拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
前から読みたかったのですが、ようやく読んでみました。
さくさく読めて分かりやすかったです。
さすがは二木先生、NHK大河ドラマ風俗考証の常連なだけあるヾ(^^;)
豊臣政権、毛利一族に興味のある人なら必読の一冊かと思いますが、
やっぱりこのブログは一応島津ブログのはずなんでヾ(--;)時々出てくる島津ネタに注目。
毛利輝元が初上洛したのは天正16年の夏なのだが、この前年に島津氏は秀吉に降伏し、その後義久・義弘が交代で上洛させられるのは島津ヲタの皆様には周知のお話です。天正16年夏時点では義弘が上洛中のようで、毛利輝元歓迎パーティーにも参加させられています。
この本の良いところは、これらの宴会での席次が図で紹介されていること。
なかなか興味深いので、日時順に紹介してみる。
・7月24日 聚楽第にて秀吉と初めて謁見(p。95)
・同日 聚楽第にて豊臣秀俊(後の小早川秀秋)との謁見(p。103)
・7月晦日 聚楽第内の豊臣秀長邸での関白(=秀吉)御成(p。155)
・8月2日 聚楽第内の豊臣秀次邸での関白御成(p。179)
・8月22日 聚楽第にて北条氏規対面(p。213)
・9月10日 大坂の宇喜多秀家邸にて関白御成(p。281)
気になることを2,3点。
・7月24日の秀吉との謁見の時には出席したのに、豊臣秀俊(=小早川秀秋)との謁見の時にはどうして逃げたのか、義弘ヾ(--;) ちなみにこの時一番上座に座っていた秀俊は7歳だったらしいです⊂(。Д。⊂⌒`つ
・義弘には関係ないんだが、7/24の時は豊臣秀次は豊臣秀俊より下座なんだね…興味深い
・関白御成時の正装は「衣冠束帯」なのだが、この図を観てると義弘の装束の色は毛利輝元と同じ黒に見えるんだよなあ。二木氏はp。120で「四位以上が黒装束、五位なら赤色」と明言しているが、義弘が四位(従四位)に上がったのは慶長4年で、天正16年時点ではまだ従五位なので、小早川隆景等と同じ赤色装束じゃないとおかしいはずなんだが… 拙ブログこの記事も参照。
・公家が混じると広間のスペースがこれでも足りないのか公家の列に入れられたり、なんか移動が忙しい義弘ヾ(^^;)
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