拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
…実は去年出た本だけどな!ヾ(--;)
読みたかったのですが、いろいろ事情がありまして、今頃読ませて頂きました。
新書なので一気に!
…
といいたい所なんですが、それもままならない状況なのが悲しい…。・゚・(つд∩) ・゚・ 。
では感想など
読みたかったのですが、いろいろ事情がありまして、今頃読ませて頂きました。
新書なので一気に!
…
といいたい所なんですが、それもままならない状況なのが悲しい…。・゚・(つд∩) ・゚・ 。
では感想など
・p.153で「(京極)高次には忠高(母は山田氏)と高政(母は小倉氏)の二男子がいた」と書いてあるのに、巻頭の関係者系図で忠高と高政が江の次姉・初と高次の間の子になっとる件(^^;)
・今まで余り語られることの無かった「最初の」婚家・佐治氏の解析(第二章「最初の結婚」)は興味深いです。が、人間関係がややこしくて、系図見ながら文章読んでという行ったり来たりを繰り返した…
・p.63で織田休之助→中川秀休なる人物が登場しますが、この人、なかなか興味深かったです(江とは直接関係ないんですけどね)。
・p.43で「(佐治一成は)幼少当主」と書きながらp.64~p.65では一成はもうちょっと年いってたという考察を展開されているが、これって悪魔の証め(以下自粛)
・p.28では「(織田市及び浅井三姉妹は)織田信包の伊賀上野城で過ごした後清洲城に移ったというのが定説になっているが(中略)一次的な史料での確認はできていない」と書いてあるのにp.74では「佐治一成の寄寓先が小谷城落城後に三姉妹とその母が身を寄せていた織田信包」と書いてあるって言うのは…。
・p.78~p.82でリスボン図書館所蔵堀秀政書状(これ自体原文が一般向け本で紹介されるの初めてかも)を紹介し、そこに出てくる「御祝言」を豊臣秀吉と淀殿の物と断定しているけど、福田千鶴氏の説では秀吉の側室とされていた女性も多くは正室とのことなので…”御祝言”の相手は淀殿と断定してもよいのかなあ?
・p.82にて拙HPとも縁の深い島津義久の名前が登場!もちろんこの本の主人公である江とは全く関係なし!_(。_゜)/ ちなみに登場はこの一カ所のみ!(当然だ)
・第三章「二度目の結婚」で徳川秀忠の最初の“妻”である「小姫」(織田信雄の娘、豊臣秀吉の養女)がかなり詳しく紹介されています。これは面白かったです。
・「小姫」は死後に祟りを及ぼした?らしいのですが、その理由については福田氏は推測されてませんでした…
・この本、「徳川家光や東福門院和子は江の子じゃないよ!」という新説を出しているのが売りのようなんですが、なんと珠(子々、徳川秀忠と江の次女で前田利常の正室、最も福田氏は珠姫も江の実子じゃないよ説である)も8人の内実子は多く見積もっても4人だけという説を書いてます(p.137~p.140)。しかし、少なくとも後の加賀藩四代当主となった光高はどうなんだろう。珠には前田利常の動向を逐一徳川幕府にちくっていた鬼のような乳母がついていたという話もあるし(『殿様の通信簿 』)
・珠の次女・「小姫」(元和2年誕生同年没)についてp.138で珠の実子かどうか+光高(元和元年誕生)が珠の実子かの証明をしているのだが、どうもこれも悪魔のs(以下自粛) ちなみに保育器など無しの自然な状態で新生児として成長できるのは妊娠6ヶ月では無理かと
・次女/珠と三女/勝の史料から確認される初産年齢が「若すぎる」(数え15歳)であることを根拠にこの2人の年齢詐称説を福田氏は唱えていますが、いや、それなら松(前田利家の正室)はどうなる…
・p.209~p.210で阿茶の局(徳川家康側室(福田氏は家康の老女・高級女中説))が東福門院和子の“母代”になったことについて福田氏は謎と思っておられるようだが、『源氏物語』などみると、宮中に娘を入内させるに当たって実母(実母が身分が低い場合は相応の女性が母代わり)となって付くことは当たり前だったようなんですが…もっとも平安時代の習慣を江戸初期にもやっていたかどうかは自信がないヾ(^^;)
