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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
「日新菩薩記」(戦国史料叢書〈第2期 第6〉島津史料集 (1966年)所収)「晩年臨終追善之事」参照。

(島津忠良)御年七十七の時永禄11年戊辰雪月に至って、少病小脳に染まって嘯詠し給う。
いそぐなよまたとどむるなわがこころ さだまるかぜのふかんかぎりは
此の御詠を聞きて、御前の臣など涙雨愁顔を洗い、情波悲腸に溢れて言葉も耐えたりと雖も、日新菩薩日々の行法形相は変色なし。同十三日の暁天に、近臣例の如く几上に立花・灯明・香爐世に閼伽水を備えて御前に捧ぐ、即ち香を焼き水を奠って、観念観法身心を収めて後、良心を召して辞世の一頌を唱え給う。
不来不去 四大不空 本是法界 我心如同と、臣謹みて此の一首の深旨を聴聞して、伺候の諸臣に対して、是は菩薩の尊体未だ生まれざる已前法身の応化、現在の妄身只今此の穢土を離るると雖も、本体変わらざる真如の性相、今更に七情五塵の生ずるところにあらずとの尊命ぞ。群臣頭を低れ、鳴りを静めて音せず、双涙又雨脚の如し。稍暫く在りて落る涙を押し拭いて薬方を勧め奉るに菩薩(=島津忠良)頭を掉って吟じ給う。
喰へば喰うくはねばくはずもろともに たかなやかぶや犬や木のきれ
御声を励して詠じ給えども、惆悵銷沈(ちゅうちょうしょうちん)夢とも現とも覚えず、猶良薬を哺せ(くくませ)進ぜらするに、菩薩哺みを吐いて吟じ給う。
円頓の死に至らんとするものを 物のくはんくはんと云う人は誰ぞ
是に至りて 太守囿公(=島津貴久)赤面を挙げ眸子(ぼうし)を拶って(せまって)宣う。面々皆立ち去れ立ち去れ。菩薩これを聞きて曰くえいなあにを云う歟。大臣(=たぶん老臣の一人だろう)謹みて告す、男女共に立ち去れと、上位に候。菩薩曰く、いいや只居れ、見憎い事はしあるか、産るる時の大事、死する時にあり、二度の大事は定まった事、歎くなよ辱しむるなと云い了って、隔世登遐し給う。(以下略)

最期の臨終シーンは緊迫感があって真に迫るところがある。
しかし日新斎は辞世の句が分かっているだけで3つもあるという事なのかな。しかし、残り二つは無理矢理作らされたというか(苦笑)


おまけ

四十七日に息子の貴久が作った挽歌
春まだきたぐひはあらじ手折れとて ほとけのためにさくやこの花
しかし、貴久は一周忌を盛大に行った翌年の元亀2年6月23日に早々と父の後を追ってしまう。「日新菩薩記」に依れば、看経所で法華経の二巻目を読経している最中の頓死だったらしい。

で、三回忌は孫の義久が行うことになった。
十三回忌の時に義久が作った追悼の歌
梅の花植し岳へをこととへば とをとみとせのあとぞ程なき


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