拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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「近日中に詳細版を」と思いながら、何と4年も経ってた_| ̄|○
と言う事で、タイトルにあるとおり20年に1回しか見られない春日大社の本殿の内陣を見学して参りました。
一言で言うと、余りのカオス感に頭がクラクラヾ(^^;)さすがカオスな一族藤原氏の氏神なだけあるわなんて言う訳の分からない感想を持ったのですが(^^;)
ただ、みなさんも大体予想はされるように、写真撮影禁止!_| ̄|○
今回は神社から配布されました絵地図を元に紹介させて頂きます。
写真をクリックしてもらうと拡大されるので、それを見ながら説明読むと分かりやすいと思います。
ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリック
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「近日中に詳細版を」と思いながら、何と4年も経ってた_| ̄|○
と言う事で、タイトルにあるとおり20年に1回しか見られない春日大社の本殿の内陣を見学して参りました。
一言で言うと、余りのカオス感に頭がクラクラヾ(^^;)さすがカオスな一族藤原氏の氏神なだけあるわなんて言う訳の分からない感想を持ったのですが(^^;)
ただ、みなさんも大体予想はされるように、写真撮影禁止!_| ̄|○
今回は神社から配布されました絵地図を元に紹介させて頂きます。
写真をクリックしてもらうと拡大されるので、それを見ながら説明読むと分かりやすいと思います。
ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリック
参道の途中にある「世界遺産」の石碑
修学旅行や遠足で行ったことのある人はご存じかと思いますが、興福寺近くにある「一の鳥居」からながーい道のりを歩いて歩いて15分ぐらいでここ本殿の横まで到着します。ゆるいとはいえ、ずっと上りが続くので運動不足の人にはきついかも知れません(^^;)
南門から写した本殿(の回り廊下の門) 通常はここまでしか入れません
しかし、今回はあの門の向こうまで入ります。
特別拝観の入場口はこの門…じゃなくて、慶賀門。一の鳥居から続く参道の一番行き止まりにある門です(2枚上の写真参照)。こちらで特別拝観料¥1000を払って一番最初に入る建物が
直会殿(なおらいでん)
有名な砂ずりの藤(と言うほど花が長くなかったんだがヾ(--;))の右横に見えている建て物。パンフに依りますと、中世には「法華八構」という仏教の祭典もここで行われていたそうで、神仏習合時代の名残を残す建て物、ということになりそうです。
背後にはものすごい数の釣り灯籠 がぶら下がっています。
次に見学するのが、通常拝観でもよーくよーくチェックしたらちらっと見られる巨大な杉の影に隠れるようにして存在している摂社・岩本神社(上記地図1)。と言うか、案内パンフで書いてなかったらうっかり通り過ぎるところでした(^^;)
祭神は住吉三神。受験とか和歌に効果があるそうです。
次に見学するのが遷宮作業中、ご神体の仮住居にしている建て物(移殿)(上記地図で「御仮殿」と書いてある建て物)です。実は明治時代までは春日大社でも伊勢神宮同様全立て替えをしていたのだが、明治時代の文化財保護法の施行により本殿は国宝(旧制)指定を受け、その結果立て替え不可能に。修理補修のみとなったそうです。
中身は特に特記するような印象がなかったf(^_^;)
この建て物の北側に隣接して校倉造り総朱塗りの宝庫 がありますが、こちらは中は見学できず外から見るだけ…。まあ、中身は博物館にうつってると思いますが。
その左横にちらっと見えているのが 摂社・多賀神社(上記地図2)。名前で分かるように、滋賀県の多賀大社から勧請されたものです。
この神社の周りは異様に藤が茂っていました。と言うか「砂ずりの藤」よりこちらのほうが美sh(以下自粛)
長寿とか仕事に効果がある神様だそうで、藤だけじゃなくて神社の周りの幟旗の数が半端なかったです。旗の数だけ人間の欲望がガクブル
