拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
本日は新暦換算での島津義久の400回忌です。
旧暦慶長16年1月21日は、新暦換算では1611年3月5日になります。
順番の関係で、挽歌とかそれっぽい歌ではなく、何故かめでたい正月の歌の紹介になってしまいますが(汗)
文禄4年1月20日、近衛前久の東山第での歌会に招かれた際に詠んだ物です
さて、「近衛前久の東山第」とは、実はあの銀閣寺のことです。この当時、前久がいわゆる不法占拠していました(^^;)
この辺の事情についてはこちらのサイト(よろぱら様)で詳しく説明されていますのでご参照下さい。
旧暦慶長16年1月21日は、新暦換算では1611年3月5日になります。
順番の関係で、挽歌とかそれっぽい歌ではなく、何故かめでたい正月の歌の紹介になってしまいますが(汗)
文禄4年1月20日、近衛前久の東山第での歌会に招かれた際に詠んだ物です
「薩藩旧記雑録後編」2-1455の最初の和歌と2-1458の歌は同一の物でしょう。おそらく原文は2-1458で、その後推敲した物を2-1455の形にまとめて残した物と思われます。「義久公御譜中」
文禄四年乙未正月廿日、於 近衛龍山公東山華第、有和歌会、侍瓊筵詠卑歌曰、
(以上「薩藩旧記雑録 後編」2-1454)
「此本在御文書方」
庭松契久
植しより幾代の春にそなれ松の
かけや常葉のみきりなるらん
「仝」
当座鶯
馴来つヽ軒端にちかきうくひすの
こゑにまかする玉すたれかな
「仝」
又 待花
うたヽ寝の枕に雨のをと聞は
またるヽ花のよすかとそ思ふ
(「薩藩旧記雑録 後編」2-1455)
「林甚五兵衛蔵」
於東山御歌会之時
文禄四年正月廿
詠庭松契久和歌
龍伯
植しよりいく代のはるにそなれ松の影やときはのみきり成らむ
(「薩藩旧記雑録 後編」2-1458)
さて、「近衛前久の東山第」とは、実はあの銀閣寺のことです。この当時、前久がいわゆる不法占拠していました(^^;)
この辺の事情についてはこちらのサイト(よろぱら様)で詳しく説明されていますのでご参照下さい。
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