本年もよろしくお願いします。
一気に過去にさかのぼり永禄11年、祖父・島津忠良(日新斎)の死去に際して詠まれた挽歌です。
前書きによると、肥後国への戦闘に出ていたため、自分を溺愛してくれた祖父の臨終の場に立ち会うことが出来なかったようです。戦国武将の哀しい宿命ですね。「御文庫三番箱一巻中」「日新公御譜中正文在加世田衆河村覚右衛門秀屋トアリ」
梅岳常潤在家菩薩と申ハ、 祖父相模守忠良公文武二道の理明らかにして、薩隅日を掌に、治世の風を吹かせ、年ひさしく栄花にさかへ給ひ、内にハ御心さし直にして、諳禅道に心「本ノママ」 入道日新斎号御名、和尚の位、世に隠れなし、予またいとけなかりし時より、おほふはかりの袖もはたはり、広く夏冬をはくゝみ、朝にハ□の窓をひらき、夕にハ弓馬の道を教へしなと、みな夢のやうにて、二もなく三もなきに、肥後国堺在陣暇無く、遠路を隔しに、暮秋の比より病床に臥給、雪月十三日、薩州加世田といへる所にて、燈のやうに消果給ひぬと告しらするに、空を踏心ちいへはさら也、おもひのあまり愚なる心みしかき筆の海ハ汲尽しかたきを、けに五体のかたちと聞より、一首をつらね手向たてまつるものに南、
修理大夫義久
けさは日のあらたなりつる影もはや
西なる空に雲かくれつゝ
永禄十一年拾二月廿一日
「右正文ノ儘写ス、参照スヘシ」
(「薩藩旧記雑録」後編1-468)
なお、この和歌には異文が存在します。
今日ハ日の新たなりつる影もやゝ西成空に雲かへれ「雲かへれす「本ママ」つゝ
(「薩藩旧記雑録」後編1-469)
関連ネタ こちら
義久の父(忠良の息子)・貴久の追悼歌もありますので参考に
なお入力がめんどくさいのでヾ(--;)前書きは省略しています。作成日は四十九日にあたる永禄12年1月13日のようです。
前陸奥入道伯囿
なミたこそことハりしらね世中に
さらぬわかれのなからましやは
昔みし面影はたゝそれなから
それといハんもさすかなりけり
千代もとて祈りし親の別より
なにをよすかの我身ならまし
扨も春かけて難面しら雪の
のこるを見ても無そかなしき
移りゆく跡の日数に浅からぬ
おやの恵ミそ猶しられける
程そなき昨日けふかと思へとも
三十四十に余りぬるかな
更にたゝそこともしらす終もなき
けふりそ人の行末のそら
つく\/と思ふにすこし慰むは
みたれぬ人のをハりなりけり
(「薩藩旧記雑録」後編1-472)