…と、ここまでは解放済みの門の間から撮影できたのですが、この奥は完全に撮影不可能でした…。
残念ながらこのあとは文字だけで実況。
宝庫の裏の茂みの影にある摂社が風宮神社(上記地図3)。
現在は「子授け」の神様という事になっていますが、本来は「命を司り、罪や汚れを清めるお祓いの神様」らしいです。元々藤原氏は神職出身(ご先祖の中臣氏は神職の家系)なので、それっぽい神様と言えばそれっぽい。
そのちょうど北向かいにある摂社が椿本神社(上記地図4)、魔除けの神様だそうです。
そのすぐ裏にある窓のない長い建て物が「藤浪之屋」。ここは本来神官詰め所だった建て物ですが、現在は常時萬灯籠が灯されており、特別料金を払えばいつでも萬灯籠(の気分)が味わえるという。
中は暗くて(窓がないから当たり前か)小さい子供だったら泣いちゃうかもね~(^^;)というか、何で神官詰め所には窓を作らなかったんだろうか。そっちの方が疑問。
ここから後は140年ぶりに一般公開された後殿と磐座(いわくら)。
意外や意外、春日大社もご神体の巨大?な岩の上に建った神社だったと言う事を初めて知る…
(いやだって社伝では主神は茨城県の田舎から連れてきた神様だとkうわ何を)
…では先に後殿の神様達を紹介。本殿のすぐ裏に鎮座してるから、主神様たちと関係が深い神様なんだろうな、と思っていたがどうもそうではないようだ…
・佐軍神社(上記地図5):春日大社パンフによると「悪縁を絶ち平穏を守ってくれる神様」と言う事だが、神名不詳。検索してみると同名の神社は何と名古屋にあるようだ(しかも2つ)。後は長野県にもうひとつ。
・杉本神社(上記地図6):春日大社パンフによると「建て物の高層階で生活する人々の安全をお守り下さる神様」と言うことだが、こちらも神名不詳。しかし、春日大社ができた奈良時代に高層建築と言えば仏塔ぐらいしかないのに何で高層階で生活する人の安全を守る神様が(以下自粛)。なお、正倉院に近接して同名の神社があるようだが、関係は不詳である。
・海本神社(かいもとじんじゃ)(上記地図7):「海」とつくから海運とかに関係ある神様なのかと思いきや、パンフによると「食の安全を守る神様」なんだとか。神名不詳。同名の神社は検索した限りでは他にはない様子。
・栗柄神社(くりからじんじゃ)(上記地図8):パンフによると「出入りの門をお守り下さる神様」らしい。神名不詳。岡山県に坂田金時(金太郎のモデルになった人関連)で同名の神社がある。
・八雷神社(はちらいじんじゃ)(上記地図9):名前の通り、雷様がご神体。電気関連会社のご信仰がものすごいようで、この神社の周りは日本の主な電力会社全部とパ○ソニックとか超大手企業の名前が入った幟や寄付額がずらずら…「春日大社って金持ちかもしれん」と思わず思ってしまったのであったヾ(--;)。ちなみに藤原氏の前身・中臣氏は雨乞い関連の氏族という説があり(「中臣氏と卜部」横田健一『日本書紀研究』5所収)、意味不明な摂社群の中、数少ない藤原氏と関わりの深い神様かも知れない。
・飛来天神社(上記地図10):空の神様。分かりやすい(^^;)実はここは奥まったところにありゆっくり見られなかった。もしかしたらJA○とか○NAとかの幟とかあったのかも知れないが未確認。
・手力雄神社(たちからおじんじゃ)(上記地図11):パンフによると「勇気と力の神様」と言うこと。わかりやすっ(^^;)ここは飛来天神社の隣にある。つまり奥まったところにあったのでゆっくり見られなかった…。岐阜市と各務原市に同名の有名な神社があるらしい。
これらの摂社がひっそり奥まったところにずらずらぎゅうぎゅう並んでいるのは圧巻。
しかも全員主神と直接の関係はないらしい_(。_゜)/
何か今時のシェアハウスと一緒だなあ、と思ったのは私だけだろうか…。
また、ここからは通常は見られない本殿の裏側も拝見することができます。
その本殿の下にあるのが巨大な漆喰白塗りの岩。春日大社で「磐座(いわくら)」と称しているものです。
本殿さん達はこの岩の上に実は斜めに建っていたりする。通常拝観の外側からは整然と一列に揃った屋根しか見えなかったので、とても意外でした。
次はいったん後殿を出てから本殿にお参り。
