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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
タイトルとは関係がないが、今週の大河ドラマ『軍師官兵衛』
織田信長が横死したのを何故か安国寺恵瓊とか小早川隆景とかにばらしまくりの官兵衛なのだが(-_-;)
しかしもっといけないのは、テレビガイドとか、テレビでチェックできる番組表の予告では
 官兵衛は信長の死を隠しつつ交渉を見事に行う!
…となっているのだよ。これはどういう事なのだNHK。ヾ(^^;)



気を取り直して。
タイトルの本ですが、満州国建国の際、大雄峰会という団体を率いて活躍したものの、後に山口重次・小沢開作らの所属する満州青年連盟(後の協和会)や関東軍と対立し、満州国から追放されてしまった笠木良明という人物の追悼文集です。
取り寄せるのが大変でした。所蔵している図書館があまりなかったので…

で、やっとこさ貸してくれるところがあって、その理由が判明。
何と限定500部しか作ってなかった。しかも関係者への配布だけ。これは確かに稀覯本。
他にいろいろ面白いことが載っていました。

・序文を書いているのがあの児玉誉士夫(○。○)
・タイトルを揮毫したのが「新幹線の父」こと十河信二⊂(。Д。⊂⌒`つ その十河は笠木の蔵書を鉄道弘済会に口をきいて大部分購入させたことがあり(p.158)、終戦直後には小畑敏四郎(当時国務大臣)と笠木の面会の仲介を取った(p.161)
・写真が中々…山口重次の写真も見たとき「うーむ」と思ったが、この人も 胡散臭いと言うよりめんどくさいタイプかと
・弔辞を寄せた人がかなり多いので、笠木を慕っている人は多いことが分かるのですが、笠木自体は人の好き嫌いが激しくて難しい性格だったみたいです 満州国追い出された一因でしょう。
・奥さん、娘、母と次々に死なれて再婚もせず天涯孤独の生涯。最後は交通事故死だったとか 初めて知った…
・明治天皇が好き
西郷丼が好き
・ガンジーの大ファン
・仏教大好き
・…なんで、間違っても左翼ではないのですが、右翼かと言われるとどっちかというとそうなのかも知れないが微妙な印象。この本に弔辞を寄せている人も「思想家でもないし運動家でもないし」
・石原莞爾のことは蛇蝎の如く嫌っていたらしい(児玉誉士夫が戦時中石原莞爾のパシリをしていたことが笠木にばれてボロクソに言われたそうだ p.464)
・戦後はあの三上卓(5.15事件の首謀者、元海軍)とも知り合いだったようだ(p.153) ちなみに今田は三上と会ったことがある
・森島守人(満州事変当時の在満外交官の一人)が出した『陰謀・暗殺・軍刀―一外交官の回想』(※笠木は「暗殺、謀略、銃剣」とタイトルを間違って書いている)の内容についてはかんかんに怒ってます(p.159) 森島の回想(この本含む)は満州事変研究家にはどうも高く評価されているようなんですが、実際の森島は関東軍の手足となってかなり働いていたという史料もあり(本庄繁の手紙)、森島という人物はどうも話半分に見た方が良いように近頃は感じています。
・以前何回も片岡駿奥戸足百をこの笠木の子分としてきたのだが、どうも子分になったのは戦後のことで、戦前は単なる知り合いにしか過ぎなかったようだ…取りあえず笠木にはあやまっとくヾ(^^;)

