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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
関ヶ原の合戦で風雲急を告げる慶長5年は10月に作られた物です。
挽歌として作られた物で、島津家恒例ヾ(--;)としては「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を頭に付けるのが通常ですが、これは「妙法蓮華経(妙法蓮華きやう)」を頭に付けているという珍しい例です。
ではさっそく
こゝに法名妙諦とて、年ひさしくつかへし女有しか、世をはやうせし事をかなしミて、妙法蓮華経の五字を句の上に置、七首につらね霊前に手向ものならし、
法印龍伯


たへなりと見し梢たに花ちれは
空もむなしき春のゆふ暮

のりの道とめ入からに古寺の
鏡のひゝきや友とならまし
蓮           「朱カキ」「露か(<与欠>)」
蓮葉の上にやとれるしら玉は
「玉か(<与欠>)」「朱カキ」
涙の雨や露となるらん

花にとてこゝにかしこに分てしも
ゆくゑむなしき草の原かな

きのふ過今日はたくるゝ世中に
はかなやあすをなに頼らん

山風の木の葉をさそふ柴の戸に
あらハれけりな夜半のともし火

海原を出ると見えし月影は
南のそらにすミやのほらむ
慶長五年拾月日
(「薩藩旧記雑録 後編」3-1194)

ちなみに、この挽歌を捧げられた人物は 女性 です。
…拙HPの記述をいくつか修正しないといけないかも(^^;)
この女性の名前ですが、前書きから「妙諦」という法名は分かるのですが、生前の名前は不明です。

島津義久が挽歌を捧げた女性というのは今まで2名確認していまして、
(1)島津御隅(義久の伯母、島津忠良の次女、樺山善久の妻)
(2)広瀬氏(または園田氏、通称「宰相殿」、島津義弘の妻) 挽歌についてはこちら参照
です。2名とも重要人物の妻であり、義久の近親者であることから、この女性もかなりの重要人物だったのではないかと思われます。
この女性の正体をいくつか推測させるヒントはありまして、
1)最初「島津家の挽歌は通常頭に「南無阿弥陀仏」をつける」と書きましたが、この女性は「妙法蓮華経」であること
2)法名
から見て、法華宗(日蓮宗)信者だったのではないかと思われます。島津家に縁の深い人物で、かつ、法華宗信者であるとなると、義久の後妻・種子島時尭の娘の関係者ではないかと思われますが…。

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