拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
慶長10年頃の作です。
これだけではよく分からないのですが、別の史料によりこの和歌が奉納された背景が分かります。
清水の岡寺とは後に島津亀寿が義久の法要を行ったこともある島津氏縁の寺ですが、現在は廃仏毀釈で廃寺となっています。「義久公御譜中」
「御自筆」
「正文在清水岡寺」
龍伯
片岡をかこひて寺に住人ハ
うき世中やしら菊の花
(「薩藩旧記雑録」後編4-115)
これだけではよく分からないのですが、別の史料によりこの和歌が奉納された背景が分かります。
「片岡」というのは聖徳太子関連で「日本書紀」にも出てくる「片岡飢人」とかけてあるような気もしますが、詳細は不明。「右和韻正文在清水岡寺」
太守御遊之次、留玉車於岳寺、和歌一首詠之、
見□境地与菊花愚、時日相過後得拜覧、豈可黙耶、因用御歌韵尾花字、為卑詩一絶、以代于岳之庵主云、
松堂拜和 岳隈山領小茅家 何計今留太守車 菊圃籬荒景雖野 和歌芳恵美於花
慶長十年乙巳九月廿七日御光駕也、
(「薩藩旧記雑録」後編4-116)
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