向かって右側(山に近い方)から1殿(武甕槌命)→2殿(経津主命)→3殿(天児屋根命)→4殿(比売命)の順にお住まいになってます と言ってもこの日は遷宮作業中なので中は空なんですが(^^;)
写真で見ると平らなところに整然と並んでいるように見えるのですが、先述したように実は山の斜面の岩の上に立っているので土台は斜めです。
また本殿が山に向かって建っているのではなく、南向きに建っている(だから土台が傾斜してたりして無理がある)というのも興味深かったです。ちなみに「元春日」と言われる枚岡神社は山を拝むようにして本殿が建っているので西向きです。
また、この4つの社の間は板塀がついており、後殿へ行き来できない構造になっています。この板塀には極彩色で馬の絵が描いてあり、「絵馬」の起源になったのではないかとも言われているようです。
本殿お参り終了後は中門から外に出て更に東側の屏の外へ。
なお、この中門のすぐ横に「直江兼続が寄付した灯籠」が吊されています。銘文をチラ見した限りでは名義人は直江本人ではなく妻・お船の方のようだが。
ちなみに直江家は藤原京家末裔を自称している、かなりレアな一族でもあります。しかし兼続の代で断絶しちゃったのは有名ですが。どのルートをたどっても幸せになれない京家一族…・゚・(´Д⊂ヽ・゚・
東側の塀の向こうは、いきなり春日山原始林になります。春日大社の神奈備山とされる三笠山を拝む白木造りの東屋作りの遙拝所がありますが…三笠山ふりさけ見れど影も形も見えずうっそうとした原始林ばかり(^^;)
最後は南門の隣の桜門からまたまた内陣に入り、注文の外にある摂社4つ(青榊神社、辛榊神社、穴栗神社、井栗神社)を拝観して終了。この4つの摂社は通常拝観でも遠くから姿が見えるかも。
なおこの4つの摂社は同じ奈良市内の穴栗神社から勧請されてきたのですが、この穴栗神社は上山春平氏が藤原不比等との関係を考察した”宇奈多利坐高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃ)”と関わりがあるんじゃないかとも言われている曰く付きの神社です。
以上で特別拝観終了。
日ごろ滅多に見られないところを見せてもらい、面白かったです。
後日、上賀茂神社、下鴨神社も遷宮中だったので特別拝観があり、内陣を見たのですが、こんなにランダムに摂社を置いているところはなかったです。やはりこの混沌さ加減が春日大社の特徴なんだろうか。
<おまけ>
砂ずりの藤 島津家縁の近衞家から寄贈されたという由来がある。
砂(=地面)すれすれまで花が垂れ下がるからと言うのが名前の由来なんですが…名前に偽りあり?ヾ(--;)
春日大社遷宮の寄付者名簿 さだまさしさんさすがのお金持ち~ヾ(^^;)
絶賛再建工事中の興福寺中金堂 4年前でこの状態でした。
もうかれこれ発掘から含めると20年ちかく工事しているような。一応今年の10月に完成予定らしい。
ついに奈良時代の光景一部復活?
<おまけのおまけ>
しまかぜ
難波駅で見つけたので思わずパシャリ。いつかは乗りたいです。「瑞風」よりハードルは低いはず、多分(^^;)
修学旅行や遠足で行ったことのある人はご存じかと思いますが、興福寺近くにある「一の鳥居」からながーい道のりを歩いて歩いて15分ぐらいでここ本殿の横まで到着します。ゆるいとはいえ、ずっと上りが続くので運動不足の人にはきついかも知れません(^^;)
南門から写した本殿(の回り廊下の門) 通常はここまでしか入れません
しかし、今回はあの門の向こうまで入ります。
特別拝観の入場口はこの門…じゃなくて、慶賀門。一の鳥居から続く参道の一番行き止まりにある門です(2枚上の写真参照)。こちらで特別拝観料¥1000を払って一番最初に入る建物が
直会殿(なおらいでん)
有名な砂ずりの藤(と言うほど花が長くなかったんだがヾ(--;))の右横に見えている建て物。パンフに依りますと、中世には「法華八構」という仏教の祭典もここで行われていたそうで、神仏習合時代の名残を残す建て物、ということになりそうです。
背後にはものすごい数の釣り灯籠 がぶら下がっています。
次に見学するのが、通常拝観でもよーくよーくチェックしたらちらっと見られる巨大な杉の影に隠れるようにして存在している摂社・岩本神社(上記地図1)。と言うか、案内パンフで書いてなかったらうっかり通り過ぎるところでした(^^;)