・p.226~p.228「呉服の調達」で江が雁金屋(尾形光琳・乾山兄弟の実家)からよく着物を調達していた史料を紹介されているのだが、これらの史料には福田氏が「江の実子ではない」と言った子供達、あるいはその縁者からの注文もあるのだが…書いていて矛盾は感じなかったのかなあ…
結論:と、いろいろつっこみ所はありますが、一読をお奨めします(^^;)
一次史料を使った説への疑問を解決したり読んだりすることは、資料を読んでいく力付けることにつながると思うので。
・今まで余り語られることの無かった「最初の」婚家・佐治氏の解析(第二章「最初の結婚」)は興味深いです。が、人間関係がややこしくて、系図見ながら文章読んでという行ったり来たりを繰り返した…
・p.63で織田休之助→中川秀休なる人物が登場しますが、この人、なかなか興味深かったです(江とは直接関係ないんですけどね)。
・p.43で「(佐治一成は)幼少当主」と書きながらp.64~p.65では一成はもうちょっと年いってたという考察を展開されているが、これって悪魔の証め(以下自粛)
・p.28では「(織田市及び浅井三姉妹は)織田信包の伊賀上野城で過ごした後清洲城に移ったというのが定説になっているが(中略)一次的な史料での確認はできていない」と書いてあるのにp.74では「佐治一成の寄寓先が小谷城落城後に三姉妹とその母が身を寄せていた織田信包」と書いてあるって言うのは…。
・p.78~p.82でリスボン図書館所蔵堀秀政書状(これ自体原文が一般向け本で紹介されるの初めてかも)を紹介し、そこに出てくる「御祝言」を豊臣秀吉と淀殿の物と断定しているけど、福田千鶴氏の説では秀吉の側室とされていた女性も多くは正室とのことなので…”御祝言”の相手は淀殿と断定してもよいのかなあ?
・p.82にて拙HPとも縁の深い島津義久の名前が登場!もちろんこの本の主人公である江とは全く関係なし!_(。_゜)/ ちなみに登場はこの一カ所のみ!(当然だ)
・第三章「二度目の結婚」で徳川秀忠の最初の“妻”である「小姫」(織田信雄の娘、豊臣秀吉の養女)がかなり詳しく紹介されています。これは面白かったです。
・「小姫」は死後に祟りを及ぼした?らしいのですが、その理由については福田氏は推測されてませんでした…
・この本、「徳川家光や東福門院和子は江の子じゃないよ!」という新説を出しているのが売りのようなんですが、なんと珠(子々、徳川秀忠と江の次女で前田利常の正室、最も福田氏は珠姫も江の実子じゃないよ説である)も8人の内実子は多く見積もっても4人だけという説を書いてます(p.137~p.140)。しかし、少なくとも後の加賀藩四代当主となった光高はどうなんだろう。珠には前田利常の動向を逐一徳川幕府にちくっていた鬼のような乳母がついていたという話もあるし(『殿様の通信簿 』)
・珠の次女・「小姫」(元和2年誕生同年没)についてp.138で珠の実子かどうか+光高(元和元年誕生)が珠の実子かの証明をしているのだが、どうもこれも悪魔のs(以下自粛) ちなみに保育器など無しの自然な状態で新生児として成長できるのは妊娠6ヶ月では無理かと
・次女/珠と三女/勝の史料から確認される初産年齢が「若すぎる」(数え15歳)であることを根拠にこの2人の年齢詐称説を福田氏は唱えていますが、いや、それなら松(前田利家の正室)はどうなる…
・p.209~p.210で阿茶の局(徳川家康側室(福田氏は家康の老女・高級女中説))が東福門院和子の“母代”になったことについて福田氏は謎と思っておられるようだが、『源氏物語』などみると、宮中に娘を入内させるに当たって実母(実母が身分が低い場合は相応の女性が母代わり)となって付くことは当たり前だったようなんですが…もっとも平安時代の習慣を江戸初期にもやっていたかどうかは自信がないヾ(^^;)
・p.226~p.228「呉服の調達」で江が雁金屋(尾形光琳・乾山兄弟の実家)からよく着物を調達していた史料を紹介されているのだが、これらの史料には福田氏が「江の実子ではない」と言った子供達、あるいはその縁者からの注文もあるのだが…書いていて矛盾は感じなかったのかなあ…
結論:と、いろいろつっこみ所はありますが、一読をお奨めします(^^;)
一次史料を使った説への疑問を解決したり読んだりすることは、資料を読んでいく力付けることにつながると思うので。
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