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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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慶長3年10月14日、連歌会で詠われた物です。
連歌会ということは…恒例により(ヲイ)上の句or下の句しかありません(^^;)
でもいつものように1首としてカウントするのね~ヾ(^^;)
「義久公御譜中」
御家門様より発句之事うけ給候、度〃斟酌仕候へ共、しいて承候間、如此慶長三年十月十四日御興行、
(「薩藩旧記雑録 後編」3-522)
「正文有之」
於近衛殿興行之連歌
初何
散うせぬもみちハつゝく砌かな  龍伯
しくれ\/し軒の松風 杉
明渡る高根の雲に月落て  紹巴
田面のすゑハはつ鴈のこゑ 春
はるかなる湊入江の秋の水  広橋大納言
しほひの跡ハしるき川上 昌叱
なひきふす芦まに残る夕附る  左兵衛佐
人かへるなり一むらのミち 宗岩
うら
駒やたゝこなたかなたにいはふらん  玄仍
明るかり場の野へのすゑ\/  景敏
ふる雪もミるか内より晴わたり  如水
窓にむかひの山のまちかさ  久正
古寺の鐘のひゝきに暮初て  兼雄

往来もまれになる難波かた  龍伯
<以下略>
(「薩藩旧記雑録」後編3-523)
「雑録」3-522で出てくる「御家門様」とは近衛前久のことでしょうか。連歌会で「杉」と署名しているのも前久だったと思います。

また、上の記述では横書きのためちょっと分かりにくいですが、「杉」「春」「昌叱」「宗岩」の四名は他の人より名前が一段上位に記されています。しかし「杉」(=近衛前久)はわかるのですが、「昌叱」は里村昌叱(1539~1603)と思われ、しかも彼は里村紹巴の弟子であることを考えると何で名前が上位に書かれるか理由不明。「春」「宗岩」は誰に当たるのか管見では不明。

もう一つ気になる人物は11番目に出てくる「如水」…まさかあの黒田官兵衛なんでしょうか(^^;)
ちなみにこの後の庄内の乱および関ヶ原の合戦で、黒田官兵衛は島津家と因縁の仲?になります。


※おわび
上記引用文は最後に“<以下略>”と書いてますが、要は
続きのコピーを取り忘れてしまった_(。_゜)/
ため、この後にまだ続いていたはずの連歌が分かりません⊂(。Д。⊂⌒`つ
いずれ機会があれば(ヲイ)続きを調査する予定です(あくまで予定です、あくまでヾ(--;))

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