拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
今田新太郎は昭和24年8月29日死去するが、その前後のことを記した資料はほとんどないことを今までもよく言及してきた。わずかに『日本憲兵正史』に
※「この縁」とは、今田新太郎が参謀本部戦争計画課時代に、水野成夫、南喜一を引き立てて国策パルプ株式会社設立に至る端緒を作った件
※水野成夫は後フジサンケイグループ会長
※南喜一は後ヤクルト社長
が
この縁で、今田新太郎の葬儀は水野成夫が葬儀委員長となって盛大に執り行われたとあるくらいである。
※「この縁」とは、今田新太郎が参謀本部戦争計画課時代に、水野成夫、南喜一を引き立てて国策パルプ株式会社設立に至る端緒を作った件
※水野成夫は後フジサンケイグループ会長
※南喜一は後ヤクルト社長
が
やっとの事で入手した『追悼録-陸士第30期生同期生会-』の「今田新太郎君を偲う」(高嶋辰彦)に、だいたいのことが尽くされていた。
…
ネタバレになるので今は詳細は書かない。
ただ、私はこのコピーを読んで本当に泣いたし、
今田新太郎という希有の人物をこういう目にあわした日本という国を呪っている。
高嶋の結尾の文のみ引用しておく。
何度も言うが、高嶋は本当にいい人なんだと思う。二人の間には多分色々あったのではないかと思われるが、高嶋という親友がいたことは悲しいことが多かった今田の人生の数少ない救いの一つだと思う。
おまけ
今田の若いときの写真が一枚だけ載っています。軍服姿じゃないのが難ですが、超イケメン。でも、満州に行ったときの写真とかなり違いすぎるんですが…。
おまけ2
同期生に「調所賢輔」と言う人がいるらしい。
まさかと思うがあの調所笑左衛門の末裔?
…
ネタバレになるので今は詳細は書かない。
ただ、私はこのコピーを読んで本当に泣いたし、
今田新太郎という希有の人物をこういう目にあわした日本という国を呪っている。
高嶋の結尾の文のみ引用しておく。
白みゆくきざしも見えぬ国なるを戦死ではなかった今田を"英霊"と書いているところが興味深い。
誓いし君にいかにわびなん
この一首を当時私は、密かに君の英霊にささげたことを、寸時も忘れてはおらぬ。君の英霊に励まされつつ、その尊かりし意思の一端にても果たすべく、私は今乏しきに鞭打つ残生を送っている。
何度も言うが、高嶋は本当にいい人なんだと思う。二人の間には多分色々あったのではないかと思われるが、高嶋という親友がいたことは悲しいことが多かった今田の人生の数少ない救いの一つだと思う。
おまけ
今田の若いときの写真が一枚だけ載っています。軍服姿じゃないのが難ですが、超イケメン。でも、満州に行ったときの写真とかなり違いすぎるんですが…。
おまけ2
同期生に「調所賢輔」と言う人がいるらしい。
まさかと思うがあの調所笑左衛門の末裔?
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