拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
こちらを読んで色々言いたいが、持ちネタばらすことになるので悶々している私がいるヾ(^^;)
要は忠恒(家久)は若い女に引っかかりやすいバカだったんですよ(暴言)
…まあ、側室の身辺調査はやっとくべきだったでしょうね、と、そのあたりを突っ込んでいくと私の持ちネタをばら(以下自粛)
義久はともかく(※亀寿との結婚は豊臣秀吉との命令でもあったので逃げられなかった)、カタリナ夫人の場合、そもそもその娘を側室にしなければこんな大地雷踏むこともなかったわけで。その独裁ぶりや正室亀寿への冷淡さなどから、あまり評判のよくない家久ですが、考えてみれば、舅(義久)と姑(カタリナ夫人)には永年苦しめられた婿さんですね
要は忠恒(家久)は若い女に引っかかりやすいバカだったんですよ(暴言)
…まあ、側室の身辺調査はやっとくべきだったでしょうね、と、そのあたりを突っ込んでいくと私の持ちネタをばら(以下自粛)
今具体的な資料を出せないのですが、かなり前から体調は悪かったような。喉のトラブルを都度都度訴えているので、喉頭癌じゃないかとにらんでますが。ちなみに家久(忠恒)没年は事件発覚後6年経った寛永16年(1638年)ですね。…目の上のたんこぶが無くなってせいせいして寿命が延びたのかな?(苦笑)カタリナ夫人を種子島に追放した前後、家久は病床にあります。もう晩年ですからありえることでしょうが、カタリナ夫人がらみの精神的な心痛が起因ではないでしょうか?
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