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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
かなり以前にこの本の話はちらっと書いたことがあるのですが、どうしても気になって、やっと本を取り寄せられました。

読んでみると、今田記述は事前に調べていたよりもっと多かったことが判りました。
かなり長文なのですが、頑張って紹介してみます(涙)

そして、全部読んでみると、田中隆吉が今田に持っていた印象がかいまみえます。
この本の編者である粟屋憲太郎氏は田中隆吉に対してどちらかというと好意的な印象を持っているように解説を読んで感じたのですが、わたしは…うーむ、ますます田中隆吉という人物はなんというか「小さいやつだなあ」、と…

ではまいる。

第一回尋問(1946年2月19日)
(中略)
問 今度は、その件の尋問のための背景的事項についてです。戦闘が始まった夜、南満州鉄道線路のうち、奉天のすぐ北の部分を中国側が爆破しなかったのは事実ですね。
答 それは、日本側の手で行われた物と確信しております。
問 日本人自らが実行したのですか。
答 そうです。しかし、あなたにあらかじめご注意を申しておきます。石原は、それを認めずに支那側がそれを行ったのだ、と主張するかも知れません。兵務局長として私が行った調査により、問題の行為を実行した人物は、当時は少佐で、後に少将になった、今田新太郎という名前の人物であることが判明しています。
問 現在、その人物は生存していますか。
答 今でも生存していると思います。彼はどこかボルネオ辺りにいるはずであります。
(中略)
問 あなたの調査で、前述の哨戒隊が本当に銃撃されたことが明らかになりましたか。
答 この点について、私の立場をはっきりさせておきたいと思います。今あなたにお話ししていることは、私が、信用しうる情報筋から聞いたことであります。銃撃があったのは確かであり、その銃撃は、今田大佐に率いられていた日本人または支那人のどちらかによる物であったと思います。実際、事件の中のこの部分が謎として残っていますが、日本では、私と同じような考え方をする人はほとんど見あたらないでしょう。真実は、今田と石原を尋問することによってしか知り得ないでしょう。但し、その両人が、全面的な供述をしてくれることが前提であります。
問 それでは、河本中尉というこの人物は、計画のことを知らなかったし、それについて何らの情報も持っていなかったと思いますか。
答 日本国民の大部分は、支那側が鉄道線路を爆破したのだ、と主張するだろうと思います。今田は私の親しい仲間であり、この件に関連して彼の名前を出したくはありません。石原も、私の親しい仲間であります。
(後略)
p.24~26
<補足>
・その件の:満州事変のこと この話に至るまでに張作霖爆殺事件から満州事変のさわりまでの尋問が終了している
・石原:ご存じ石原莞爾である、念のため
・兵務局長として私が行った調査により:なんで兵務局長(昭和15~17年)になった田中隆吉が調査する必要があるのか疑問 「俺が調べた」とアピールするための発言か。ちなみに兵務局は「軍紀・風紀の監督部署」だという。歴代局長は阿南惟幾とか今村均とか中村明人とか堅物揃いで、川島芳子と浮名を流した田中隆吉がどうしてこの役職になってしまったのか、確かに疑問である。1938年に陸軍省兵務課長になったことがある(p.110)ようなので、その流れでうっかり、と言う事だろうか。
・当時は少佐で:当時は「大尉」である 記憶力が良いと言われる田中隆吉だが、どうも階級に関しては覚えるのが苦手だったとみえ、微妙な間違いが多い。この直後に「今田大佐」と今度は3段階昇級してるし(苦笑)
・前述の哨戒隊:河本末守中尉(当時)率いる哨戒隊…の一部が、実際は線路爆破に荷担させられたのであった。
・今田は私の親しい仲間:そうかあ?(^^;)石原莞爾ともそんなに仲良いようには… これも「私はこんな親しい人の秘密も無理してしゃべってるんですよ-」というポーズのように見受けられる。
第11回尋問(1946年3月19日)
(中略)
問 南満州鉄道が爆破された、つまり、奉天で鉄道線路の一部が爆破されたあと、あなたは、大川博士が、東京においてその計画に背後で関わっていたという話を聞きましたか。
答 私は、上海にいた頃にそのことを聞きました。
問 だれからですか。
答 その年の9月19日の朝、関東軍司令部から日本大使館に送られてきた至急電報によりその情報を受けました。
問 その電報には、どのような情報が含まれていましたか。
答 それは、ごく簡潔な電報でした。電文は、「奉天の支那軍、南満州鉄道の一部を破壊せり」といったような内容でした。
問 それでは、あなたは、その後どの位の時間が経過してから、この部分が実際には日本陸軍によって破壊されたのだと言うことを聞いたのですか。
答 それは、その翌年の3月または1942年頃だったと思います。岡村寧次大佐からその知らせを聞きました。彼は私に、今田(新太郎)大尉-大尉だったか少佐だったかわかりませんが-がその仕事をやらかしたのだ、と言いました。
問 それでは、彼は、今田が実際に鉄道線路のこの部分を爆破した、と言ったのですか。
答 彼は、今田がしたと言う事を暗に意味するような言い方でそれを表現しました。私は、今田が、鉄道のその部分の破壊を命令されたすべての支那人を殺害したと言われていたことを、今でも覚えています。
