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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
今日ご紹介させて頂く本は『悪政・銃声・乱世』実はサブタイトルに「児玉誉士夫自伝」とついております(○。○)
…私の年代にとっては児玉誉士夫っつーと「ロッキード事件の児玉さん」と言うイメージしかないんだけどなあ(これで私の年齢が分かろう物である_| ̄|○)
本をざっと見た経歴によると
・福島県二本松出身 …どうもこの人も東条英機同様「とーほぐの怨念」を背負って成長したようです…ちなみに祖父は二本松藩士だったよう
・家は大変な貧困にあえいでおり、母も早世、あちこちに養子にやられたり丁稚奉公に出されたりしてかなり苦労したようです
・その中で財閥や上流階級ばっかり儲かる世の中に疑問を感じ、左翼運動に入るが…赤旗振ってソビエトソビエトばっかり唱えているという行動に疑問が出てくる
・同じ下層階級を救おうという思想でも北一輝の方に光を感じて、そちらに身を投じることに
・…が、その後は警察と対立して始終牢獄にぶち込まれる日々(^^;) 児玉曰く「昭和の初期あたりは右翼の方が目立ってたためか、特高は左翼より右翼の方に締め付け厳しかったよ」(p.61)
…まあ、乱暴なまとめですが、これが児玉の前半生でした。
タイトルは戦前(→悪政)、戦中(→銃声)、乱世(→戦後)を表しているとのこと(林房雄前書き)。
ネット検索で、この本に今田の話が載ってるらしいと知ったときはビックリしました。

ではその該当の場所を参る。
…でも、今田が出ている箇所って1箇所しかなかった…_| ̄|○
だが、じぶんはここで、満州事変の発端と言うべき、例の"柳条溝の武力衝突"の首謀者が誰であるかを述べる必要はないと思う。ただこのさい、本事変にかんけいした同志について少しばかり言うと、かつて、東京世田谷の松陰神社社頭でおこなわれた、「青年前衛隊」の結盟式に参加した片岡駿及び奥戸足百(たるお)の諸君が、そのご満州へおもむき、青いシナ服を着て、満州人とも見られるすがたに変装し、今田新太郎大尉らと一しょになって、決死的な働きをしていたことを述べておこう。
p.69
<少しだけ補足>
・かつて、東京世田谷の~:同本のp.59の記述によると、昭和6年3月中旬頃、大川周明主催の「行地社」を中心としていくつかの国家主義団体が統合し「全日本愛国者共同闘争協議会」成る団体を結成したのだが、その中から50人の若者が選抜されて"青年前衛隊"を結成し、昭和初期の数々の騒動に関わっていく(児玉曰く、血盟団事件、5.15事件、神兵隊事件、2.26事件に関わった若者の多くがこの青年前衛隊に所属していたことがあったという)。この青年前衛隊の隊長が狩野敏、副長が奥戸足百だったという。

さて、上の文章で注目点があります。
詳しい説明は「つづきはこちら」をクリック


先述の文章の注目点は今田!…じゃなくて_(。_゜)/、今まで幾度も「満州の今田の下宿に同居していた」と書いてきた奥戸足百という人物。さて、みなさま。この人の名前をなんと呼ぶかご存じであろうか?
実は私も全く知らなかったのだ!(をい)
ネットを検索してみても
オクド ソクヒャク【奥戸足百】『悲願集』1936/奥戸・影山両君獄中吟詠集出版後援會/200p/20cm
http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/library/0o.html
※下線はばんない補足
と言うのがある程度である。
ところが、上の文章では「奥戸足百」について”たるお”と言うルビが振ってあるのである。
児玉は戦後も奥戸と共に行動し、また、『笠木良明遺芳録』では奥戸と共に座談会に参加するなどの所から見て、奥戸とはかなり親しかったと思われるので、このルビに先ず間違いはないと断定できるだろう。

あとついでにヾ(--;)
上記の今田情報だが、どうも文章の書き方から見て、片岡駿(児玉はこの人とも『笠木良明遺芳録』座談会で同席)か奥戸からの又聞きのように思え、児玉自身は今田に面識が無かったんではないかと思う…



