拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
「町田氏正統系図」久幸 文禄4年条「高山山下善之丞年代記」(『鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺家分け3」所収)
その前の文章もおもしろい。義久が冨隈城に移ったときについていったメンバーの一覧なのだが、源七郎(島津忠直、島津豊久の弟)、北郷四郎左衛門(おそらく北郷久村、北郷三久の弟)、そしてこの町田久幸etcと次世代シマズンの若手精鋭メンバー。ただ、その後町田久幸が島津家久(忠恒)によって家老に抜擢されたり、島津忠直が病弱を理由に家督を辞退して隠遁するなど、このメンバーの多くは義久の元を去ってしまったようだ・・・。
龍伯様、冨隈へ鹿児嶋より御座御直し被成候、12日、幸侃冨隈同時に移ル
あるぇ~、確か山本博文氏のお説では伊集院幸侃は義弘派だったはず・・・なんだが。
その前の文章もおもしろい。義久が冨隈城に移ったときについていったメンバーの一覧なのだが、源七郎(島津忠直、島津豊久の弟)、北郷四郎左衛門(おそらく北郷久村、北郷三久の弟)、そしてこの町田久幸etcと次世代シマズンの若手精鋭メンバー。ただ、その後町田久幸が島津家久(忠恒)によって家老に抜擢されたり、島津忠直が病弱を理由に家督を辞退して隠遁するなど、このメンバーの多くは義久の元を去ってしまったようだ・・・。
PR
Comment
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。