拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
たまたまネットでこんなニュースを見かけたのであーる。
…とまあ色々さんざんな書かれぶりで、他県民ながら「この先大丈夫かなあ」と思ってしまうのですが(^^;)
ところで。
当の事件当時の奈良時代の人たち。
「長屋王は呪った」
…と思ったのでしょうか?
ちょいと長くなるかも知れないので、ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ
“長屋王の呪い”は…ミ・ナーラ開店 「供養は毎日やります」他のニュース 奈良県民が気になる「長屋王の呪い」(Jタウンネット)
更新:04/24 19:18
24日、奈良市に「ミ・ナーラ」という新しい商業施設がオープンしました。この建物には、業績不振などで店が入れ替わってきた歴史があります。これははるか昔の奈良に都があった時代にここに居を構えていた皇族「長屋王」の呪いではないかというのが、地元では定番の小話となっているようです。新しい施設は外国人観光客もターゲットに加えていますが、「呪い」を振り払うことはできるでしょうか。
奈良市内にオープンした「ミ・ナーラ」。開店を待ちわびていた大勢の人がつめかけました。1階に入るのはフードコートや食品スーパーなど。2階や3階には安さが売りの衣料品店や100円均一の店が入り庶民的な雰囲気ですが、かつてここは百貨店の奈良そごうでした。
「正面の玄関ホールなんですが、高い吹き抜けに立派な柱。そごうだった時代の面影が残っています」(神崎智大記者リポート)
「長屋王が住んでおられたお屋敷でございますので、気配が漂ってきているような…」(奈良県 荒井正吾知事)
バブル絶頂期の1989年にオープンした奈良そごう。法隆寺の夢殿をイメージした黄金のオブジェが飾られるなどゴージャスな雰囲気が話題を集めましたが、2000年にグループ全体の経営破たんに伴い閉店。この時、まことしやかにささやかれたのが「長屋王の呪い」でした。
そごう開業の前の年に現地調査で3万点を超える木簡が見つかり、奈良時代の皇族で左大臣を務めながらも非業の死を遂げた長屋王の邸宅だったことがわかります。建設反対の声が上がりましたが、そごうは地下の遺跡を保存するなどの配慮を加えた上で開発を続けます。
しかし、そごうはわずか11年で閉店。その後、出店したのはイトーヨーカドーで初日には3000人が列をつくり「呪い」は払拭できたと思われたのですが、業績悪化で去年閉店。関係者には今度こその思いがにじみます。
「(長屋王の)御霊の供養もちゃんとさせていただきました。毎日やります。スーパーマーケットがあるからお客さんが来るっていう時代ではない。皆さんが集まりやすい環境をつくった」(運営会社「やまき」 山下修平社長)
新しいミ・ナーラが目指すのは観光型の施設。4階には外国人を意識したテーマパークがつくられました。その一つが「金魚ミュージアム」です。
「この部屋は壁一面に花!インスタ映えしそうです。もはや金魚がどこにいるかよくわかりません」(記者リポート)
戦国時代のからくり屋敷で忍者の修行を体験できるという「NINJA TOWN」も。
「刀で光ったところを切るという修行ですね。手裏剣を投げる修行。手裏剣はゴム製です」(記者リポート)
かつて建物のシンボルだった回転レストランは宿泊施設(センチュリオンホステル・2名1泊5000円〜)になりました。
「かつて回っていた部分が廊下になっています。そして外側に部屋が。仕切りはカーテンだけの簡易なタイプですね。北西側の部屋からは平城宮跡が見えます、大極殿も見えますね。なかなか良い景色です」(記者リポート)
奈良時代には宮殿に近い一等地だったこの場所ですが、今は有名観光地から離れ最寄り駅(近鉄・新大宮駅)からも徒歩13分。商業施設としてはやや不利なエリアです。「ミ・ナーラ」は逆境をはねのけることができるでしょうか?
Q.そもそも難しい立地ではという声もあるが?
