拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
数日前、冷やかし半分で「今田新太郎」をGoogleで検索してみたら
拙サイトが上位5番目にヒット…(○。○)
…今田さんが不憫すぎる…誰かプロの作家とか歴史学者で彼をちゃんとやってくれませんかね マジで
以上雑談終了。
でも今日のネタはかなり雑談。
プロの歴史学者から見たらどうでも良いことに引っかかるばんないでございます(^^;)
今回のネタもそういう話。
今田新太郎自体は東京生まれ東京育ちですが、両親は奈良県出身です。
ちなみに師匠の石原莞爾はかなりの山形弁なまりだったそうです(わざと矯正しなかったとも)。
拙サイトが上位5番目にヒット…(○。○)
…今田さんが不憫すぎる…誰かプロの作家とか歴史学者で彼をちゃんとやってくれませんかね マジで
以上雑談終了。
でも今日のネタはかなり雑談。
プロの歴史学者から見たらどうでも良いことに引っかかるばんないでございます(^^;)
今回のネタもそういう話。
今田新太郎自体は東京生まれ東京育ちですが、両親は奈良県出身です。
奈良県出身。祖父は郡山藩の武芸指南で黒川奉行を勤め、廃藩後は国樔郷の連合小学校長を務めた今田正儀(同墓)。父は漢学者の今田主税・母は町(共に同墓)の1男6女の長男。
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/imada_shi.html
※こちらのHPでは「奈良県出身」とあるが、「今田新太郎-50年前の一枚のハガキから」(『中江丑吉の肖像』)によると東京生まれとのこと
妻の今田町(同墓)は奈良県鷲家口で医を業としていた久保耕庵の末女。父の今田正儀の塾生であり、その縁で後に主税と結婚する。つまり両親が関西出身の新太郎は関西弁をしゃべっていたのか?という謎。
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/imada_chi.html
ちなみに師匠の石原莞爾はかなりの山形弁なまりだったそうです(わざと矯正しなかったとも)。
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