以下、今田は出てこないが興味深い話をいくつか。
天行会道場は、頭山満先生の三男、秀三氏が主催しており、「血盟団事件」が起きたその頃から、国家改造を志す同友愛国の士がここを根城にして集まり、国事に奔走していた。
(中略)
われわれが、天行会道場に参集して、頭山秀三氏を中心に度々論議を交わした結果、「ここで一番、もう一押しして事を起こせば、軍部の有志達も立ち上がって協力せざるを得なくなるだろう」「さすれば、現在の政党政治はいやでもついえさり、国家機構の改造は達成できる」との結論を得た。
(中略)
さて、いよいよ準備も一応ととのったので、自分は受け持ちの関係から富山の原隊にいくたびも足を運び、陸軍の花谷正中佐と会見した。花谷中佐は、陸軍の中での名だたる革新派で、しかも満州事変の立役者の一人だった。
p.88~90
<補足>
・頭山秀三:…の父である頭山満が今田の父・主税と親しかったのは何度も書いてきたとおり
・われわれ:この本によると、頭山秀三の親友・紅田論徳、朝日新聞上海特派員・浦上四郎、岡田理平(アメリカで排日運動が激化したときに在日アメリカ大使館に侵入して国旗を引きずり下ろすという騒動を起こしたらしい)などがいたという
しかし、あの花谷ともつながりがあったのか、児玉。ただし戦後は児玉の方が日の当たる場所にいて、花谷は「劇団ひとり」ならぬ「右翼ひとり」だったみたいですが。
当時、京都の師団長をしていた石原莞爾将軍から、「南京の総司令部に、立派な参謀がいるから紹介する」といって、引き合わされたのが辻政信少佐であった。その頃の辻少佐は、例の"ノモンハン"事件の戦闘の後、南京の総司令部へ戻ってきて、同所の片隅の小さな別棟で、怏々としてたのしまなかったらしい。じぶんがたずねていくと、「オレをまるで気違いあつかいして、こんなところへ入れてしまったんだ」と苦笑いした。
後日、板垣征四郎総軍参謀長の名において発せられた、「派遣軍将兵に告ぐ!」という、在華日本軍将兵をいましめる草稿を、もくもくとつづっていたのもこの時分のころである。
p.125
<補足>
・石原莞爾:実はこの本読んでも児玉と莞爾のなれそめがよく分からない。なお、莞爾が京都の第16師団長をしていたのは昭和15年~16年の間になる。
・立派な参謀:莞爾はあの辻ーんをそう評価してたんですかそうですか(棒読み)
・同所の小さな別棟:実はここには我等の宴会部長ヾ(--;)事桜井徳太郎も一緒に押し込められていたことは先述
・オレを気違いあつかい:いや、それでもまだ緩い処分だと思われますが、何か?(^^;)
・「派遣軍将兵に告ぐ」:野村乙二朗氏によると、これによる石原莞爾ブーム(東亜同盟ブーム)の高まりが、反石原閥(梅津美治郎、東条英機など)を硬化させて、石原の予備役送りに繋がったのではないかとする(『毅然たる孤独 石原莞爾の肖像』)
この頃になると児玉はかなり出世して、外務省の嘱託になるほどになっています。満州国設立時に笠井良明に紹介されたのが大きかったようで、笠井から次に外務省の河相達夫に紹介され、そこからは次から次へと…となります。
…が、ここでどういうきっかけか石原莞爾に面識が出来たことが原因で、笠井に絶交されたのでした(爆)
辻との御縁はこの後も続いたらしく、中国での匪賊団との提携を現地駐屯軍を振り切って成功させた際にも辻の口添えがあり(p.157)、また、戦後日本国内を潜行逃亡中の辻をかくまった一人が児玉で、その時の証拠写真も掲載されていました(p.243) → 
万死に値する。ヾ(--;)
16年の5月、じぶんは突然、参謀本部の命令で、日本へよびもどされた。出発前に、南京総軍の今井武夫大佐から、
「きみが"東亜連盟"のことで、石原莞爾将軍と通謀し、連絡していたのが問題となり、東条陸相がきみを、このさい辞めさせようとの考えらしい。」
と、いいにくそうに語った。じぶんは、東条陸相から南京の総司令部にあらかじめそのような趣旨を通達してよこし、総司令部はまた、私と日ごろじっ懇の今井大佐に、その意思をつたえさせたものと解釈した。
石原将軍は当時、日本に戻っていられたが、南京総軍の辻政信中佐や、民間の田村真作君、それから後には緒方竹虎さんなども加わって、重慶側との折衝工作に重要な役割をつとめた中国人の”繆斌”らと提携し、大陸における「東亜連盟」の運動を積極的に展開しつつあった。そしてじぶんが、石原将軍とのいろんな連絡に当たっていたことも事実であった。
(中略)
石原将軍の、満州建国に対する構想と理念もそうだったし、日支事変もまた、恐らくここに基盤を置いて処理収拾しようと図ったかに思える。だから、板垣征四郎中将が南京の派遣軍総参謀長となるに及び、辻政信中佐等と東亜連盟運動を推し進め、"派遣軍将兵に告ぐ"という声明書を総軍の名で発表し、所謂民族協和の必要性を力説したのだった。
すなわち、日本軍の帝国主義的な行動を戒めることにつとめたわけであるが、本国の軍首脳はこの考えに反対して、板垣将軍は、間もなく朝鮮軍司令官に、辻政信氏もまた台湾軍に追いやられてしまった。
当時、石原少将は、大佐の地位にしか過ぎぬ舞鶴要塞司令官という官職につかされていたが、やがて中将に進級、京都の留守第16師団司令部付きとなり、さらに師団長となった。しかし、希有の天才と見られた石原将軍が、軍人としての命脈を絶つに至ったのはそれから間もないことで、一説によると、大東亜戦争に対して、全面的に反対だったことが主たる原因であったらしい。
p.128~130
<補足>
・今井武夫大佐:陸士30期、つまり今田とは同窓生。今田よりやや遅れて参謀本部支那班に移動、満州事変時にはあの今村均に同行(鞄持ち)して関東軍に幽閉同然の扱いをされるなどえらい目に会う。今田が日本本国でトラウトマン工作など日中和平に尽力する中、今井は在中国武官としてやはり和平に尽力していた。しかしその後は石原莞爾派であった今田は左遷の憂き目に遭い瀕死の思いをしたあげく早世、ノンポリの今井は地道に中国関係で活躍し、戦後も長生きした。…長々と語ったが、要は今井はなにげに今田とは因縁のある仲なのである。近年御子息によって伝記も出された
・田村真作:朝日新聞記者。石原莞爾に近く、東亜連盟の会員でもあった。その関係で上記にあるように繆斌を担ぎ出して和平工作を行ったが、独走であったことが重光葵外相他閣僚の怒りを買って失敗した。
・緒方竹虎:東京朝日新聞主筆、後小磯内閣で閣僚となり、上記の繆斌工作を行う。戦後も国会議員として返り咲き、重鎮として重きを為したのはご存じの人も多いはず(但し50歳以上?(^^;))
・繆斌(みょうひん):重慶の国民党政府の幹部であったが、一方で東亜連盟に共鳴していたことから"繆斌工作"にかり出される。が、戦後はこの前歴が問題となって死刑となった不幸な人。
なお、児玉のこの記述では繆斌工作は昭和16年から行われたように読み取れるが、実際は昭和19年になってからである。また、繆斌工作に石原莞爾が最初からタッチしていたかどうかは微妙なところ。いろんな莞爾本を見る限りでは、干与してなかった説が有力みたい。
・板垣征四郎:板垣と石原の仲は石原が陸軍大学卒業後、自分の希望で中国に派遣されてから(この時の上官が板垣だった)、板垣と辻の仲は板垣が関東軍参謀長時代に辻が参謀になってから、と長い。直接関係がなかった石原と辻が関係したのも板垣つながりとも言える。
・辻政信氏もまた台湾軍に~:でもその後直ぐ復活するんですけどね。どうも東条にも気に入られていたらしい(『昭和史の軍人たち』)ワケワカラン人だ。