大まかにはこんな所でしょうか。
では今田関係含め細かいところまいる
「つづきはこちら」をクリックプリーズ。




実は今田の名前が出てくるのは2か所しかなかった _| ̄|○
でもかなり重要な記述
今田新太郎さん大尉当時東京転任直後、まだ監察院長として新京にも出かけぬ時分、于冲漢先生を黒石磯別荘にお訪ねした砌、今田さんの絵はがきが届いてみせられた。それには第一線に挺進する無名青壮年層を便りにしている旨がしたためられてあった。東京に赴任して間もないころ某貴族院議員が議会で満州国指導員(参事官の前身)など満鉄の下級者どもが多く素質が悪いと演説、今田氏が聞いて私に愚痴ったので、直に当人に会い、その不見識を責め反省を即した。元禄快挙でも明治維新でもその他革新的聖業には価値転換が行われるのが歴史ではないかと、話せば直ぐ判って手紙を呉れられた。
p.159
笠木良明の日記(「無我行日記」)より。これは『恒友』昭和28年2月号に掲載された物。この回想が事実ならば、満州事変直後、笠木と今田はけっこう親しくしていたことになる。
<補足>
・東京転任直後:「今田町日記」(仮)、笠木の回想(p.171)から推測して、昭和7年3月~4月頃か。
・于冲漢先生:満州人で日本依りインテリの一人。笠木も頼りにしていたが、山口重次等満州青年同盟の面々も頼りにしていたのは大勢の回想から知られている。
・某貴族院議員:誰のことかよくわかんない(をい)昔の国会議事録見たら直ぐ判るんだろうけど…めんどくさヾ(--;)
最後の人-故人と国民同志社- 片岡 駿
初めて笠木さんにお会ひしたのは昭和4年の春満州視察に赴いたをり、大蓮の満鉄本社に笠木さんを訪問した時と記憶する。慌しい旅の途中で面語の時間も短かゝったし、何分まだ若年でこちらの人間が出来ていなかったから、笠木さんのような渋い人間の味はいが分かるものではない。そんなわけで当時のことについてはさしたる印象も残ってないのである。
昭和6年に私は渡満して奉天の今田公館に寄寓した。公館の主である今田新太郎大尉は張学良の軍事顧問として赴任早々の所であったが、同氏は日満関係の遠からず決裂するであらう事を予見して、張学良そのもののためにではなく、むしろ来たるべき事態の日のために備えてゐた。
満州問題については私も今田大尉と同じ見解で、学良の転悟反省によって日満関係の正常化を期することは不可能であるという見通しと、一個人道的な大亜細亜主義の見地からして、寧ろ日満蒙の志士を結集、クーデターを敢行して満蒙の地に新たなる王道国家を建設することが、祖国日本とアジアの危機を打開し、且は世界の平和と正義を確立する所以の道であると信じてゐた。
これは恰も笠木良明氏の述懐しておられた大亜細亜主義の理想と符節を合するものであり、若しそこに若干の相違があるとすれば只その方法論だけであったと思ふ。
(中略)
乍併、所謂縁がなかったとでも言うのであろうか、爾来二年有余、二人はお互いに満州にあってあの激動期を過ごしながら、遂に再び会う機会が無く、その内私は昭和8年7月11日の所謂神兵隊事件に座して獄中の人となった。(後略)
p.397~398
<あてにならない補足>
・片岡駿:拙ブログこの辺とかこの辺とかこの辺参照。
・昭和4年:といえば、あの張作霖爆殺事件の翌年なんだが、片岡がこんな微妙な時期に満州に行った理由はよく分からなかった ちなみに笠木良明は大分前から日本国内の国家主義運動家達の分裂(主に大川周明と北一輝の喧嘩である)にあきれ果てて満州に行ってしまったらしい(中谷武世回顧録より)
・今田公館:「公館」と片岡が形容するくらいいい建て物だったのか、今田の下宿。なお、ここに派遣された女中が環境が良いので交代したくないと今田の母に愚痴った話が今田の母の日記に書かれている。
・張学良顧問として赴任早々:実際に張学良顧問となったのは赴任してから約3ヶ月後の昭和6年6月。てゆーか、知ってるだろ片岡。今田と一緒に住んでたんだからヾ(--;) やっぱり30年近く前(※『笠木良明遺芳録』が出たのは昭和35年のこと)の話だったので忘れたのかとぼけてるのか…
・満州問題について私も今田大尉と同じ見解~:今田が自発的にこういう考えを持ったかどうかは現在調べた限りでは不明 少なくともこの時満州に派遣されたのは自発意思ではなくどこぞからの命令だったのは既述
・神兵隊事件:拙ブログこの記事参照
片岡はこの回想の中では全く触れてませんが、今田の所に寄宿してたのは実は満州事変の工作員としてであり、具体的には不明ですが相当動いていたことは片倉衷の回想でも明らかになっています。この片岡の回想を読む限りでは、どうもそれは片岡の自発的意志でもあったようですが、一方の笠木良明はクーデターを起こしてまで満州に新国家を建設するなんて考えてなかったことが伺えます(「そこに若干の相違があるとすれば只その方法論だけ」)。私が最初に「片岡・奥戸が笠木の子分になったのは多分戦後なんじゃないかと思う」と訂正したのはこれが理由。