「まったく違います。そんなこと思ったら僕は手を出さない。奈良のみなさんが『こんなものがウチの街にあるよ』と自慢ができる、新しいファッションになればいいと思う」(運営会社「やまき」 山下修平社長)
https://www.mbs.jp/news/kansai/20180424/00000070.shtml
…とまあ色々さんざんな書かれぶりで、他県民ながら「この先大丈夫かなあ」と思ってしまうのですが(^^;)
ところで。
当の事件当時の奈良時代の人たち。
「長屋王は呪った」
…と思ったのでしょうか?
ちょいと長くなるかも知れないので、ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ
実は、学者の間でも「奈良時代の人が”長屋王の祟りがあった”と思った(考えていた)」かどうかと言うのは、意見が分かれているようでして、私が見た限りでは
1)奈良時代の人は長屋王が呪ったとは思ってなかった:吉川真司(『天皇の歴史2』(講談社))
2)奈良時代の人も長屋王が呪ったと思った:塩入秀敏(「藤原弟貞-奈良時代皇親貴族の一つの生き方-」『上田女子短期大学紀要』26)
などが目に付きました。細かく調べるともっといろいろ意見がありそう。
私個人的には「奈良時代の人も、無実の罪で死んだ長屋王が呪った、と考えたのではなかろうか」という考えです。
根拠は以下の通り
「天平9年に藤原四子(とか4兄弟とか言われている不比等の4人の息子)を含め、貴族から庶民を含めた大量死があった直後の9月、10月に、長屋王の親族がにわかにまとめて叙位を受けていること」
です。
ただ、後世「呪いのボス」ヾ(^^;)とあがめ恐れられた
・井上内親王(聖武天皇皇女、光仁天皇皇后。後廃后され、息子・他戸親王と共に疑惑のある最期を遂げる)
・早良親王(光仁天皇皇子、桓武天皇皇太子。後に流刑にされ、連行中に餓死)
・藤原吉子(桓武天皇夫人。後に無実の罪で息子・伊予親王と共に幽閉され自殺に追い込まれる)
などなどが神社には祭られる、天皇家に何かある度に墓参りされて盛大に祭られる…と言ったことをされたのに対し、長屋王にはそういう行事がされた形跡はありません。
これは私の考えですが、聖武天皇はこの後国分寺・国分尼寺の建立や、東大寺の建設など仏教方面に開眼されてしまったようで(^^;)「仏様を祭っていたら、仏様のお力で長屋王の呪いも消えるだろう」と思い込んだのではないかと。
なお、聖武天皇の死後に結局この系統が断絶し、桓武天皇の系統がその後の天皇家の直系になったのも、長屋王の呪いが忘れられた原因になったと考えます。長屋王は呪いを達成したから祭る必要が無くなった?…と言うわけではなくヾ(^^;)、桓武天皇やその子孫にとっては前の系統に関わりがあった長屋王より、自分に直接関わりのある井上内親王とか早良親王の方がずっとずっと怖いのは当然ですから。
ところで同じ奈良ネタでこんなニュースも見たのですが
・長屋王邸出土木簡を元にして、奈良時代の酒を再現してみた(限定販売中) こちらで現在も販売されています。色が黄色とか甘いとか言う話を聞くと、「それはみりんでしょ」と思ってしまう私うわ何を
・平城宮朱雀門前に遣唐使船もある観光施設を作ってみた 当然ここも奈良時代は一等地だったはずで、先述の元そごうの近所でもあるのだが、ここからは何も出てこなかったんだろうか?ニュースで話題になった記憶がない。
・奈良県庁を橿原市に移す話があるらしい つまり1300年前の藤原京→平城京の逆コースな訳ですが、現状奈良市も橿原市も近鉄の特急停車駅があるし、ついでに大阪の植民地(ヲイ)なので、余り変わらないかも知れないなあという他県民な意見ヾ(^^;)でも県庁所在地南に移したら、リニア駅誘致問題で不利にならないんだろうか?
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