拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
かなり有名な歌みたいなので、ご存じの方が多いと思いますが。
聞かれる場合は周囲に人がいないことを確認の上お願いします(^^;)
ちなみに作詞作曲した山本正之氏は『ヤッターマンの歌 』で有名な方で、この曲もそこはかとなく似ていますね。そして、山本氏は愛知県安城市の出身だそうです。
気になるのは曲が始まって1分30秒頃に語りが挿入されているのですが、歴史ファン、というか戦国ファンというか江戸時代ファンというか…そういうひとにはおそらく、その内容が引っかかるのである。
「君は知っているか?
今から約300年前、江戸城の中では名古屋弁が流行っていた事実を!」
…これ、冗談じゃなくて、本当に事実でしょ。たぶん(爆)
というのも
・大名のほとんどが織豊大名、つまり尾張・三河出身。
・初代将軍・徳川家康にして、生まれは三河で、幼いときに織田家に人質に取られて尾張弁の中で成長している。つまり尾張弁・三河弁の
流行っていたと言うより、もしかしたら大半の大名の普段の会話は尾張弁だったかも知れない…。そして三河弁がしゃべられることが譜代大名のステータスだったとかヾ(^^;)
以下想像
↓
三河弁でダベリングする徳川四天王(但し井伊直政は静岡弁でやや浮いてたかも)
腹黒い献策を尾張弁で言上する本多正信「方広寺のきゃねのみゃーぶんは大御所様をのろーとる証拠だがや」
徳川幕府への不満をぼそぼそと名古屋弁でつぶやく福島正則
そんな中に仙台弁で乱入、何故か自分の意志を通している伊達政宗
人の会話に入っていけず「ふん!これだから成り上がりは」といいつつ、心の中でははみ子になって泣いている島津忠恒(家久)
…徳川幕府の初期って…泥臭すぎるヾ(^^;)
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