拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
年紀不明ですが、末尾の伊地知季安によると思われる考察では文禄元年頃の作と思われる物です。「古御文書三番箱二巻中」
嶋津殿(印)「張紙」(印文義久)
夕たちの朝またきよりかゝり来て
なかれのつゝみこゆるしら波 龍伯
薩州太守嶋津殿 夕たちの □
龍伯短 壬辰五 神田印
「按ニ、壬辰ハ文禄元年ナルベシ」
(「薩藩旧記雑録 後編」2-875)
ブログという形式上、うまく編集してお伝えできないのが残念ですが、「嶋津殿」「夕たちの~」「薩州太守~」「龍伯短」がそれぞれ4つの四角で囲われているところから見て、おそらく短冊に張り紙がされている状態の文書なのではと思われます。
「夕たちの」という歌題で歌会でも開かれてそれに参加したときの物でしょうか。
このとき、署名でも分かるように既に出家していたのですが「薩州太守」と書かれているのは興味深いです。他人から見ても島津家の当主はまだ義久だったのでしょう。
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