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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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どうも愛光学園時代の話が載っているらしい記事にヒットした
ただし有料_| ̄|○

ガラス細工だった兵庫県知事の権力基盤 佐渡の宴席で漏らした本音
有料記事
菅原普2024年9月26日 12時00分
https://www.asahi.com/articles/ASS9L1HXYS9LOXIE013M.html?iref=pc_photo_gallery_bottom
もしかしたら紙のほうにのっているかなあ
と思って図書館でバックナンバー見たが載ってなかった。
やむを得ず、会員登録して中身を確認

ガラス細工だった兵庫県知事の権力基盤 佐渡の宴席で漏らした本音
有料記事
菅原普2024年9月26日 12時00分
 内部告発問題に揺れる兵庫県の斎藤元彦知事が、議会による不信任決議を受けて、30日付で失職し、出直し知事選に臨む。総務官僚から転じてつかんだ念願の地位だったが、刷新を掲げた県政運営の権力基盤はガラス細工のようにもろかった。斎藤氏は返り咲きを狙う考えだが、県政の混乱収束はなお見通せない。
 「(当日にいきなり、ホテルでの予約制の夕食をとりたいと言い出し、断られると)『俺は知事だぞ』と激怒した。おびえた秘書課がホテルと掛け合って、無理やり夕食を準備させた」
 「課長が説明を始めると、『で? 何が言いたいん? 全然わからん。もっと簡潔に言えよ』と強い口調で詰められていた」
 「ある団体がお土産で持参した地域の名産であるウイスキーを知事応接室で受け取っているのを目撃した」
 今年8月、県議会の調査特別委員会(百条委員会)が県職員を対象に、斎藤知事によるパワーハラスメントなどを尋ねたアンケートには、実際に見聞きした話として、こうした数々の言動が書き連ねられた。
 こうした記述について、斎藤氏は9月上旬に開かれた百条委で「『俺は知事だぞ』とか激怒することは私はない」と否定。一方で、職員を前に机をたたいたり、側近との打ち合わせ中に付箋(ふせん)を放り投げたりしたことを認め、「気が高ぶっていた時もあるので思わずたたいてしまったことは事実だが、適切じゃなかった。当時おられた方にはおわび申し上げたい」などと釈明した。

「盛り上げ役」の中高時代、モヒカン刈りにも
 「昔から謙虚で誠実な男。彼が感情的になるなんて、想像できない」。1990年代、中高時代を斎藤氏とともに過ごした同級生らは、一様に戸惑いを隠さない。
 斎藤氏は高校2年の時に寮長を務めるなど同級生の信頼が厚く、高校3年の体育祭では出し物としてふんどし踊りを提案。自らは髪の毛をモヒカン刈りにして本番に臨むなど、「ムードメーカーの盛り上げ役」(同級生の一人)だった。総務官僚になってからは、同級生と集まる会合で「知事になることが夢なんだ」とたびたび周囲に語り、政治的野心を隠そうとしなかったという。
 2018年には大阪府に出向。財政課長として勤務していた折、そうした野心が大阪府知事で日本維新の会代表(いずれも当時)の松井一郎氏の目にとまり、21年の兵庫県知事選に立候補した。自民と維新の推薦のもと、新顔5人による混戦を制して初当選。当選が決まった夜には「誰ひとり取り残さない温かい県政をめざす」と語り、宿願をかなえた喜びをにじませた。

自民・維新のはざまで、薄氷の県政運営
 ただ当選後は、微妙なバランスの上での県政運営を強いられることになる。自民と維新の推薦を受けたことで、国政で互いにしのぎを削る両党への配慮が欠かせなかったが、結果的にいずれも関係構築はうまくいかなかったようだ。
 「唐突に話が出てきて具体化された。少しずつ信頼が崩れてきた」。今年7月中旬、神戸市であった自民県連大会で、県連会長の末松信介元文部科学相(参院議員)が事実上の辞職要求を突きつけた。その主な理由に挙げたのが、斎藤氏が看板政策として進めた県立大学の無償化だった。
 自民党兵庫県連は末松氏のほか、渡海紀三朗、盛山正仁の両衆院議員も文科相をつとめるなど「文教族」が居並ぶ。ましてや教育無償化は、維新が「1丁目1番地」に掲げる政策だ。議会関係者は、「文教族がひしめく自民にすれば、維新印の県立大学無償化を、しかも根回しなしに進めるなんて許しがたかったんだろう」と話す。
 一方、維新からも苦言が漏れる。知事選の擁立に関わった維新関係者は、「知事になる前はえらく腰が低かったが、当選したらこちらの助言に『いや、こちらでやりますんで結構です』と、急に態度が変わった」。兵庫維新の国会議員の一人も、「知事は上京しても、自民議員の事務所だけ訪ねていた。露骨だ」とぼやく。

旧知の市議に漏らした弱音
 県職員との関係も、常に緊張状態がつきまとった。
 「当選した時から、一部の職員との関係がなかなか難しいんです。初登庁の時から感じています」。昨年9月、かつて総務省から出向していた新潟県佐渡市を訪れた際、斎藤氏は宴席で、旧知の佐渡市議に弱音を吐いたという。この市議は、「ややこしかった選挙戦のしこりのことを言っているんだろうと感じた」と話す。
 前知事の県政継承を掲げる候補を破った斎藤氏は、20年続いた前県政のひずみを一掃しようと、当選直後に知事直轄の「新県政推進室」を設けた。県の外郭団体で慣例的に続いていた元県職員の不適切な雇用延長も改めた。
 23年度には県の貯金にあたる財政調整基金が、阪神大震災前の1994年度以来、約30年ぶりに100億円を超え、県政刷新に取り組む姿勢には県庁内でも一定の共感が広がった。

改革路線も、「気づけば裸の王様」
 一方で、斎藤氏は副知事など幹部ポストに、総務官僚時代から気脈を通じる職員を次々に登用。「側近政治」の色が濃くなるなか、県庁内には「親斎藤派」「反斎藤派」のすみ分けが生じた。
 内部告発をした元県民局長の公用PCには、クーデターなどの文言があったとされる。斎藤氏は今年9月6日の百条委で、「私の県政に対する批判も強いことは認識していた。改革、刷新ということでOBのカットもした。いろんな反発がある」と吐露した。すでに側近だった県幹部らは次々にポストを辞職。この頃から、自民や維新を含むすべての県議が不信任決議案の提出に雪崩を打ち始め、斎藤氏の四面楚歌(そか)は極まった。
 ある維新幹部は「あちこちから恨みを買う形となり、気づけば裸の王様みたいになっていたということだろう」と話す。
 ただ、不信任決議案が可決された翌日以降、斎藤氏はテレビ各社の番組に相次いで出演。いずれの番組でも、自らの3年間の実績を列挙した上で、内部告発の告発者捜しに走った初動を「当時の判断としてベストだった」と強調。去就についても「改革をしっかり進めていくことも大事」と話し、再選への意欲をにじませていた。
 ある県議は「いま日本で一番の有名人だ。お金をかけなくても注目される」と一定の票を集めるとの見方を示す。一方、他の県議からは「斎藤氏が再選して戻ってくるなんて、職員からみれば恐怖しかない」との声も上がっている。(菅原普)

愛光学院時代の話は期待に反してあまりのっていなかったが
当選以後の自民党国会議員vs維新の会国会議員のはざまでの軋轢
知事時代の功績
崩壊への道
分かりやすかった
知らない話も多かったな
読めてよかった

…で、確認したので会員登録はーずそw

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