拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
以前、拙ブログで島津義久の和歌短冊を紹介したことがあったのですが
今度は能楽の一節を書いた物だそうです。
江戸時代の古筆鑑定家が「島津義久筆」と鑑定したと言うことですが、如何でしょうか?
義久の字は癖がない(そして達筆すぎて読めない (^^;)ので、何とも判断しがたいですが。さてさて。
今度は能楽の一節を書いた物だそうです。
http://blog.tsurumi-u.ac.jp/library/2009/06/post-b9ac.html新規受入の貴重書で、[当麻(断簡)]が入りました。この資料は、28点まとめてきた古筆切と呼ばれる一枚ものの一つで、本学の先生が調べた結果、当麻の断簡であることがわかりました。
当麻というのは、「たいま」と読むのですが、お能の曲目の一つで、そのあらすじは、「念仏僧が當麻寺に詣でると、信心深げな老尼と腰元らしい若い女が来かかる。僧の尋ねに応じて老尼は當麻曼陀羅の縁起を語り、中将姫が籠もったという二上山に姿を消した。やがて中将姫の精霊が現れ、弥陀浄土を賛嘆して舞を舞う。」(引用:能楽協会HP)といったものです。
この断簡は、この当麻の末尾にあたるということです。おもしろいのは、この書写者が、島津義久という戦国武将のものだと、古筆鑑定家が認めているというところにもあります。
江戸時代の古筆鑑定家が「島津義久筆」と鑑定したと言うことですが、如何でしょうか?
義久の字は癖がない(そして達筆すぎて読めない (^^;)ので、何とも判断しがたいですが。さてさて。
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