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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
前の話  

結局本は読めない代わりにひがなよがな「石原莞爾」でネット検索…(-_-;)これって元も子もないのでわ

面白かったのはこの辺りかな
礫川全治氏のブログ(他にも言及した項目がある)
この方、絶版になった戦中戦直後の本から探ってられるのですな。だからその場にいるかのような臨場感がある。
石原莞爾が先導し、東条英機ににらまれ、そして戦後GHQにより突如解散させられた「東亜連盟」、この会報をあの周恩来が読んでいた※注記に引用元を書きますとか…(○。○)
※注記
「『永久平和への道』いま、なぜ石原莞爾か」という書籍が一九八八年に出版された。その中に平澤光人氏が「東亜連盟の理念と実践」と題して投稿している。
「日中国交回復より三年ほど前のこと、当時田中角栄首相の相談相手で(中略)自民党代議士木村武雄氏が訪中し周恩来首相と面談した時、周総理は開口一番『今、日本の東亜連盟の同志はどうしていますか』と聞いた。」
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/5013/140_3.html
私も含めて戦後世代の人間は「満州事変をやっちまった人」という評価が一般的で、それのさらに極端なのが同郷のあの佐高信の評伝なんだろうが…あの本評判悪いみたいですね(をーい)

莞爾の弟・六郎氏はこうも言っていたそうだ。
「兄についていろんな本が出ていますが、私は兄の残した文しか読みません、そこに言いたかったことはすべてあります」
と。
そうなんだ、そうなんだろう…けど…あの膨大な量どうしろと…(-_-;)

全然石原莞爾についてまともな史料も本も読めないまま、考察を続きに(ヲイ)。

石原莞爾の有名な逸話にこれがある。知らなければモグリだ!でも公の場所では余りにも恥ずかしくてしゃべれない…
幼年学校時代、写生の宿題を常に出す教官がいたが、莞爾始め学生は毎回の課題に困っていた。
そこで莞爾、ある日こんな物を提出してしまった。
「課題に尽きたので、“私の宝”を書いて提出します」(現代語訳)
そこに描いてあったのは莞爾の「アレ」。当然担当教官大激怒、教官会議で莞爾の退学も検討されたが、結局士官出身教官の「ま、こういうのもおおらかでいいんじゃないの?」と言う一言で無罪放免。写生担当教官は絶望の余り、辞表を出したらしい…。

その後、検索で調べて気が付いたのだが、何の因果かその後の莞爾の人生はこの「アレ」のトラブルとの戦いの歴史でもあった。あ、熱心+敬虔な日蓮教徒の莞爾ですから女性問題の酷い人じゃないデスよ誤解無きように。

・士官学校の乗馬の授業中落馬。この時の負傷が原因で睾丸が半分つぶれ、満州時代には歩行に支障を来すほどだったという。
・仙台時代(昭和初年度)に高熱で入院、そこで睾丸に初期ガンを見つけられる。その後何回も再発、死因も是だった。(ネットで見つけた弟・六郎氏の石原テイ(莞爾夫人)死去時の礼状より http://www.geocities.jp/heiwa_ishiwara_kanji/shiryo8.htm)
元資料が不明なのだが、こういう話もある。
昭和三年中耳炎に罹った。重症で頭蓋骨に穴を開ける手術の直前まで行った。昭和九年露営中に木炭中毒に罹り八年間不整脈になった。連隊長時代が一番悪く、二階の連隊長室に行くにも息が切れ手が痺れて乗馬の手綱を握れないこともあった。満州事変のときは中耳炎の後遺症か発熱が続き横臥して執務した。昭和七年膀胱腫瘍に罹った。
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/5013/140_2.html

-わたしは御覧のように戦国時代~江戸初期の鹿児島藩・島津氏の女性が主な守備範囲である。「閨閥関係に基づいて武家の関係を明らかにしようとする」…と言えばかっこは良いけど、そもそもは
「島津亀寿ってたまに出てくるけど誰よ。島津義久には子孫いないらしいけどホントなのかな。」
…と言うきわめてマニアックな、かつワイドショー的な興味から調べ始めたのである(^^;)
その成果の一部が拙HPなわけですが。
こういう視点から見ると、上の「石原莞爾の“アレ”事件」,単なる偶然とは見過ごせないのである。
莞爾は最初の結婚を1年持たずに失敗している。後妻のテイ子夫人との間にも子供はいなかった。これは士官学校時代の落馬事件が原因になっているのはまず間違いないだろう。後に40代の頃に初期ガンを見つけられてしまうが、この場所も落馬事件で負傷した場所である。ガンの原因は色々あるけれど、落馬による負傷が遠因となっていた可能性はあるだろう、と言うか莞爾自身がそう考えていたかも知れない。
敬虔な日蓮教徒の莞爾がいろんな事件の積み重ねの末、自分の残り少ない余命(実際は1949年になくなりますが)を思い、
「自分の考えている“あの計画”を早く実現せねば」
と思い込んだことは容易に想像できます。-それこそが現代「満州事変」と命名されているあの事件です。
あの計画は、ブラックマンデー以後不況にあえぐ日本への救世主だった、莞爾の理想とする「五族共和」の楽園を築くはずだった…子供のいない莞爾にとって我が子同然の物だった…
-結局その計画は色々あって破たんし、肝心の莞爾自身がそこから追われた結果は皆様の方がよくご存じでしょう。
その後莞爾は「東亜連盟」の顧問となり戦時下の日本に於いてほぼ唯一の抵抗勢力と化すわけですが、この強硬さは「我が子をぶっ殺した政府・軍部に対する逆襲」とすると、すごく腑に落ちる私がいるわけです、余りにもナイーブかな。

おまけ
「敬虔なキリスト教徒」と形容詞が付く新島襄や細川ガラシャは綺麗なイメージが浮かぶのに
これが
「敬虔な日蓮教徒」となると途端に胡散臭くなってしまうなんでだろ~ヾ(--;)

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某所負傷
真っ先に浮かんだのが勝海舟(爆

そっち方面に後遺症あるって、メンタル的に影響しそうです^^;

>胡散臭い

原理主義に突っ走って、周囲が置いてけぼりになるからじゃないでしょうか^^;

>閨閥

この類は調べ始めるとはまりますよね^^

あそことあそこが突然、敵対関係何故に?
って調べるとあそこがあそこの敵と縁戚になってたぞ

ってオチがチラホラ^^;
そのくせ女性の記録が少ないから、結婚した時期は年度不明だったり

道産子の自分には、そのためだけに史料を手に入れるって事が財布的に無理なんで、そこまでで諦めちゃいます^^;


御苦労、お察しします(汗
時乃栞 URL 2013/03/24(Sun)01:50:58 編集
re:某所負傷
時乃栞様コメントありがとうございます。

勝海舟もスネにキズならぬそこにキズが…笑い事じゃないな しかしその話は知りませんでした。
でも海舟は石原莞爾と違って子だくさんの上にお妾さんに生ませた子も多いみたいですね。

閑話休題
閨閥とか家族関係とか調べるとはまるんですよね。しかも戦国時代は家族関係からその当時の政治情勢とかまで分かってしまうので…
コピー代の捻出は正直つらいです(爆)
ばんない 2013/03/27(Wed)01:18:54 編集
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