拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
前回までのお話 1,2,3,4,5,6
…
さて、こうしていろいろ書いていたわけですが、
この数年後にほぼ同時期に全く同じネタが論文になっていたことを知って愕然
その論文がこちら
「掌攷 石上国盛と石上国守」(『続日本紀研究』 (320), 36-38, 1999-06 所収)
現在は木本氏の著書のいくつかに所収されているようです。
うーむ、偶然って有るんだなあ…
と言う事でこのネタはお蔵入りしていたのですが、今回思うところがありまして(謎)再掲してみました。
あ、続きはないですよ、これ以上ネタがないので。古代の人はこの辺が悲しいな、戦国島津氏なら偶然この後ひょっこり変なネタヾ(^^;)が登場するという可能性もあると思うんですが。
この当時これを書いたのは偶然みんなが指摘してなかったことを見つけて嬉しかったのもありますが、調べていくうちに、なかなか気の毒な人だなー、と思って2年も経ってから又ネタにしたような記憶があります。
今改めて読むと、何不自由なく育ったお嬢様がこれまた良いところのイケメンの仕事できる人の嫁になって生来安泰!…のはずが、夫は若くして急死、息子が大ポカこかして、中高年になってから働きに出なくてはいけなくなったという…と言うような感じの、今でもよくあるようなお話でして、何か切なく、身につまされる物がありました。
あと、石上国盛について追記があります。
1999年の論考では天平勝宝元年にやっと無位から脱出したけどその後記述がないからすぐお亡くなりになられたんだろうな、と言う事を書いていた
のですが、
この後もう1回だけ『続日本紀』に登場されているようです。天平宝字4年(760年)5月に従五位下から従五位上に昇格。その後は記述がありません。この頃60代であったと推測されますので、この年なくなった光明皇后(60歳没)の後を追うように亡くなられたかも知れません。
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さて、こうしていろいろ書いていたわけですが、
この数年後にほぼ同時期に全く同じネタが論文になっていたことを知って愕然
その論文がこちら
「掌攷 石上国盛と石上国守」(『続日本紀研究』 (320), 36-38, 1999-06 所収)
現在は木本氏の著書のいくつかに所収されているようです。
うーむ、偶然って有るんだなあ…
と言う事でこのネタはお蔵入りしていたのですが、今回思うところがありまして(謎)再掲してみました。
あ、続きはないですよ、これ以上ネタがないので。古代の人はこの辺が悲しいな、戦国島津氏なら偶然この後ひょっこり変なネタヾ(^^;)が登場するという可能性もあると思うんですが。
この当時これを書いたのは偶然みんなが指摘してなかったことを見つけて嬉しかったのもありますが、調べていくうちに、なかなか気の毒な人だなー、と思って2年も経ってから又ネタにしたような記憶があります。
今改めて読むと、何不自由なく育ったお嬢様がこれまた良いところのイケメンの仕事できる人の嫁になって生来安泰!…のはずが、夫は若くして急死、息子が大ポカこかして、中高年になってから働きに出なくてはいけなくなったという…と言うような感じの、今でもよくあるようなお話でして、何か切なく、身につまされる物がありました。
あと、石上国盛について追記があります。
1999年の論考では天平勝宝元年にやっと無位から脱出したけどその後記述がないからすぐお亡くなりになられたんだろうな、と言う事を書いていた
のですが、
この後もう1回だけ『続日本紀』に登場されているようです。天平宝字4年(760年)5月に従五位下から従五位上に昇格。その後は記述がありません。この頃60代であったと推測されますので、この年なくなった光明皇后(60歳没)の後を追うように亡くなられたかも知れません。
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