拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
慶長13年は島津義弘の妻・宰相殿が死んで1年目に当たります。
その法要の際に義久が詠んだとされる追悼歌。
その法要の際に義久が詠んだとされる追悼歌。
中略したところと後略したところには他の人の追悼歌(?)があるのですが、それは別項にて。「雑抄」
「正文在不断光院」
「家久公御譜中ニ在り」
実窓芳眞大姉当一周忌、別恨又新拭却涙痕、作句書之以呈和尚、而述追悼云、
葉盡孤村見夜灯
慶長十三年二月朔日 家久(花押)
不断光院
(中略)
龍伯御追善之御歌
かの実窓芳眞大姉こゝ地れいならす病床にふし、日数をふるほとにいれうを求め、有験の僧を尋ねいのり、かちし、さまゝなりしかと、つねならさるならひのかれかたく、世をはやうせしを悲ミ、人〃歌たてまつるにもよほされ、一首をつらね霊前に手向るものならし、
御仏の跡したひてやさかりなるはなも散行二月の空
(後略)
(「薩藩旧記雑録」後編4-422、423)
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