祭神は住吉三神。受験とか和歌に効果があるそうです。
次に見学するのが遷宮作業中、ご神体の仮住居にしている建て物(移殿)(上記地図で「御仮殿」と書いてある建て物)です。実は明治時代までは春日大社でも伊勢神宮同様全立て替えをしていたのだが、明治時代の文化財保護法の施行により本殿は国宝(旧制)指定を受け、その結果立て替え不可能に。修理補修のみとなったそうです。
中身は特に特記するような印象がなかったf(^_^;)
この建て物の北側に隣接して校倉造り総朱塗りの宝庫 がありますが、こちらは中は見学できず外から見るだけ…。まあ、中身は博物館にうつってると思いますが。
その左横にちらっと見えているのが 摂社・多賀神社(上記地図2)。名前で分かるように、滋賀県の多賀大社から勧請されたものです。
この神社の周りは異様に藤が茂っていました。と言うか「砂ずりの藤」よりこちらのほうが美sh(以下自粛)
長寿とか仕事に効果がある神様だそうで、藤だけじゃなくて神社の周りの幟旗の数が半端なかったです。旗の数だけ人間の欲望がガクブル
…と、ここまでは解放済みの門の間から撮影できたのですが、この奥は完全に撮影不可能でした…。
残念ながらこのあとは文字だけで実況。
宝庫の裏の茂みの影にある摂社が風宮神社(上記地図3)。
現在は「子授け」の神様という事になっていますが、本来は「命を司り、罪や汚れを清めるお祓いの神様」らしいです。元々藤原氏は神職出身(ご先祖の中臣氏は神職の家系)なので、それっぽい神様と言えばそれっぽい。
そのちょうど北向かいにある摂社が椿本神社(上記地図4)、魔除けの神様だそうです。
そのすぐ裏にある窓のない長い建て物が「藤浪之屋」。ここは本来神官詰め所だった建て物ですが、現在は常時萬灯籠が灯されており、特別料金を払えばいつでも萬灯籠(の気分)が味わえるという。
中は暗くて(窓がないから当たり前か)小さい子供だったら泣いちゃうかもね~(^^;)というか、何で神官詰め所には窓を作らなかったんだろうか。そっちの方が疑問。
ここから後は140年ぶりに一般公開された後殿と磐座(いわくら)。
意外や意外、春日大社もご神体の巨大?な岩の上に建った神社だったと言う事を初めて知る…
(いやだって社伝では主神は茨城県の田舎から連れてきた神様だとkうわ何を)
…では先に後殿の神様達を紹介。本殿のすぐ裏に鎮座してるから、主神様たちと関係が深い神様なんだろうな、と思っていたがどうもそうではないようだ…
・佐軍神社(上記地図5):春日大社パンフによると「悪縁を絶ち平穏を守ってくれる神様」と言う事だが、神名不詳。検索してみると同名の神社は何と名古屋にあるようだ(しかも2つ)。後は長野県にもうひとつ。
・杉本神社(上記地図6):春日大社パンフによると「建て物の高層階で生活する人々の安全をお守り下さる神様」と言うことだが、こちらも神名不詳。しかし、春日大社ができた奈良時代に高層建築と言えば仏塔ぐらいしかないのに何で高層階で生活する人の安全を守る神様が(以下自粛)。なお、正倉院に近接して同名の神社があるようだが、関係は不詳である。
・海本神社(かいもとじんじゃ)(上記地図7):「海」とつくから海運とかに関係ある神様なのかと思いきや、パンフによると「食の安全を守る神様」なんだとか。神名不詳。同名の神社は検索した限りでは他にはない様子。
・栗柄神社(くりからじんじゃ)(上記地図8):パンフによると「出入りの門をお守り下さる神様」らしい。神名不詳。岡山県に坂田金時(金太郎のモデルになった人関連)で同名の神社がある。
・八雷神社(はちらいじんじゃ)(上記地図9):名前の通り、雷様がご神体。電気関連会社のご信仰がものすごいようで、この神社の周りは日本の主な電力会社全部とパ○ソニックとか超大手企業の名前が入った幟や寄付額がずらずら…「春日大社って金持ちかもしれん」と思わず思ってしまったのであったヾ(--;)。ちなみに藤原氏の前身・中臣氏は雨乞い関連の氏族という説があり(「中臣氏と卜部」横田健一『日本書紀研究』5所収)、意味不明な摂社群の中、数少ない藤原氏と関わりの深い神様かも知れない。
・飛来天神社(上記地図10):空の神様。分かりやすい(^^;)実はここは奥まったところにありゆっくり見られなかった。もしかしたらJA○とか○NAとかの幟とかあったのかも知れないが未確認。
