拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
やっと出たか~
著者の新名一仁氏もも前書きで書いてられますが、戦国時代の島津氏に関する入門書?が出たのは三木靖氏の『戦国島津氏』以来約50年ぶり。
今まで、雑誌のムック本しかなかった戦国時代の島津氏に関してようやくまともな本が…・゚・(´Д⊂ヽ・゚・
個人的には、今までぼんやりと印象を持っていた「見栄張り島津」(ヲイ)を具体的に裏付けしてもらってよかったです…良かったのか?ヾ(--;)
島津氏が九州全土に戦線を拡大していくときには、他国の国人からの要請、つまり「他国の覚え」「外聞」が非常に重視されていたらしい(p.242)。「助けて~島津ま~ん」ヾ(^^;)に応えない島津氏は恥ずかしい!と言う考えが家中の上から下まで強かったようで。
最もそれをかなりいいように利用されていた(特に秋月種実あたりに)のも事実のようですが。
しかし、登場人物が余りにも多いのには絶句(ヲイ)
それと「島津四兄弟の」とはタイトルついているんですが、歳久空気ですねぇ。実際史料が残ってないようなので(p.257)書くこと無いのは仕方ないんですけど…(T∀T)。
さてその島津の総帥のはずの島津義久。が!!!
「自分の意見を言ってもどうせ間に合わないし無意味だと思ったから意見を言わなかったんだよ!」(p.127)
「あい続く家臣の失態で人のいないところで泣いている」(p.216)
とか、何か投げやりというか常にやる気のない義久。…当初からの印象通りだったヾ(^^;)
また、新名氏によると義久は家臣団の談合の結果が自分の理想とか予想と外れていても、頭ごなしに否定することを避ける傾向があったらしい(p.246)。とどめに、自分が責任を負うことを回避する傾向もあったらしい(p.246)何だか弱すぎる戦国大名・島津義久。こういう優柔不断な態度を取ったのは、新名氏によると「様々な不満・批判が太守自身に向かうことを避け」るための手段だったようなのだが…。
あと、足利義昭が義久に「九州の太守」とか「九州守護」とかいかが~と誘惑してたらしい(新名氏は裏で秋月種実辺りが工作していたのではと推測されているが)話(p.164)話は初めて知りました。義久は本気にしてなかったようだが。
また、義久が義弘を後継者に指名した話はp.166、p.249で詳しく書いてあるのだが、その理由としては、拡大し続ける戦線を指揮するのに病弱な自分の他に“名代”が必要だったからではないかとしてられる。それはその通りだと同意するんだが、そのために3歳しか違わない弟を次期後継者にすると言う手段は良かったのかどうか…。事実、義弘は「(自分の家臣から言われたのだが)自分が次期後継者に決まった後に義久に男の子が生まれたら話がややこしくなるよ」と言っていたようなのだが。
それと、この本で一番目立っているのは家久。もちろんDQNじゃない方の家久であーるヾ(^^;)
が、家久の無茶苦茶ぶりに絶句。阿蘇大宮司家の攻略のために裏工作してたり(p.180)なにがなんでも豊後(=大友氏)攻撃をしたいために島津家中も騙すような攻略して逆に義久お兄ちゃんをを激怒させるとか(p.190)
なお、新名氏はこの本では深く追求されてないんですが、
島津義久が陣頭に立ち、家久が陣頭に立てば、島津氏は無敵の強さ。逆の場合は大失敗
…と言う共通点があるらしい(p.268)。なぜなんでしょうね。
かなり盛りだくさんの内容なので、新書でも読むのはかなり大変かと思いますが、戦国時代の島津氏がたどった過程を見直したい人には必読の一冊かと。
おまけ
まえがきで「島津氏は、どうしてドラマとか漫画では山賊みたいな描かれ方をされているの」と新名氏がお嘆きでした。同志はっけーんヾ(^^;)
関連ネタこちら
著者の新名一仁氏もも前書きで書いてられますが、戦国時代の島津氏に関する入門書?が出たのは三木靖氏の『戦国島津氏』以来約50年ぶり。
今まで、雑誌のムック本しかなかった戦国時代の島津氏に関してようやくまともな本が…・゚・(´Д⊂ヽ・゚・
個人的には、今までぼんやりと印象を持っていた「見栄張り島津」(ヲイ)を具体的に裏付けしてもらってよかったです…良かったのか?ヾ(--;)
島津氏が九州全土に戦線を拡大していくときには、他国の国人からの要請、つまり「他国の覚え」「外聞」が非常に重視されていたらしい(p.242)。「助けて~島津ま~ん」ヾ(^^;)に応えない島津氏は恥ずかしい!と言う考えが家中の上から下まで強かったようで。
最もそれをかなりいいように利用されていた(特に秋月種実あたりに)のも事実のようですが。
しかし、登場人物が余りにも多いのには絶句(ヲイ)
それと「島津四兄弟の」とはタイトルついているんですが、歳久空気ですねぇ。実際史料が残ってないようなので(p.257)書くこと無いのは仕方ないんですけど…(T∀T)。
さてその島津の総帥のはずの島津義久。が!!!
「自分の意見を言ってもどうせ間に合わないし無意味だと思ったから意見を言わなかったんだよ!」(p.127)
「あい続く家臣の失態で人のいないところで泣いている」(p.216)
とか、何か投げやりというか常にやる気のない義久。…当初からの印象通りだったヾ(^^;)
また、新名氏によると義久は家臣団の談合の結果が自分の理想とか予想と外れていても、頭ごなしに否定することを避ける傾向があったらしい(p.246)。とどめに、自分が責任を負うことを回避する傾向もあったらしい(p.246)何だか弱すぎる戦国大名・島津義久。こういう優柔不断な態度を取ったのは、新名氏によると「様々な不満・批判が太守自身に向かうことを避け」るための手段だったようなのだが…。
あと、足利義昭が義久に「九州の太守」とか「九州守護」とかいかが~と誘惑してたらしい(新名氏は裏で秋月種実辺りが工作していたのではと推測されているが)話(p.164)話は初めて知りました。義久は本気にしてなかったようだが。
また、義久が義弘を後継者に指名した話はp.166、p.249で詳しく書いてあるのだが、その理由としては、拡大し続ける戦線を指揮するのに病弱な自分の他に“名代”が必要だったからではないかとしてられる。それはその通りだと同意するんだが、そのために3歳しか違わない弟を次期後継者にすると言う手段は良かったのかどうか…。事実、義弘は「(自分の家臣から言われたのだが)自分が次期後継者に決まった後に義久に男の子が生まれたら話がややこしくなるよ」と言っていたようなのだが。
それと、この本で一番目立っているのは家久。もちろんDQNじゃない方の家久であーるヾ(^^;)
が、家久の無茶苦茶ぶりに絶句。阿蘇大宮司家の攻略のために裏工作してたり(p.180)なにがなんでも豊後(=大友氏)攻撃をしたいために島津家中も騙すような攻略して逆に義久お兄ちゃんをを激怒させるとか(p.190)
なお、新名氏はこの本では深く追求されてないんですが、
島津義久が陣頭に立ち、家久が陣頭に立てば、島津氏は無敵の強さ。逆の場合は大失敗
…と言う共通点があるらしい(p.268)。なぜなんでしょうね。
かなり盛りだくさんの内容なので、新書でも読むのはかなり大変かと思いますが、戦国時代の島津氏がたどった過程を見直したい人には必読の一冊かと。
おまけ
まえがきで「島津氏は、どうしてドラマとか漫画では山賊みたいな描かれ方をされているの」と新名氏がお嘆きでした。同志はっけーんヾ(^^;)
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