拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
卯月(4月)
1日 昨日のお礼として青蓮院様(※1)に使者を送り書嘉軸を送りました。東山(※2)からも使者がありました。大谷治部卿殿(※3)からも書状がありました。
2日 大坂へ向かいました。鳥羽から船を使いました。酉刻に到着しました。
3日 <空欄>
4日 金春大夫(※4)の勧進能を見ました、お芝居に幸五郎次郎(※5)・金春次郎兵衛(※6)の二人からお食事とお酒がプレゼントされましたので、大夫へ長刀をプレゼントしました。また大蔵貳介でした(※7)、花幸五郎次郎(※8)、金春又次郎(※9)へも花をプレゼントしました。
5日 忠豊(※10)殿が大和から来たよ(※11)
6日 <空欄>
7日 <空欄>
8日 この晩、秋月さんからきました(※12)
9日 三清(※13)が高野山にお参りに出発、岩縫(※14)、西近助(※15)、家村源(※16)、八木助四郎(※17)も同行
10日 忠豊殿とご対面、夜まで宴会
11日 吉田清右衛門(※18)方まで朝ご飯を食べに行かれました。吉田清右衛門はお礼のため門まで来ました。(これに対して)御前(※19)はお手紙にてお返事されました(※20)
12日 高野山から三清が帰ってきました。坂まで迎えに行ったよ。
13日 東国からの伝達があったよ。大和大納言(※21)殿へ(の)御朱印状の写しが京都から届いたよ
14日 住吉で今春大夫の能を観賞するため、上様(※19)がおいでになられました。
15日 <空欄>
16日 <空欄>
17日 <空欄>
18日 <空欄>
19日 川田助七郎(※22)が元服しました。
20日 住吉に上様(※19)がおいでになられ、桟敷三所(※23)を構えられ、3回のお振る舞いをされました。帰宅は夜になってから。
21日 <空欄>
22日 <空欄>
23日 <空欄>
24日 岩切縫殿助がご飯をごちそうしてくれました(※24)
25日 吉岡蔵人(※25)が、高崎(※26)へ御使者として下向しました
26日 <空欄>
27日 田辺屋五郎兵衛尉(※27)の所へご訪問されました
28日 師法印(※28)、松浦(※29)、吉田清三(※30)3人がお礼にやってきました。お酒・肴を持ってこさせて終日宴会。
29日 大坂を辰刻に出発、京都に酉刻に到着。
※1:青連院門跡尊朝か。参照こちら
※2:近衛前久のこと
※3:大谷吉継のこと
※4:六十二世宗家の金春安照か
※5:幸正能(天文8(1539)-寛永3(1626) )、能の金剛流小鼓方
※6:該当人物不明
※7:原文「又大蔵貳介也」
※8:前出の幸正能のママありか
※9:原文「今春又次郎」、該当人物不明
※10:島津豊久のこと
※11:大和にいる理由は今のところ不明
※12:原文「秋月方被参」、この当時の秋月氏当主は秋月種長。何が来たのかは不明
※13:本田親貞のこと
※14:岩村縫殿助か?
※15:不明
※16:家村源左衛門か?
※17:八木豊信か?
※18:該当人物不明
※19:島津義久のこと
※20:原文「御状にて被仰分」
※21:豊臣秀長のこと
※22:該当人物不明
※23:何に該当するのか不明 14日の金春大夫の能見物と関係有りか
※24:本文「御飯被上」
※25:該当人物不明
※26:該当場所不明
※27:おそらく関ヶ原の合戦時に島津義弘をかくまったという田辺屋道与の関係者か
※28:細川幽斎か?
※29:松浦久信か?
※30:該当人物不明
1日 昨日のお礼として青蓮院様(※1)に使者を送り書嘉軸を送りました。東山(※2)からも使者がありました。大谷治部卿殿(※3)からも書状がありました。
2日 大坂へ向かいました。鳥羽から船を使いました。酉刻に到着しました。
3日 <空欄>
4日 金春大夫(※4)の勧進能を見ました、お芝居に幸五郎次郎(※5)・金春次郎兵衛(※6)の二人からお食事とお酒がプレゼントされましたので、大夫へ長刀をプレゼントしました。また大蔵貳介でした(※7)、花幸五郎次郎(※8)、金春又次郎(※9)へも花をプレゼントしました。
5日 忠豊(※10)殿が大和から来たよ(※11)
6日 <空欄>
7日 <空欄>
8日 この晩、秋月さんからきました(※12)
9日 三清(※13)が高野山にお参りに出発、岩縫(※14)、西近助(※15)、家村源(※16)、八木助四郎(※17)も同行
10日 忠豊殿とご対面、夜まで宴会
11日 吉田清右衛門(※18)方まで朝ご飯を食べに行かれました。吉田清右衛門はお礼のため門まで来ました。(これに対して)御前(※19)はお手紙にてお返事されました(※20)
12日 高野山から三清が帰ってきました。坂まで迎えに行ったよ。
13日 東国からの伝達があったよ。大和大納言(※21)殿へ(の)御朱印状の写しが京都から届いたよ
14日 住吉で今春大夫の能を観賞するため、上様(※19)がおいでになられました。
15日 <空欄>
16日 <空欄>
17日 <空欄>
18日 <空欄>
19日 川田助七郎(※22)が元服しました。
20日 住吉に上様(※19)がおいでになられ、桟敷三所(※23)を構えられ、3回のお振る舞いをされました。帰宅は夜になってから。
21日 <空欄>
22日 <空欄>
23日 <空欄>
24日 岩切縫殿助がご飯をごちそうしてくれました(※24)
25日 吉岡蔵人(※25)が、高崎(※26)へ御使者として下向しました
26日 <空欄>
27日 田辺屋五郎兵衛尉(※27)の所へご訪問されました
28日 師法印(※28)、松浦(※29)、吉田清三(※30)3人がお礼にやってきました。お酒・肴を持ってこさせて終日宴会。
29日 大坂を辰刻に出発、京都に酉刻に到着。
※1:青連院門跡尊朝か。参照こちら
※2:近衛前久のこと
※3:大谷吉継のこと
※4:六十二世宗家の金春安照か
※5:幸正能(
※6:該当人物不明
※7:原文「又大蔵貳介也」
※8:前出の幸正能のママありか
※9:原文「今春又次郎」、該当人物不明
※10:島津豊久のこと
※11:大和にいる理由は今のところ不明
※12:原文「秋月方被参」、この当時の秋月氏当主は秋月種長。何が来たのかは不明
※13:本田親貞のこと
※14:岩村縫殿助か?
※15:不明
※16:家村源左衛門か?
※17:八木豊信か?
※18:該当人物不明
※19:島津義久のこと
※20:原文「御状にて被仰分」
※21:豊臣秀長のこと
※22:該当人物不明
※23:何に該当するのか不明 14日の金春大夫の能見物と関係有りか
※24:本文「御飯被上」
※25:該当人物不明
※26:該当場所不明
※27:おそらく関ヶ原の合戦時に島津義弘をかくまったという田辺屋道与の関係者か
※28:細川幽斎か?
※29:松浦久信か?
※30:該当人物不明
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