拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
国立国会図書館からたかーいコピー代と送料払って入手した論文。
あとで無料でネット公開されていたことを知る(○。○)
後悔先に立たず(T∀T)でもお金もったいねーヽ(`Д´)ノ
気を取り直して
前回の話はこちらです
ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。
※なお、20年以上前のデータのため、一部崩れたりする個所がありますが、訂正するのも面倒なのでこのまま再掲します。御了承下さい。
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石上国盛の生年は最初に申し上げたとおり全く不明です。
但し相手の藤原宇合の生年は推定できます。『懐風藻』『公卿補任』等の記載
に寄れば没年44歳という事ですので、天平9年(737年)死去年から逆算
して持統8年(697年)生まれとなります。石上国盛の父・麻呂は持統8年
には既に48歳になっていますが、だからといって国盛が宇合よりかなり年上
とは考えにくい。まあ、同い年ぐらいと思っておいてよいのではないかと。
それにしても女性にして「国盛」とは勇ましい名前ですね。武功を持って朝廷
に仕えた石上(=物部)氏の出身ゆえ、女性ながら国の礎となる事を期待でも
したんでしょうか。となると、石上国盛は光明皇后のような勇ましいタイプの
女性に育てられた可能性もあります。まあ、そんな史料はないので想像するし
かないのですが。
宇合と国盛の結婚年ですが、実は肝心の二人の間の長子(藤原広嗣)の死亡年
齢が分からないため、これも推測に推測を重ねなくてはいけないところがあり
ます。
広嗣は、天平10年(737年)に初めて『続日本紀』に名前が出てきます。
この時、北家の実質的長男(実際は次男)・藤原永手と同時に従5位下に任じ
られたのでした。永手のこの時の年齢は24歳、また広嗣の弟・藤原宿奈麻呂
がこの時22歳と言うことは二人の没年から逆算して分かります。ここから考
えると、広嗣の生年はほぼ永手と同じ713年と考えて間違いないのではない
かと思われます。
となると、宇合と国盛の結婚年は712年頃以前に遡ると。石上麻呂が左大臣
でありながら藤原京留守番役など閑職ばかりさせられて不満たらたらになって
いたと思われる頃と符合します(^^;)。
*
実は、石上麻呂というのは子供に恵まれなかった人のようで、子供としてはこ
の国盛と、後に高官になった乙麻呂(おとまろ)の二人しか史料に記録があり
ません。「乙麻呂」は「弟麻呂」が転じた物と思われ、名前から推測すると上
に兄が居た可能性が高いですから、石上麻呂は大勢の子供に先立たれる不運に
もあっていたように推測できます。
それにしても不思議なのは、石上麻呂がこの唯一の娘と考えられる国盛を文武
天皇の后にしようと思わなかったことです。外戚になれる唯一のチャンス。し
かし、麻呂はそれをしませんでした。
もしかすると、麻呂が「大友皇子の首を持参した人物」ということで「血で汚
れた石上麻呂の娘など后にはもらえない」とでも言われたのかも知れません。
このように本当に「つき」があるようでないような星回りの元に生きた石上麻
呂は、717年78歳でなくなりました。
*
さて、やっと本題の石上国盛の話です。既に述べたように彼女は藤原宇合との
間に2人男の子を産んでいます。長男が藤原広嗣。次男が藤原宿奈麻呂(すく
なまろ・後の良継)です。他に女の子がいた可能性もありますが、記録がない
ため分かりません。
藤原宇合は他にも妻が大勢いました。『万葉集』でも赴任先の常陸の女性から
送られた和歌が残っているくらい、宇合は無茶苦茶かっこいい貴公子だったら
しいのです(^^;)。その中には女官として活躍していたらしい久米連若売(く
めのむらじ・わかめ、藤原百川<ももかわ>の母)等もおり、そうそうたるメ
ンバーだったようですが、彼女は大臣の娘らしく黙って耐えていたようです。
又、他の藤原家の妻で女官になる人もいましたが(例:北家房前の正妻・牟漏
女王)、彼女は若売や牟漏女王のように宮仕えをしなかったようです。それは
彼女のように父が大臣で、夫が高官であるにも関わらず、『続日本紀』ではな
かなか記録されていないことから推測できます。
このような女性に南家・武智麻呂の正妻である安倍貞媛(あべさだひめ、祖父
は安倍御主人<みうし>といい右大臣で没)もいます。彼女も『家伝下』にし
か記録が残らず『続日本紀』に出てこないことから考えると宮仕えした形跡は
ありません。
おそらく、貞媛にしても国盛にしても
「大臣の娘が、宮仕えって、ねえ」
なーんておもっていたのでしょうか。
しかし、それどころではない事態が起こります!
(続く)
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