拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
慶長9年に作られた和歌です。なんと一気に3首も書いてくれている。これはポイント稼ぎちゃーんすヾ(--;)
建前としては貴久の追善?歌会の時の和歌と言うことになってはおりますが、歌の内容を見ても、国分城に引っ越したときの記念の歌と見て間違いないでしょう。
「雪月」は12ヶ月の異名には見つからないようですが、前後の文書から見て12月のことを指しているのでしょうか?(ちなみに「雪待月」なら11月)
「大中良等」とは義久の父・島津貴久のこと。たまには忠良おじーちゃん以外の人の夢も見るのねヾ(--;)「義久公御譜中」
「此本在御文書方」
国府に移り、大中良等の夢想有て歌の会あり、慶長九年雪月六日、
水路新雪
今朝は猶ふりかさねたる白雪に
たえぬハ水のなかれなりけり
当座松経年
作りなす庭には千年の影みえて
こけむすハかり松そ木高き
「右同」
かこしまより、いなり山の紅葉とて手折ておくられし時、当座
枝すこしをるさえおしきもみち葉は
たてなからにや神に手向ん
(「薩藩旧記雑録」後編3-1974)
建前としては貴久の追善?歌会の時の和歌と言うことになってはおりますが、歌の内容を見ても、国分城に引っ越したときの記念の歌と見て間違いないでしょう。
「雪月」は12ヶ月の異名には見つからないようですが、前後の文書から見て12月のことを指しているのでしょうか?(ちなみに「雪待月」なら11月)
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