以下、今田の名前は出てこないが興味深い話をいろいろ。
懇談会では敗戦の責任、反省、原因の探求に始まり、雑多な問題について自由に甲論乙駁が行われた。中途で講演会に移り、(中略)大川博士の『憲法破棄論』の長講あり。(中略)
大川博士は主として公平なる欧米新聞雑誌に掲載されている対独、対日観を紹介、以下に日本が情けない無気迫、無理想の暗夜を彷徨しているかの実例を二、三発表された。憲法の如きも、西独は戦勝国の強要を拒否して、非占領国に自由もなく憲法もない、暫定的の占領基本法は認めるが、やがて独立の際はこれを廃止して独自の憲法に改めると言うことを戦勝国に認めさした。背骨のない日本とは比較にもならない。与えられた翻訳憲法は全面的に廃棄するのが道理上は勿論法的に見ても当然である。反米を強調する政党などが再軍備論などを否定せんがために憲法を守れ等というのは不見識であり謀略であり国民を愚弄する物である(以下略)
p.154 「救国懇談会記」(『恒友』昭和28年7月号)
東京裁判でA級戦犯の一人となり、下手すれば死刑良くても終審懲役確実だったはずの大川周明ですが、「梅毒が原因の精神錯乱」と判断されたことにより刑を免れます。が!その後こんな講演もしていたのでした…って、ほんとに病気で頭やられてたの?
特高と云えば、面白い話があった。笠木の兄さんのお母さんの法事に、兄さんが、親戚や、近所の人に、お経の本を配ったとき、特高が配り先を、一軒一軒調べ「笠木さんはアカだと思っていたが、仏教もやるんだね」と云っていた
p.387
どこをどう見れば笠木良明が極左になるのだ特高よ…
蛇足ながら、石原莞爾も戦前は憲兵に極左扱いされていたというのは公然の内緒ですヾ(^^;)
事変勃発と同時に、笠木の兄さんは、土肥原さんに、遺憾の意を書き送った。日華事変を収拾できず、遂に、大東亜戦に追いやって、日本を破局に導いた軍の誤りを、あの当時に達観していた、兄さんの慧眼に経緯の念を禁じ得ない。
p.388~389
<補足>
・土肥原さん:ご存じ土肥原賢二
この追悼文を書いた人は、土肥原師団(第14師団)に召集されていたことがある
寺田 実は自治指導部の要員だかなんか補給するでしょう。その時に試験官が花谷正、大川周明、笠木良明。東京と京都でやったでしょう。その時いちいち口頭試問をやるわけですね。いろんな点があるけれども、最も重要なのは「一体どういう目的で君は満州国行きを志願するんだ」という。「それは大いに君国のためにこの際御奉公を励みたい。」「よろしい、それは良く分かった。結構だ。どういう方針で満州国に挑むんだ。いわば国是国策という者は、君はいかにすべき物だと思っているのか」そうすると満州なんか取っちゃう、みんなこう言うんです。「満州を取る?それは言いそこないじゃないか」「いやそうじゃありません」と言う。偉い勢いなんだ。「いやそこは言い損ないだろう、満州の人心を取るという意味だろう」こう言った。人心を収攬するという意味なんだろう。そうすると考えている。「考えるまでもない。それは君の本心はそうなんだろう」そういってみんなに教える。それが笠木君の人物試験のポイントだった。
僕はそれを聞いたときに笠木さんは偉いと思った。ちょっと抹香臭いとか、青年連盟が反対するところもある。しかし青年連盟はお差し障りがあるかも知れないけれども、満州を取るのは良いけれども、人のものを取りに行った人間が多い。それが高位高官の人がそうなんだ。満州のことなんか初めはクソミソのようにいっとった奴が、パッと満州の高位高官になるのでしょう。月給が良いからでしょう。なんてさもしい奴らだろうと僕は思ったのです。だから笠木さんがあいつもいかん、こいつもいかんと言うはずですよ。僕は当たり前だと思う。
p.426~427「笠木良明先生追悼座談会1」
<補足>
・寺田:寺田稲次郎 こちらのブログに詳しい
・試験官:ジャイアン花谷、胡散臭く東京裁判無罪の大川ですか…他に人材はいなかったのか
この証言は山口重次(満州青年連盟幹部)の証言と真っ正面から対立するので興味深い。
松林 私は笠木さんの名前を前から知っておったんだけれどもね。大連におられたときに淵上さんの所におったんですな
里見 それじゃ関東軍から追っ払われてからですよ
松林 そうですか。淵上さんが何十年来の友達なんです。行ったら笠木さんがおるわけです。(後略)
p.432~433「笠木良明先生追悼座談会1」
<補足>
・松林:松林亮 回教研究家(P.433)とのこと
・里見:里見良作 満鉄社員、猶存社の同志らしい(p.261~264)
・淵上さん:もしかして淵上辰雄? もしそうなら東亜連盟の関係者であり、戦後はヤクルト(今田の友人・南喜一が設立した会社)の重役という興味深い人物である。ご存じの方御教示お待ちしています


他、笠木自身による満州建国時の回想が載っているのですが、これが山口重次や駒井徳三の言うことと微妙に食い違っていて興味深い。が、これが大変な長文。項を変えて紹介させて頂きます<(_ _)>

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淵上辰雄氏について
非公開でコメントを下さった方へ

淵上辰雄氏と笠木良明との関係について何かご存じでらっしゃいますでしょうか。また、今田新太郎との関係について何かご存じでしょうか。

コメントは不要とのことでしたが、淵上氏は東亜連盟運動の実はキーマンなのかも知れませんが、現在の所、ほとんど学術的な研究はされていなかったように思います。
もしまだこちらを御覧であればご連絡お願いいたします。
メールフォームは以下の所にあります。
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com/myprofile.html

ばんない 2016/05/23(Mon)10:07:04 編集
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