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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
前回の話はこちら


「呉服師由緒書」に掲載された後藤縫殿丞・松林家の記述は庄三郎家の由緒書きが10代に渡りかなりの分量なのに対し、少な目です。それどころか、同じ「呉服師由緒書」に掲載された茶屋四郎次郎家の記述の分量の半分もないくらいなのです。しかし、江戸時代初期に後藤庄三郎・角倉了以と並び賞された茶屋四郎次郎家より先に掲載されたところから見て、この「呉服師由緒書」が作成された頃には後藤縫殿丞・松林家の格は茶屋四郎次郎家より上と思われていたのかも知れません。

では本文紹介。短いので頑張って全文掲示します。
            高現米貳百石 呉服師 後藤縫殿丞
後藤 松林

一 先祖、権現様三州岡崎御在城被為成候時節、御呉服御用、其他御内證御使御奉公奉相勤候、二代目後藤源左衛門忠正儀は、島津○○守弟長徳倅に而、永禄四年五歳の時、於駿州権現様上意に而、松林養子仕候、親松林御奉公仕候御由緒を以、源左衛門代従権現様御切米現米貳百石拝領仕候、其上源左衛門惣領後藤長八郎忠直、天正十二年遠州浜松に而出生、十二歳の時台徳院江被召出、御小姓御奉公仕、慶長五年信州上田城主真田安房守反逆、石田三成反逆の節御出陣の供奉仕、忠直始終不奉離御側、若年に候得共軍功有之候に付、御帰陣以後相州瀬谷領地拝領仕候、同八年病死仕、遺跡源左衛門三男清三郎言勝江被下置、慶長十年台徳院様江被召出、大坂寅卯両度の御陣供奉仕、其後大猷院様江被召出、上総国大多喜領○両所知行五百石拝領仕候、
権現様より先祖源左衛門拝領物、今以所持仕候
一 丸壺御茶入
一 若狭盆
右の外、品々拝領物度々焼失仕

一 往古御上洛の砌、御装束御道具類品々奉預、京都二條御城内御蔵江相納、に今支配仕、毎年御城内江罷出、虫干仕候、勿論御所司代御り御○中御引渡の節、御立会に而御見分御座候、
但、右の内御装束は、延宝六年御殿番三○市郎兵衛方へ相渡申候、
台徳院様、江戸御城入の御時より、御本丸御広敷江、私先祖より御出入被為仰付、今以相違し無御座候、尤御広敷御掛板、御奉書の末に、私御記御座候、元和三年練御小袖被仰付候付、伏見於御城、白糸十七丸奉請取縫立共出来、奉指上候、崇源院様、天樹院様、大姫様、高同様御召并御道呉服共、私方より指上申候、勿論御代々御台様、姫君様方、御部屋様方御召御呉服御用、古来より奉相勤候、

一 東福門院様ご誕生の節は不及申、元和七年御入内の節、御式正御呉服御用相勤、并従京都江戸表にて御方々様江被為進物、并御女中方御留守居方江被下御時服其外共、都而私方江被仰付奉寵臣候、大猷院様竹千代様と奉称候節、御局春日殿、三代目縫殿允益勝江被仰候は、竹千代様御不自由被遊御座候間、御内證諸御用の御賄共承候様被仰、其節御諸懇の被仰渡茂有之、御用御奉公に奉相勤候、

一 寛永四丁卯年九月四日口宣頂戴仕候写
口宣案
上卿 日野大納言
寛永四年九月四日 宣旨
藤原益勝
宣任縫殿允
蔵人頭右近衛権中将藤原基○
右口宣案今所持仕候、
 
以上です。

1節目では、以前拙HPのこちらで紹介したように、島津長徳の息子が後藤松林(少林)の養子となったことが書かれています。私が参考にした資料では養子先の後藤家のことが全く分からなかったのですが、「由緒書」によるとどうも徳川家の譜代の旗本のようですね。蛇足ですが島津長徳の出自について「島津○○守弟」と欠字になっているのが興味深いです。もしかしたら元史料の虫損じゃなくて、本当に伏せ字だったのかも。譜代の旗本の実家が外様の大大名となるといろいろやばそうですから。

2節目~最終節では、そのような譜代の侍がなぜ呉服師という商人になっていったのかを説明しています。当初二条城にあった将軍家の衣裳の管理をしていたのですが、それがきっかけとなって大奥に収める着物を扱うようになり、商人へと転じていったようです。
しかし、巻頭に書かれているように幕府からは「200石」という領地も拝領しており、半士半商という妙な立場だったのでしょうか?この辺り、私は幕府御用商人というのが余り分からないので何とも言えませんが…。


「後藤庄三郎由緒書」「呉服師由緒書」を所収した『徳川時代商業叢書』の前書き(緒言)では、その後の後藤縫殿允(縫殿助)家についてこう説明しています。
後藤縫殿介は世に呉服後藤と称へて金座後藤と区別す。其子孫今も東京に在りて「竹千代様家光御内證御申御賄共承候様被仰御諸懇の被仰渡義有之」し時の書類等を伝承せり。故に家光襲職の後は大に勢力を得て永く其家繁栄せり。其旧地は一石橋を隔てて金座後藤と相対せり。
江戸時代に繁栄した呉服屋の多くは、明治以降は百貨店業に転じたところが多いように思うのですが(越後屋→三越、松阪屋、伊勢丹、高島屋、大丸など)、後藤家が百貨店業に転じたという話は存じません。おそらく幕府御用商人という立場から考えて、明治維新と共に没落したのでしょう。

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無題
初めまして。私の母方の祖母の祖母は呉服の後藤家からお嫁にいらしたそうでした。祖母の回想録を読んでそれはどのような家だったのだろう?と思っていたので、いろいろお教え頂きました。ありがとう御座いました。
ymp 2013/09/24(Tue)07:38:44 編集
無題
はじめまして。コメントありがとうございます。

後藤家はymp様のご先祖のひとりだったんですね。恐らく、お祖母様の頃までは幕府御用商人だった頃の名残が残っていて豪奢な暮らしぶりだったのでは、等と勝手に想像しております。

この記事を読んで下されば判るように、後藤家に関心を持ったのは失礼ながらついでと言うことで…専門から外れるので、詰めが甘いところ等あるように思います。

またご子孫の目で見られて何か気になる点があればご助言下されば参考になります。
今後とも拙ブログを宜しくお願いします
ばんない 2013/09/25(Wed)02:26:28 編集
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