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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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『尊卑分脈』の「藤原永手」の項目にはこんな事が書いてある
号長岡大臣
最初、私は「なんか変なこと書いてあるなあ」と思ったわけです。
というのも、古代日本で「長岡」と言えば長岡京、ところが永手は長岡京遷都(延暦3年(784年))からかなり以前の宝亀2年(771年)に既に死去。どうして関連のない場所を頭に付けて号されたのか、謎でした。

ところが、先日「飛鳥の大原」の話を探しているときに、偶然『続日本紀』にこんな記述を発見。
天平神護元年(764年)10月14日条「車駕、巡歴大原・長岡。臨明日香川而還。
どうも飛鳥(明日香)にも「長岡」という場所があったようです。
しかも、藤原氏縁の地・大原の近所だったようで、この「長岡」が永手の号の起源になったと見て間違いないのではないかと思います。

さて、現在も明日香村に「長岡」はあるのでしょうか?
と言うわけで早速検索してみたのですが…どうも「長岡」という地名はないみたいです_(。_゜)/ 同名のバーバーはあるようだがな!_| ̄|○

しかし、一つ気になる地名が。明日香村岡
どちらかというと古代史マニアより、仏閣巡りor厄除け大好き老々男女ヾ(^^;)に人気のある場所かも。と言うのも、ここには「日本最古の厄除け寺」と言われる岡寺があるからです。
上記のリンクで見られる地図でも分かるように、大原こと現明日香村小原にも隣接しています。
そしてもう一つ気になる話が。先述の岡寺の伝承では「岡宮」という宮殿を譲り受けて寺としたとしているのですが、この宮殿に住んでいたのが、天武・持統天皇夫妻の一人っ子である草壁皇子で、彼は「岡宮天皇」と言われ一方では「長岡天皇」とも言われていたようです(※同時代史料には出て来ませんが、検索してみると「神皇正統記」とか一部の系図に出てくるようです)。
…つまり、明日香村岡=岡宮=長岡 と考えられるかと。

そうかあ、永手の「長岡」というのは山城国の長岡京じゃなくて、飛鳥の長岡だったのか。
大原(小原)に隣接したこの地に、別邸でも持っていたのかも知れません。それは鎌足→不比等→房前…と相続された物かも、と勝手に妄想広げてみる(^^;)

ところで…実はもう一人「長岡大臣」と言われた人がいるのだが。
それは永手の甥(弟・八束の三男)の内麻呂で、「後長岡大臣」と言われていたらしい(『尊卑分脈』)
こちらの「長岡」は長岡京の長岡だと思っていたのだが、違うんだろうか?新たな謎が出て来てしまった…。



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