拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
慶長9年の2月頃作成の和歌です。
…但し、最初の和歌は上の句しかない(○。○)…また連歌の発句なのか?でもカウントを稼ぎたいので、恒例によりこれも1首に加えることとするヾ(--;)
この頃義久の居所は富隈城(現鹿児島県霧島市隼人町)でしたが、この時点でもまだ鹿児島の護摩所という宗教的に重要な場所に行き来できたことが伺えます。
「小松大明神」は現存のどの神社に当たるか寡聞にして不明。後考を期す。
…但し、最初の和歌は上の句しかない(○。○)…また連歌の発句なのか?でもカウントを稼ぎたいので、恒例によりこれも1首に加えることとするヾ(--;)
「義久公御譜中」
「此本在御文書方」
慶長九年二月廿二日、鹿兒嶋護摩所にて、
龍伯
立そふや今年わか枝の家桜
「右同」
或る神に法楽
小 小萩原わけくらしたるかりふしの
まくらに近きさをしかのこゑ 龍伯
松 松かせの更行まゝに音たてし
よさむつれくる秋の柴の戸
大 大空の月の光のさやかにて
木の下かけもかくれさりけり
明 明日もこん小鷹かりはの廣野ハ
さしてそのまゝをく鳥柴哉
神 神慮なひきやすらん紅葉ハの
色にいろそふ秋のはつ霜
(「薩藩旧記雑録」後編3-1910)
この頃義久の居所は富隈城(現鹿児島県霧島市隼人町)でしたが、この時点でもまだ鹿児島の護摩所という宗教的に重要な場所に行き来できたことが伺えます。
「小松大明神」は現存のどの神社に当たるか寡聞にして不明。後考を期す。
PR
Comment
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。