拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
「御家譜」(『鹿児島県史料集』所収)見て気がついたんだが
「暗君無し」とかつてヾ(--;)言われた島津家の14代当主・島津勝久の字は「又八郎」なんだね。
ちなみに11代当主・島津忠昌の三男です。この忠昌パパは突然、西行の「願わくは花の元にて我死なんその如月の望月の頃」というのを辞世の句として自殺してしまったという人です。戦死・あるいは戦争に負けて自害した人は数多いが、今風(をい)な自殺をした武将として土佐一条家の一条房基(確実な史料では確認できないが・・・)とともに珍しい人かも知れません。
さて最初の話題に戻る。もう一人、「又八郎」字で当主になった人物が・・・そう、某掲示板では「DQN家久」とか「厨恒」とか「バカ恒」とかあらゆる罵倒の称号をもらい(爆)、その存在感はある意味奇行の多かった伊達政宗を超えたとも言われているヾ(^^;)18代当主・島津家久(忠恒)その方です。
家久以後「又八郎」は基本的に加治木島津家嫡子の字になったようなんだが、そうじゃない人でも又八郎を名乗った例が・・・別の機会に続くヾ(^^;)
「暗君無し」とかつてヾ(--;)言われた島津家の14代当主・島津勝久の字は「又八郎」なんだね。
ちなみに11代当主・島津忠昌の三男です。この忠昌パパは突然、西行の「願わくは花の元にて我死なんその如月の望月の頃」というのを辞世の句として自殺してしまったという人です。戦死・あるいは戦争に負けて自害した人は数多いが、今風(をい)な自殺をした武将として土佐一条家の一条房基(確実な史料では確認できないが・・・)とともに珍しい人かも知れません。
さて最初の話題に戻る。もう一人、「又八郎」字で当主になった人物が・・・そう、某掲示板では「DQN家久」とか「厨恒」とか「バカ恒」とかあらゆる罵倒の称号をもらい(爆)、その存在感はある意味奇行の多かった伊達政宗を超えたとも言われているヾ(^^;)18代当主・島津家久(忠恒)その方です。
家久以後「又八郎」は基本的に加治木島津家嫡子の字になったようなんだが、そうじゃない人でも又八郎を名乗った例が・・・別の機会に続くヾ(^^;)
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