(後略)
p.109
<補足>
・大川博士:大川周明 第11回尋問の主なテーマは大川周明である
・岡村寧次大佐から~:岡村寧次はバーデンバーデンの3人衆の一人で、最終的には支那総軍総司令官になっている。今まで見た史料の印象では、岡村と田中隆吉がそんなに親しいとは思われないのだが、岡村が張作霖爆殺事件の首謀者である河本大作をかばったりしていたのは事実(『支那総軍総司令官岡村寧次大将』)なので満州事変の真相についても何らかの情報を知っていた可能性はある。
・今田が~支那人を殺害した:粟屋氏の補足によると「張作霖爆殺事件と混同しているのではないか」とのこと(p.344)
第18回尋問(1946年3月29日)
問 今朝は神兵隊について話して頂きましょう。
(中略)
問 そのような暗殺を企てるため、神兵隊は、どのように組織されたのですか。
答 これら3人、すなわち天野辰雄、前田虎雄、今田新太郎少佐がこの集団の計画を作ったのです。
問 彼らは、神兵隊の首領だったのですか。
答 彼らのうちの前の二人は、神兵隊の名目上の首領でした。主導者の首領はいませんでした。これら三人がその中心になっていました。しかし、名目上は天野辰雄と前田虎雄が首領でした。今田新太郎は、参謀本部の出身でした。彼は、1931年の満州事変に関わっていました。彼が線路を破壊したのです。
問 犬養の暗殺は、神兵隊事件と呼ばれたのですか。
答 いいえ、それは5.15事件と呼ばれました。今田新太郎は天野と前田に武器を与え、今度は彼らがその武器を神兵隊に与えたのです。その後、警察はこの事件に関わった人物200人を探し出し、全員を逮捕しました。
問 その後彼らは裁判にかけられましたか。
答 彼らは裁判にかけられました。
問 普通の裁判所によってですか、軍法会議によってですか。
答 普通の裁判所によってです。陸軍大臣荒木将軍は、今田が起訴されないように彼を庇いました。軍法会議で今田少佐を裁くことは出来ませんでした。(後略)
p。183~184
何回か言及した神兵隊事件に関する話です。
田中隆吉曰く「今田が首謀者!!!」らしいですが、粟屋氏の解説によると「神兵隊事件に今田は干与していない、関係したのは山口三郎海軍中佐と安田銕之助予備役陸軍中佐である」(p.358)
"恩師の拳銃"騒動を田中隆吉が混同した可能性があるのかどうか。それとも判っていて今田の名前を偽証したのか。うーむ。
第24回尋問(1946年5月18日)
(中略)
ハイダー氏 将軍、あなたは、今田新太郎が1931年9月18日に鉄道線路を破壊したことを、どのようにして知ったのですか。
答 ヘルム氏がそのことをご存じです。
問 あなたは、今田が線路を破壊したことを、どのようにして知ったのですか。
答 私は、それについては今田から聞いていません。岡村寧次将軍がそのことについて私に話してくれました。彼は、南京にいます。
問 将軍、彼は、いつ頃あなたに話したのですか。
答 1936年3月頃でした。
問 (岡村)将軍は、彼(今田)がどのような方法で鉄道線路を破壊したかを話しましたか。
答 岡村は私に、彼(岡村)は今田がそれを実行したと推測している、と言いました。もっと詳しく知りたければ、柴山兼四郎中将にお尋ねになる方がよいと思います。
問 彼は、東京にいるのですか。
答 彼は元陸軍次官です。彼は、病気ではありますが、東京にいると思います。ハイダーさん、その人物が1931年のあの事変について詳しく知っていると言うことを、なぜ私が知っているのか、お話ししたいと思います。イマダは大尉でした。その当時柴山は司令官(ママ)でした。当時、柴山は、張作霖の顧問をしていました。今田は柴山の補佐官でした。彼は司令官の補佐官ではありましたが、しかし、彼らは全く仲が良くありませんでした。
マッケンジー氏 河本はあなたに、彼が張作霖を殺害した、と言いましたか。
答 彼自身が、私にそう言いました。
問 彼は、どのような方法でそれを行ったのですか。
答 河本は私に、極めて高性能の爆弾を陸橋に仕掛けた、と言いました。(鉄道)交差点にです。
問 列車全体が破壊されたのですか。
答 二輌ほどが破壊されました。満州事変が起こったとき、柴山は北京にいました。彼は、張作霖と一緒に行ったのです。その当時、柴山は張作霖(ママ)の補佐官で、今田は柴山の補佐官でした。訂正します、今田は張学良の顧問でした。
問 だれとだれが、仲が良くなかったのですか。
答 今田と柴山です。満州事変が起こったとき、柴山は、それについて大変に憤慨していました。柴山は、満州事変に反対の立場だったからです。柴山を召還すれば、今私が提供できるよりもっと多くの情報を提供してくれるでしょうし、提供できます。
(後略)
<補注>
・ヘルム氏:第11回尋問の尋問官
・柴山は司令官:実際はご存じのとおり張学良軍事顧問である。
・柴山は、それについて大変憤慨:事件当時、憤慨していたかどうかは判らないが、逆風の中一人で張学良の擁護をしていたのは事実である。拙ブログこちら参照
途中で張作霖爆殺事件に話が変わっているのに、また満州事変に話を引き戻している辺り、何が何でも満州事変、とりわけ今田が関係したという話をしたいという田中隆吉の"執念"を感じるのは私の気のせいでしょうか。今回の特徴は新たな証言者・柴山兼四郎の名前を明示したことです。この辺にも田中隆吉の"執念"を感じてしまいます。
ところで柴りんヾ(--;)と今田が仲悪いですか…そりゃ仲悪いでしょうな、だって今田は張学良顧問補佐官としての仕事をほとんどしてない…(^^;)

