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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
こちらの記事でも紹介させていただきましたが、拙ブログ(前居の方ですが)をご紹介くださりまことにありがとうございます+リンク先のブログを見てびっくりしたのだが、『西藩野史』も近代デジタルライブラリーに収録済みらしい。近くの図書館には所蔵が無く、どうやって借りた物やらと悩んでいたから、助かったー。
そのブログでは「島津光久」の項目に直接リンクしてあるようだから、そこから読んでみるか

・・・

(『島津家正統系図』他多数の記述から)予想はしていたが
治世中最大のイベントが「徳川家綱の前で犬追物上演」
平和な時代ってそんなもんかもしれないが、なんか…ほかに書くことないのか

あと、光久の息子・綱久が死んだあたりでの記述にかなり文量が食われている・・・
『西藩野史』の著者的には光久はどうでもよくて早死にした綱久のほうに興味が・・・いやなんでもありません(棒読み)
まあ普通の人情としては、寿命を全うしたアレな家久(忠恒)より早世の久保ですもんね!ヾ(--;)



ばんない的『西藩野史』「島津光久」項まとめ
・おとーちゃん(=アレな家久)が死んだので後を嗣いだよ!
・幕府にも覚えのめでたい家老(兼光久の義理の祖父)・伊勢貞昌が延々と説教してくれたよ!ありがたいから全文書いておくよ!
・家老の入れ替わりがあったり、金山が見つかったりしたよ!さくっと書いておくよ!(さくっとかよ)
・伊勢貞昌が亡くなっちゃったよ…幕府にも覚えがめでたい人だから丁寧に書いておくよ…。
・一門の島津久章(実は島津義久公の曾孫で前の殿の島津家久公の娘婿で、光久公の妹婿なんだけど…)いろいろあって殺されちゃった!(をーい)…何かやばそうなので…自粛気味に書いておくよ…。
・徳川家綱公他多数の大名の面前で犬追物やったよ!盛大にやったよ!無茶苦茶丁寧に書いておくよ!
・貞昌の孫娘で綱久公の母上である光久の正妻1号が亡くなった…さくっと書こう ヾ(--;)
・その後もいろいろあったけどめんどくさいから(をい)サラサラ書いておくよ!
・若殿・綱久公が突然亡くなっちゃったよ。・゚・(つд∩) ・゚・ 。悲しいよ!綱久公の家臣が一杯挽歌を書いたようだから熱意を持って頑張って書くよ!
・光久公、親戚の佐土原藩にも介ny…いや、お心配りをされてるんですね(棒読み)
・そうこう言ってる内に光久公72になったので隠居したよ!(へっ?!)
・光久公亡くなったって…後妻の人、京都のお公家からお嫁に来た人だけど…すごく教養ある人だったんだなー。この人の和歌はがんばって沢山載せておこう。

結論:光久公って徳のある立派な人だったんだよ!



上の記述をどうまとめたら「光久公立派な人だった」って結論出るんだ、『西藩野史』の著者よ

おまけ
この記事で、世間的にはほぼ知名度0の島津光久の後妻をネタにしたのだが、「後光明天皇典侍」の根拠がわからなくて(情報源のhpにも明示されてない上、『宮廷公家系図集覧』、『公卿諸家系図―増補諸家知譜拙記』などにはのってなかった、というか平松家自体が資料が少ない・・・)苦労していたのだが、根拠は『西藩野史』だったかー。『西藩野史』「島津光久」の最後のほうで、彼女が光久に送った挽歌とかいろいろ書いてあって興味深いです。彼女の本心は光久について鹿児島に行きたかったんじゃなかったかな。ついていかなかった(いけなかった)のは、徳川幕府の政策(正妻は江戸にしか住んではいけない)のせいでしょう。

あと、前記事では「光久との間に子供はなかった」と書いてしまったが、『西藩野史』によれば生まれてすぐになくなった女の子がいたらしい。すぐ死んだから『寛政重修諸家譜』には載らなかったのかも。

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