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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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文禄3年(1594年)に上洛途中で詠まれた物です。
タイトル見て「?」と思われたあなたは鋭い。
実は1首半?しか記録に残ってないのです_(。_゜)/…おそらく連歌会でもやって、義久の作った分だけ記録した物かと思われます。
『年代記』
甲午 文禄三年三月「或記ニ三月五日トアリ」、義久上洛、御家門坊津ニ下向、同十月京衆下向、三カ国竿打

(「薩藩旧記雑録 後編」2-1285)
「義久公譜中」
一文禄三年甲午三月、龍伯為参観赴京師之時、詣法華嶽薬師詠焉
「御文書方有之」
風たちし行ゑをたのむ御仏の
なひくこヽろに身をやまかせん
ちらぬほと花に南の風もかな
(「薩藩旧記雑録 後編」2-1286)

『年代記』に出てくる「御家門」は今までも何回も出てきましたが、近衛信尹のこと。坊津に島流しにあった話は拙ブログではこの辺とか。十月に三カ国(=薩摩、大隅、日向諸県郡)に乗り込んできた「京衆」というのは、もうおわかりかと思いますが豊臣政権側の奉行達でしょう。最も主力メンバーは石田三成の家臣だったと思われますが。

肝心のこの和歌(連歌?)を詠んだという「法華嶽薬師」はこのお寺でしょうか。

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