全体を通して、田中隆吉の今田証言について思ったこと。
田中隆吉はどうも今田には悪感情を抱いていたように見えます。満州事変についての証言を見ると、石原莞爾と板垣征四郎を首謀者と指摘はしている物の、彼らの性格や行動に関する言及は見られません。ところが今田に関しては
「今田がその事件に干与した支那人を全員殺害した」
「大暗殺計画の首謀者だった」
「上司と仲が悪かった」
…と、かなり受取手の印象が悪くなるように"誘導"しているように感じられました。
これは以前紹介した『敗戦を衝く』の後書きとはかなり異なる内容です。『敗戦を衝く』中公文庫版の初版刊行は昭和63年(1988年)。今田が柳条湖事件に関わったことは遠い昔にばれており(昭和32年(1957年))、今田の評価というのは地に落ちていて、田中隆吉サイドが今田を好意的に書く理由はないはずなんですが…。



今田以外も含めて、この本を読んで再度考えてみた「田中隆吉」と言う人物について
・秦郁彦氏が『昭和史の軍人たち』で「小心者」と評したのがこの田中隆吉ですが、その想定は当たっていると感じました。
・戦後直ぐに『敗戦をつく』『裁かれる歴史』等次々と暴露本を上梓します。これを粟屋憲太郎氏は「田中なりに日本陸軍の犯罪を謝罪しようとした」と評価していますが、私は「自分を追い出した陸軍への復讐」なのではないかと感じました。
・「(田中隆吉の)証言は信用できる」と高く評価している粟屋氏ですが、流石に武藤章に関する証言などに嘘が多いことは認めておられるようです。最も粟屋氏は「わざと嘘を付いた」のではなく「参謀本部と陸軍省という縦割りの弊害があり、実際に日米戦争を推進していた田中新一のことが判らなかったのだろう」(p.416)とされていますが、それにしても武藤に関する虚偽証言の執拗さは異常に感じました。
・個人的にざっと見た感想ですが、土肥原賢二についても虚偽の証言(泰緬鉄道建設での捕虜取り扱いの最高責任者と名指しされた p.193)や、印象を悪くするような証言(「彼に対する一般的な評判は、特に彼が酒を2,3杯飲んだときにはおしゃべりになると言うことであります」p.20 など)をよく見受けられます。同様の現象は兵務局の前任局長だった中村明人についても見られます(おべっかを使う人物だった、等 p.140)。
・田中隆吉に関しては生前に「うつ病」という判断はされていたようですが、先述の武藤に対する虚偽証言など特定の人物を陥れようとする傾向が認められます。その異様さには単なる精神病と言うだけではなくて、一種のパーソナリティ障害があったようにも感じられます、専門外なんで断定はできませんが。なお、この本によると、田中隆吉の祖父と父も自殺しています(p.301~307)。
・田中隆吉が自殺未遂を起こしたのは、自分の干与を隠し、他の同僚の罪を誇大報告、或いは嘘を交えて証言したことで自分のもくろみ通り同僚が刑に服したり或いは死刑になったところまでは予定通りだったのですが、そのあとアメリカに逃亡する計画が土壇場でご破算になり(『昭和史の軍人たち』)、生き残り軍人や遺族の非難の声が大きくなってくるにつれて、それに耐えられなくなった、と言う所でしょうか。でも、結局78歳まで生きたのですから、今田に比べりゃ勝ち組でしょう。憎まれっ子は世にはばかるのだ。

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