忍者ブログ
拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

前の話はこちら


前の話で、最後に
もしかしたら、私が知らないだけで他の戦国武将の家にも「一の台」がいるのかもしれない。
と書いていたのですが

なんと、本当に他の家からも発掘ヾ(^^;)されました、「一の台」が。



拍手[0回]


この間から読んでいる『江の生涯』(中公新書)からの抜粋ですが
慶長十六年(1611)に豊臣秀頼が二条城で家康と会見した際の贈答では、家康の「御上臈衆」として、記載順に「御かめ様」・「御あちや様」・「おかち様」に金子三十枚、「御なつ様」に同二十枚、「上らうの御かた」・「一のたい様」に同十枚、「残御女房衆」に同七十枚、「惣之御女房達」に銀子五百枚が贈られている(「秀頼様御上洛之次第」)
『江の生涯』p.131~p.132

徳川家康の所にもいたよ「一の台」。
まさか島津義久の所にいた一の台が義久が死んだ(慶長16年1月死去)のでトラバーユ(古)したということは時間的なことなどから考えても不可能だろう、たぶん(^^;)。

ちなみに、『江の生涯』著者の福田千鶴氏はこの「一の台」が家康のあまたいる側室の誰に当たるのか、という推測は全くしてられませんでした_(。_゜)/ まあメインのネタじゃないからこんな所でしょう…
まあ、上記文書を読むと、御かめ(徳川義直生母・御亀の方)、御あちや(阿茶の局)、おかち(御梶の方)などより下のランクに位置ずけられているようなので、まちがっても家康の正室ではないことだけは確実だろう。

PR
Comment
name 
title 
color 
mail 
URL
comment 
pass    Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新コメント
[09/22 書き人知らず]
[09/22 大嶋昌治]
[06/28 Albertbaw]
[05/19 春山]
[05/06 桐野作人]
最新トラックバック
ブログ内検索
プロフィール
HN:
ばんない
性別:
非公開
自己紹介:
初めての方はこちらの説明をお読み下さい。リンク・引用の注意もあります。

プロフ詳細はこの辺とかこの辺とか
カウンター
バーコード
アクセス解析
P R
Template by Crow's nest 忍者ブログ [PR]