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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
2018.10.13 07:31更新

奈良出土の三角縁神獣鏡は中国製か 蛍光X線で分析

 奈良県天理市の黒塚古墳(3世紀後半)から出土した33面の三角縁神獣鏡について、京都市の泉屋博古館(せんおくはっこかん)が大型放射光施設「スプリング8」(兵庫県佐用町)で蛍光(けいこう)X線分析したところ、鏡に含まれる銀などの微量元素の割合が、古代中国鏡とほぼ一致することが分かった。橿原考古学研究所が今月刊行した調査報告書「黒塚古墳の研究」で紹介されている。

 三角縁神獣鏡は、古代中国の魏が邪馬台国の女王卑弥呼(ひみこ)に贈った「銅鏡百枚」とする説がある。ただ、中国国内では確認されておらず、中国製か国産かをめぐって長く議論が続いている。今回の調査結果により、黒塚古墳の三角縁神獣鏡が中国で製作された可能性が高まったといえ、論争に一石を投じる成果となりそうだ。
(以下略)
https://www.sankei.com/west/news/181013/wst1810130014-n1.html
なかなか興味深いお話ですね



では本題。

東大史料編纂所データベースで「大日本古文書」ガサ入れしているときに、妙な人を発見
○経巻納櫃帳(続修後集23)
(中略)
請観世音経一巻 白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸
            十年五月廿六日借請中宅大道藤原大夫 麻呂
「大日本古文書」7巻p.219
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/image/idata/850/8500/05/0007/0219.tif
※下線は当方補足
まず「中宅大道」なんて役職、そもそもありません_(。_゜)/ …つまり実際にある役職を思いっきり誤字したと思われます。
「中宅大道」に近い漢字の役職は…と探したら、ありました。中宮職の上から3番目「中」(従六位上相当)がそうなんでは無かろうか。
中宮職は元々皇后のためにある役所で、この頃の皇后といえば光明皇后になります。但し、光明皇后が天平元年に皇后になったときから「皇后宮職」という役職が新設されたので、この「中宮職」、天平10年当時は聖武天皇の母・藤原宮子(皇太夫人)のための役所でした。

つまり、藤原氏の女性のための役所に、藤原氏の誰かが「中宮大進」として務めていたことになります。
…さて、中宮大進を務めていた「藤原大夫 麻呂」という人ですが…誰なんでしょうか?

天平10年の前年の天平9年、ご存じの通り天然痘の大流行により、「藤原4子」とか「藤原4兄弟」とか「藤原4卿」とかいわれている藤原武智麻呂、房前、宇合、麻呂が全員亡くなってしまい、藤原氏の勢力は大幅に後退してしまいます、と言うか藤原氏出身者で従五位以上の人物が藤原豊成(武智麻呂長男)、仲麻呂(武智麻呂次男)2人だけという大ピンチに陥ります。
これをなんとかするべく、天平10年に藤原乙麻呂(武智麻呂三男)、永手(房前次男)、広嗣(宇合長男)が2階級特進して従五位下になりますが、これは光明皇后の画策なんではないかというのは大分前に拙ブログで書いたことがあるかと。他にも藤原氏の男子は多数いたものの、何しろ律令の建前上20歳を超えないと官位に付けることができません。当時藤原氏の殆どの男子が若年だったため、流石の光明皇后もこれが限界だったと思われます。

話は戻って、この頃「藤原○麻呂」さんはいたのでしょうか?…それが結構該当者がいたりする(^^;)
・藤原乙麻呂(南家、従五位上)
・藤原巨勢麻呂(南家、官位不詳)
・藤原宿奈麻呂(式家、官位不詳)

このうち、藤原乙麻呂は天平10年に中宮大進の相当官位「従六位上」より3階級上の従五位上になっていますし、第一、既に越前守になっているという同時代史料が「正倉院文書」にある(「大日本古文書」24巻p.75)(^^;)…なので、乙麻呂は除外。

巨勢麻呂は、天平15年に中宮亮(中宮職のナンバー2)になっています。何とこの時に署名した文書も「正倉院文書」に残っていたりする(「大日本古文書」8巻p.219)。早くから中宮職に出仕し、そのままスライドで昇進した可能性もあります。
もしこの推測が当たっていたとすると、巨勢麻呂は藤原宮子にかなり密着した人物だったと言えます。
※中宮亮時代に藤原巨勢麻呂が残した自署(「朝臣」と太字で書いている箇所)「正倉院文書」続々修26-3裏書(『大日本古文書』8-219))

宿奈麻呂(後の良継)は、天平12年に兄の広嗣が反乱を起こしてしまい、それに連坐しています。
ただ、宿奈麻呂は詳細な薨伝が『続日本紀』に残っています。それには中宮職関係に付いた記録はないのですが、左遷前に中宮大進に付いていた可能性は否定できません。

結論:「中宅大道 藤原大夫?麻呂」さんは藤原巨勢麻呂か藤原宿奈麻呂(良継)のどっちか。
…スイマセン決断できなくてf(^_^;)

<追記>
気になったので、原文のcopyを取り寄せたアルヨ
こちらは既に書籍化されて国会図書館に所蔵されていた(ほ)
ではこれが気になる原文だ!

…確かにこれは翻刻した人が「中宅大道」と読みたくなる気持ちは分かる。でもでも改めて見たら「宅」と読んだのはやっぱり「宮」の行書体だし、「道」も“首”の部分、「進」の旁の部分をぐしゃぐしゃぐしゃ~と崩した字ですね。
ところでこの原文、かなりの長文を一人の人が書いたようなのだが最初の部分がこれ
で、最後の部分が問題の「中宅大道」の部分。
たぶん長文書かされて最後の方は疲れちゃったんでしょうね…(^^;)



おまけ
上の藤原乙麻呂の所でリンク貼った文書なんですが
○上階官人歴名(続々修24帙5裏)
(中略)
大養徳守藤原廣嗣兼式部卿
(後略)
「大日本古文書」24巻p.74
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/image/idata/850/8500/05/0024/0074.tif
『続日本紀』では式部少輔(従五位下相当)となっていたような…もしかして上役2人(式部卿、式部大輔)が空席?だったので式部卿同然と周りには認識されていたのか、それとも父・宇合と混同されたのか。

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