拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
天正10年5月25日、真幸院の吉田天神に奉納された物です。
この時期にここで和歌を奉納した背景ですが、前後の史料を見てもちょっと分かりませんでした。
「真幸の吉田天神」とはここのことだろうか。「真幸吉田天神社奉納」
陰天 宝前
詠十首和歌
修理大夫義久
立春
初春のけふは千里のほかまてもみななひくへきあさかすミかな
華
やとの春をよそになしつゝみよしのゝ花にいくかの日をおくりけむ
郭公
半天の月はいるともさとなれてかへさわすれよやまほとゝきす
萩
来る秋をしらまほしさにとひよれは萩のした葉そそよとこたふる
月
かけすめる月には夜半のなかきをもおほえすなかめあかしつるかな
雪
草も木もふりしく雪の明ほのはけふりやさとのしるへなるらむ
待恋
高砂の尾上ならねとこぬ人をまつこそ 「本ノマゝ」ひさしかりけれ
逢恋
つれなきをおもひ\/てすっこしもあふ「本ノマゝ」こそうらミわするれ
山松
足引のやまとなるより色かへぬ松のかしこきたねやまくらむ
神祇
まもるてふ八十氏人のすゑの世もわれ侍れるは神そしるらん
天正十年五月廿五日
(「薩藩旧記雑録」後編1-1275)
この時期にここで和歌を奉納した背景ですが、前後の史料を見てもちょっと分かりませんでした。
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