・手力雄神社(たちからおじんじゃ)(上記地図11):パンフによると「勇気と力の神様」と言うこと。わかりやすっ(^^;)ここは飛来天神社の隣にある。つまり奥まったところにあったのでゆっくり見られなかった…。岐阜市と各務原市に同名の有名な神社があるらしい。
これらの摂社がひっそり奥まったところにずらずらぎゅうぎゅう並んでいるのは圧巻。
しかも全員主神と直接の関係はないらしい_(。_゜)/
何か今時のシェアハウスと一緒だなあ、と思ったのは私だけだろうか…。
また、ここからは通常は見られない本殿の裏側も拝見することができます。
その本殿の下にあるのが巨大な漆喰白塗りの岩。春日大社で「磐座(いわくら)」と称しているものです。
本殿さん達はこの岩の上に実は斜めに建っていたりする。通常拝観の外側からは整然と一列に揃った屋根しか見えなかったので、とても意外でした。
次はいったん後殿を出てから本殿にお参り。
向かって右側(山に近い方)から1殿(武甕槌命)→2殿(経津主命)→3殿(天児屋根命)→4殿(比売命)の順にお住まいになってます と言ってもこの日は遷宮作業中なので中は空なんですが(^^;)
写真で見ると平らなところに整然と並んでいるように見えるのですが、先述したように実は山の斜面の岩の上に立っているので土台は斜めです。
また本殿が山に向かって建っているのではなく、南向きに建っている(だから土台が傾斜してたりして無理がある)というのも興味深かったです。ちなみに「元春日」と言われる枚岡神社は山を拝むようにして本殿が建っているので西向きです。
また、この4つの社の間は板塀がついており、後殿へ行き来できない構造になっています。この板塀には極彩色で馬の絵が描いてあり、「絵馬」の起源になったのではないかとも言われているようです。
本殿お参り終了後は中門から外に出て更に東側の屏の外へ。
なお、この中門のすぐ横に「直江兼続が寄付した灯籠」が吊されています。銘文をチラ見した限りでは名義人は直江本人ではなく妻・お船の方のようだが。
ちなみに直江家は藤原京家末裔を自称している、かなりレアな一族でもあります。しかし兼続の代で断絶しちゃったのは有名ですが。どのルートをたどっても幸せになれない京家一族…・゚・(´Д⊂ヽ・゚・
東側の塀の向こうは、いきなり春日山原始林になります。春日大社の神奈備山とされる三笠山を拝む白木造りの東屋作りの遙拝所がありますが…三笠山ふりさけ見れど影も形も見えずうっそうとした原始林ばかり(^^;)
最後は南門の隣の桜門からまたまた内陣に入り、注文の外にある摂社4つ(青榊神社、辛榊神社、穴栗神社、井栗神社)を拝観して終了。この4つの摂社は通常拝観でも遠くから姿が見えるかも。
なおこの4つの摂社は同じ奈良市内の穴栗神社から勧請されてきたのですが、この穴栗神社は上山春平氏が藤原不比等との関係を考察した”宇奈多利坐高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃ)”と関わりがあるんじゃないかとも言われている曰く付きの神社です。
以上で特別拝観終了。
日ごろ滅多に見られないところを見せてもらい、面白かったです。
後日、上賀茂神社、下鴨神社も遷宮中だったので特別拝観があり、内陣を見たのですが、こんなにランダムに摂社を置いているところはなかったです。やはりこの混沌さ加減が春日大社の特徴なんだろうか。
<おまけ>
砂ずりの藤 島津家縁の近衞家から寄贈されたという由来がある。
砂(=地面)すれすれまで花が垂れ下がるからと言うのが名前の由来なんですが…名前に偽りあり?ヾ(--;)
春日大社遷宮の寄付者名簿 さだまさしさんさすがのお金持ち~ヾ(^^;)
絶賛再建工事中の興福寺中金堂 4年前でこの状態でした。
もうかれこれ発掘から含めると20年ちかく工事しているような。一応今年の10月に完成予定らしい。
ついに奈良時代の光景一部復活?
<おまけのおまけ>
しまかぜ
難波駅で見つけたので思わずパシャリ。いつかは乗りたいです。「瑞風」よりハードルは低いはず、多分(^^;)
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