拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
やっと慶長7年に突入。
おそらく12月頃に作られた和歌2首です。
また頭書(寒庭霜)の後に小文字で書かれた和歌は義久の作ではなく、外の人物の作かと思われます。が、誰の作か分からない。ヾ(^^;)皆様の情報お待ちしています(汗)
おそらく12月頃に作られた和歌2首です。
文書を見る限りでは慶長7年12月に作られた2首となっていますが、後の1首は署名が剃髪前の「義久」に成っている点が疑問に思われます。「在右短冊裡」という添え書きも気になります。こちらのほうはおそらく若いときに作ったものを再掲したのではないかと考えられますが、如何でしょうか。「義久公御譜中」
「此本御文書方ニ有之」
慶長七年雪月十八日
寒庭霜 をとたてゝ夜の間のほとハ木からしのさらし名残か庭のあさ霜
夜のほとはミねのあらしのさえ/\し
名残を庭の霜にみるかな
松に小松立そふひまにかけ見えて
いらかも高き神の御やしろ 義久
「在右短冊裡」
慶長七年雪月吉日 天神法楽 当座
(「薩藩旧記雑録」後編3-1749)
また頭書(寒庭霜)の後に小文字で書かれた和歌は義久の作ではなく、外の人物の作かと思われます。が、誰の作か分からない。ヾ(^^;)皆様の情報お待ちしています(汗)
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