以下は長文かつ今田には直接関係ない話が多いので箇条書き
・松岡洋右には振り回される。東条英機も手を焼いていたらしい。(p.138)
・しかしそれ以上に訳分からないのが近衛文麿。アメリカからの和平提案の内容をどうも嘘ついて国民に発表していたらしい。井上日召みたいな極右とつき合っていたと思えば、尾崎秀実みたいな極左ともつき合ってるし…多分政治をすると言うより政治をいじくることに興味があったんだろう(p.139~141)。
・あの笹川良一から海軍の山県中将を紹介され、以後は海軍の航空部門の物資調達のために活躍する(児玉機関)山県中将の戦死後は、大西滝次郎中将の元で活動する(p.143~164) なお、児玉機関の商売相手とあの浅原建三の商売相手はどうもかぶっていたらしく、よく喧嘩していたようです(^^;)
・が!戦後、この児玉機関が原因となって、A級戦犯となって逮捕される羽目に…
・巣鴨プリズンでは米兵によって虐待とも言える目に会う
・東条英機のこと大嫌いだったんだけど、巣鴨で見た東条さんは立派だったぜ(p.204~210)
・フランク・オニールという検事が来たときに遂に怒りが爆発「何でこんな虐待をするんだ」「人道に基づいて裁判するって言ってるけど、ここの扱いが既に人道的じゃない」「語学の達者な囚人も多いが、日本人は遠慮を美徳とするから言わないだけだ」…実はここの実態が上に伝わってなかっただけだった_(。_゜)/なお、扱いが悪かったのはクリザキ(栗崎)という二世の将校が愛人に貢ぐために物資を不正に流していたかららしい…その後は改善されたという(p.224) つまり後に柴りんこと柴山兼四郎が「早く中国から巣鴨にいきたーい」という状態に改善されたのは児玉の功績だったと。
・釈放後はご存じの通り政界フィクサーとして活躍。なお児玉は鳩山一郎のバックについて活躍したらしい。鳩山一郎と言えば鳩山ポッポ由紀夫の祖父…つまりここで鳩山一郎が政界で活躍したのが後のポッポ出現の原因だな!これは万死に値するヾ(^^;)さっきの辻の件とかけ算したら10000×10000で一億死に値…ヾ(^^;)

…そして、この自伝は昭和49年で終わっています。
児玉誉士夫の絶頂期に書かれた物と言えるでしょう。
昭和51年、ロッキード事件発覚。その頃から児玉は心臓に持病を抱えるようになり、昭和59年、心臓発作により亡くなりました。享年72歳。

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