拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
再来年(2020年)の大河が明智光秀に決まったそうなんですが
最期がブラックなんですが、大丈夫なの?というか、過労死+ブラック企業が色々言われる昨今だからこそ光秀なのだろうか。
というか、光秀役に内定した長谷川博巳41歳かよ⊂(。Д。⊂⌒`つ
そっちの方が軽くショックだわ…まだ30代かとてっきり
気を取り直して
前回の話はこちらです
ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。
※なお、20年以上前のデータのため、一部崩れたりする個所がありますが、訂正するのも面倒なのでこのまま再掲します。御了承下さい。
2018.4.19 16:27他ソースこちら
20年NHK大河は「麒麟がくる」主人公の明智光秀に長谷川博己
2020年のNHK大河ドラマは戦国武将の明智光秀を主人公の「麒麟がくる」に決まり、俳優、長谷川博己(41)が演じることが19日、東京・渋谷の同局で発表された。
光秀は過去の大河でも他の映像作品でも、本能寺の変で主君の織田信長を討ったことがクローズアップされるが、謎も多い。知性の人ともいわれ、家族を大事にしたことでも知られる。
時代を変えた悩み多き男と家族の絆を長谷川がどう演じるのか、作品の内容とともに注目される。2020年は東京五輪の開催される年でもあり、世界中から注目を集めることになるかも-。
http://www.sanspo.com/geino/news/20180419/geo18041916270029-n1.html
最期がブラックなんですが、大丈夫なの?というか、過労死+ブラック企業が色々言われる昨今だからこそ光秀なのだろうか。
というか、光秀役に内定した長谷川博巳41歳かよ⊂(。Д。⊂⌒`つ
そっちの方が軽くショックだわ…まだ30代かとてっきり
気を取り直して
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※なお、20年以上前のデータのため、一部崩れたりする個所がありますが、訂正するのも面倒なのでこのまま再掲します。御了承下さい。
天平9年(737年)、あの天然痘の大流行が発生します。
石上国盛の夫・藤原宇合もとうとう秋にはなくなってしまい、これで藤原4兄
弟はすべて全滅という事態に陥ります。
この時
藤原氏の子弟は国盛の息子・広嗣、宿奈麻呂を含めてもほとんどが20代前半
の若年。光明皇后(藤原4兄弟の妹)の力で、南家・武智麻呂の長男である豊
成を何とか参議(天皇の御前会議に参加できる役職)に滑り込ませたのが精一
杯で、光明皇后の異父兄である橘諸兄が権力を握ってしまいます!
しかし、光明皇后、この兄とは非常に仲が悪かったようで
「何とか私たちの甥が早くこの兄をやっつけてくれないと、藤原氏は滅びてし
まう」
と考えていたようです。
私はこの時、光明皇后が一番期待をかけていたのが宇合と国盛の間の長男・広
嗣だと考えています。何故そう考えるか?天平10年時点の藤原氏の状況を見
ると
南家 長男豊成:参議
次男仲麻呂:従5位上、官職不明
北家 長男鳥飼:死亡(推定)
次男永手:従5位下、官職不明
三男八束:正6位上、東宮大進
式家 長男広嗣:従5位下、式部少輔兼大和守
という状況で、藤原氏の総本家であり、又一番年齢の高い豊成は別格として、
広嗣が年齢のわりに破格の待遇が取られているのが一目で分かります。
まず、「式部少輔」というのは父・宇合が亡くなる直前まで勤めていた式部省
の役職ですし、ここは人事権に深く関与している役所です。
そして一番すごいのが大和守。要するに首都の平城京のある大和の国守になる
ことは、現在で言えば東京都知事になるほどの権力を持つこととなります。
まだ広嗣は24歳(推定)なのにこの待遇は、光明皇后の入れ込みがないと考
えられない物です。
広嗣の母・国盛も「光明皇后の期待にこたえるよう」広嗣を励ましたことと思
われます。
ところが
広嗣は光明皇后や母の期待とは「あさっての方向」に走りだしてしまうのです。
『続日本紀』によると、広嗣は「親族の悪口を言った」という理由で左遷され、
太宰少弐という格下の職に下げられてしまうのです。
この親族というのが誰を指すのかが問題です。
木本好信氏は「親族とは律令で言えば5親等をさすが、聖武天皇や光明皇后は
皇族だから例外。恐らく橘諸兄を押さえられない従兄弟の藤原豊成をけなした
のではないか?」とし
遠山美都男氏は「聖武天皇は藤原宮子の子なので従兄弟、光明皇后は叔母に当
たり親族である。おそらく玄坊や吉備真備など下級役人を登用する聖武天皇ら
を恨んで悪口を言ったのではないか?」としています。
まあ、この辺はいまだに通説がなくて見解が別れているのですが、ともかく!
せっかく光明皇后に登用された藤原広嗣が、逆に藤原氏の評判を汚すようなこ
とをしたのは確かなようです。
母の国盛の落胆はいかほどだったでしょうか。
*
そればかりではありません。この天平11年になんと国盛の兄弟である石上乙
麻呂が、国盛の亡き夫・宇合の妻の一人である久米連若売と密通したという罪
で流罪になってしまったのです(○o○)。
これについては、木本好信氏のように「実際に密通はしたが、この頃は未亡人
と密通してもそんなに大したことではなかった、これをオーバーに解釈したの
は橘諸兄の陰謀であった」という人もいますし、
角田文衛氏のように「これは石上氏を追い落とそうとした藤原氏が久米連若売
を使って行った陰謀だ!」という極端な説まで(^^;)ありますが、
私は「あまり若いと思えない分別盛りの乙麻呂が義理の兄弟・宇合の未亡人の
一人である若売に密通したとは考えにくく、光明皇后の関心を持つ広嗣の叔父・
乙麻呂を陥れようとした橘諸兄が”火のないところに煙を立てた”陰謀だろう」
と思っております。
*
ところが国盛の悩みはこれで終わりませんでした。
広嗣の派遣された太宰府は、実は広嗣の父・宇合が何年か前に太宰帥として赴
任していた場所でした。かつ、宇合はここで「行軍式」という軍の規則をまと
めるという貢献をしています。
このように父の威光が残る太宰府にとばされた広嗣は、積もる不満をついに爆
発させます。天平12年(742年)、広嗣は太宰府の兵を動員して兵を挙げ
ます。いわゆる「藤原広嗣の乱」の始まりでした。
(続く)
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