の筆者・小沢章友氏は講談社青い鳥文庫の伝記を多く執筆しており、過去には開高健賞(奨励賞)ももらってられる立派な小説家のようなんで、まさかそんな手抜きはしてないと思いたいんですが。

<おまけ>
島津義弘を「島津義」と3回も間違って記述されてました_| ̄|○主人公じゃないとこんな物か(つд`)

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トリビア!
「小田原」と聞いて参上です。「もう少し遅ければ……」がNHKドラマ発祥とは驚きました。慌てて『武辺咄聞書』『常山紀談』『関八州古戦録』『小田原北条記』を見ましたが、載っていませんね。『落穂集』は見ていませんが、多分掲載されていないのでしょう。「どこかの軍記ものにある逸話」と安易にレッテルを貼っていたのを反省しました。

ちなみに、ネット上での検索だと、秀吉が政宗の首を叩いたのを『杖』とするものと『扇子』とするものが混同していました。都市伝説の拡散と分派は早いですね。
高村 2014/12/17(Wed)19:50:27 編集
ドラマ・小説起源
高村様コメントありがとうございます。

実は私も一般書ぐらいしか見てないので、でかい顔は出来ないんですが(滝汗)、「あと少し遅かったらその首が落ちていたぞ」と秀吉が政宗に対してすごんだ話は、くだんの大河ドラマでしか見たことがないです。私は未見ですが『独眼竜政宗』は山岡荘八による原作があり、もしかすると原作には似たようなエピソードが載っている可能性がありますが。
ちなみに一時期織田信長正室の濃姫(斎藤道三女)は本能寺で信長といっしょに討ち死にしたという話が定説化してましたが、これも山岡荘八の『徳川家康』辺りが起源で史料的裏付けはないらしいです…。

もっとも『独眼竜政宗』は今のところ大河ドラマ史上最高視聴率をたたき出した戦国大河の名作であり、その超有名なシーンの一つですし、秀吉を演じた勝新太郎の名演もあいまって史実と思っている人が多いのも仕方ないところでしょう。あのシーンは勝新太郎自身が非常に熱を入れて、事前に政宗役の渡辺謙に顔合わせすらしなかったという手の込んだ物だったという話を何かで見たことがあります。

人気小説・人気ドラマのパワー恐るべし、と言う所でしょうか。

…とかなんとか、こんなこと書いていたら、伊達氏に詳しい人がこれについて何か書き込んでくれることを期待しつつヾ(^^;)
ばんない 2014/12/18(Thu)17:47:01 編集
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