拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
検索でこんな話をひらったのだが、本当かな。この二人の性格ならあり得そうだけど。
「新疆偵察」というのは昭和8年(1933年)の神兵隊事件の時に今田新太郎が関与を疑われて捜索逃れのために何故か辻政信をおまけに付けた上で(^^;)出張に飛ばされた話のこと、「キーナン検事の助言者となった某少将」とは皆様お察しの通りの「陸軍のモンスター」こと田中隆吉と思われる。辻のクセにヾ(--;)一応匿名にしたようだ(※この当時田中隆吉はまだ生存していた)。
まあしかしこの文章、強烈なメンバーですな。日本陸軍のエイリアン辻、日本陸軍のプレデター田中隆吉…戦後の今田の周りはこんな濃い状態になっていたのか。
しかし辻ーん談の「彼は正直者だから」と言う所になんか悪意を感じてしまうのは、私が穿った見かたしてるからでしょうか。
某田中隆吉少将ヾ(--;)の「あれは東條以上の戦犯!」というのは何となく同意。
私は日本へ帰った時、新彊偵察に同行した今田新太郎少将を訪ねた。すると彼は正直者だから、アメリカに頼んで私の命乞いをしようと思いついたらしい。キーナン検事の助言者となった某少将に、そのことを頼みに行った。なお文中に出てくる
ところが、某少将は直ちにアメリカ側に密告して、『辻が帰った。あれは東條以上の戦犯だから捕まえろ』と。
それを聴いたのがオニール・フランク大佐という検事だが、言葉の途中で耳に蓋をして、『そんなことは聴きたくない。日本人が日本人を密告するとは何事か、僕が辻だったら、同じ行動をとったろう』と言ったそうである。
このことはずっと後になってわかった。二十六年八月、私が悪質の胃潰瘍で日赤病院に入り重態に陥ったころ、突然知らぬアメリカ人の見舞いを受けた。その米人はていねいに見舞ってくれた後、当時の真相を話して去った。
その人こそ、私を捕らえる立場にあった戦犯主任のオニール検事であった。私はアメリカ人は大嫌いだが、中にはこういう例外もあるらしい
(文春増刊号「沈潜忍苦の十年」より)
http://2chland.net/army/1015673299.html
「新疆偵察」というのは昭和8年(1933年)の神兵隊事件の時に今田新太郎が関与を疑われて捜索逃れのために何故か辻政信をおまけに付けた上で(^^;)出張に飛ばされた話のこと、「キーナン検事の助言者となった某少将」とは皆様お察しの通りの「陸軍のモンスター」こと田中隆吉と思われる。辻のクセにヾ(--;)一応匿名にしたようだ(※この当時田中隆吉はまだ生存していた)。
まあしかしこの文章、強烈なメンバーですな。日本陸軍のエイリアン辻、日本陸軍のプレデター田中隆吉…戦後の今田の周りはこんな濃い状態になっていたのか。
しかし辻ーん談の「彼は正直者だから」と言う所になんか悪意を感じてしまうのは、私が穿った見かたしてるからでしょうか。
某田中隆吉少将ヾ(--;)の「あれは東條以上の戦犯!」というのは何となく同意。
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