拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
前のお話はこちら
前回の話を書いている内にもうひとつ思いついたことがあるので書いてみる。
先ず、前回出した「戦国島津家主要女性の結婚データ」一覧再掲。
「死別したのに尼になってない 再婚もしてない」例である。これだけ抽出して列挙してみる。
(1)夫が死んだときに、まだ小さい子供が残っていた。
この例に当てはまるのは
島津御平、島津新城、島津忠将長女、島津以久長女
である。
前々回に話題になったお市の方は最初の夫(浅井長政)と死別した後出家していないが、これも「子供が小さかった」のが理由の一つだろうと思われる。最も浅井長政は兄・織田信長に反抗して自害したので、信長が「あんな奴のために出家するな!」と止めた可能性が大でしょうが…。淀殿が秀吉の死後に出家しなかったのも同様かと。
(2)もう子供も大きくて後の心配もないはずなのに出家してない
上記から抽出すると
島津御南、島津忠将次女、島津尚久長女、島津貴久側室
なお参考に、再婚で夫に死別+子供も大きくて後の心配もないはずなのに出家してない例は
島津御屋地、島津御下、島津歳久長女、北郷忠孝女
がいる。
合計すると8例になるが、上記の例のうち再婚を含めて夫と死別した女性は21人、その中で8例というのは1/3強~1/2弱、かなり多いのではないだろうか。
やっぱり戦国時代の島津家中では「夫に死別しても妻は出家の必要はなし」と思われていたのかも。
前回の話を書いている内にもうひとつ思いついたことがあるので書いてみる。
先ず、前回出した「戦国島津家主要女性の結婚データ」一覧再掲。
島津忠良(日新斎)の娘やっぱり離婚多いな~ヾ(--;)…はともかく、その他に目立つのが
・島津御南:夫の死後出家した記録はない。
・島津御隅:夫より先に死去。
・三女(御西?):最初の夫とは離婚、次の夫とも離婚。
・四女:夫より先に死去。
島津義久の娘
・島津御平:夫の死後出家した記録はない。
・島津新城:夫の死後出家した記録はない。
・島津亀寿:最初の夫の死後出家した記録はない。二度目の夫より早く死去。
島津義弘の娘
・島津御屋地:最初の夫とは離婚、二度目の夫の死後出家した記録はない。
・島津御下:最初の夫とは死別だが出家した記録はない。二度目の夫とも死別だが出家した記録はない。
島津歳久の娘
・長女:最初の夫とは死別だが出家した記録はない。二度目の夫とも死別だが出家した記録はない。
・次女:最初の夫とは離婚、二度目の夫より早く死去
島津家久(中務大輔)の娘
・長女:最初の夫とは離婚、以後再婚せずその後出家の記録も無し
・次女:夫の死後出家した記録はない。
・三女:最初の夫とは離婚、二度目の夫より早く死去
島津忠将の娘
・長女:夫の死後出家した記録はない。
・次女:夫の死後出家した記録はない。
島津以久の娘
・長女:夫の死後出家した記録はない。
・次女:結婚前に死去。
島津尚久の娘
・長女:夫の死後出家した記録はない。
・次女:夫より先に死去。
島津忠長の娘:最初の夫の死後出家した記録はない。二度目の夫より早く死去。
北郷時久の娘
・北郷池上:最初の夫とは離婚、以後再婚せずその後出家の記録も無し
・北郷外城:最初の夫とは離婚、以後再婚せずその後出家の記録も無し
北郷忠孝の娘:最初の夫とは離婚、二度目の夫とは死別だが出家した記録はない。
相良晴広の娘(亀徳):最初の夫とは離婚、二度目の夫とは死別し尼となる。
島津忠良側室(島津尚久の母):生前から法号を名乗っていたらしいが「夫の死後出家した」とは明言されず
島津貴久側室(島津家久母):貴久の死後、出家の記録は無し
「死別したのに尼になってない 再婚もしてない」例である。これだけ抽出して列挙してみる。
これを見ていると、「夫に先立たれたのに尼にならなかった」のにはいくつかのパターンが見えてくる。
・島津御南:夫の死後出家した記録はない。
・島津御平:夫の死後出家した記録はない。
・島津新城:夫の死後出家した記録はない。
・島津家久(中務大輔)次女:夫の死後出家した記録はない。
・島津忠将長女:夫の死後出家した記録はない。
・〃 次女:夫の死後出家した記録はない。
・島津以久長女:夫の死後出家した記録はない。
・島津尚久長女:夫の死後出家した記録はない。
・島津貴久側室(島津家久母「橋姫」):貴久の死後、出家の記録は無し
(1)夫が死んだときに、まだ小さい子供が残っていた。
この例に当てはまるのは
島津御平、島津新城、島津忠将長女、島津以久長女
である。
前々回に話題になったお市の方は最初の夫(浅井長政)と死別した後出家していないが、これも「子供が小さかった」のが理由の一つだろうと思われる。最も浅井長政は兄・織田信長に反抗して自害したので、信長が「あんな奴のために出家するな!」と止めた可能性が大でしょうが…。淀殿が秀吉の死後に出家しなかったのも同様かと。
(2)もう子供も大きくて後の心配もないはずなのに出家してない
上記から抽出すると
島津御南、島津忠将次女、島津尚久長女、島津貴久側室
なお参考に、再婚で夫に死別+子供も大きくて後の心配もないはずなのに出家してない例は
島津御屋地、島津御下、島津歳久長女、北郷忠孝女
がいる。
合計すると8例になるが、上記の例のうち再婚を含めて夫と死別した女性は21人、その中で8例というのは1/3強~1/2弱、かなり多いのではないだろうか。
やっぱり戦国時代の島津家中では「夫に死別しても妻は出家の必要はなし」と思われていたのかも。
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関連エントリはこちら
『河原ノ者・非人・秀吉』のp.688~609あたりで
「福田千鶴氏が『淀殿』で"淀殿は貞淑"と書いていたが根拠が明らかでない、むしろ同時代史料(内藤隆春書状など)では淀殿のご乱行が伝えられていてとても貞淑とは思えない、同じ秀吉の妻室でも北政所や京極龍子は秀吉の死後出家したが淀殿は大坂の陣で自害するまで結局出家しなかった、そういえば淀殿の母・市も夫・浅井長政が死んだ後も出家しなかったので淀殿は母と同じ道を選んだわけである」
と言う事が書かれていたのを読んで、あることを思い出した。
拙ブログで言及していたと思って検索してみたが、書いてないようなので改めて書いてみる。
上記の文でもわかるように、
「武家の女性というのは夫が死ねば出家するのが当たり前」
というのは一般的常識なのだが、
それって本当にそうなのか?
…と言うのが今回の問題提起。
この先は「つづきはこちら」をクリック。
『河原ノ者・非人・秀吉』のp.688~609あたりで
「福田千鶴氏が『淀殿』で"淀殿は貞淑"と書いていたが根拠が明らかでない、むしろ同時代史料(内藤隆春書状など)では淀殿のご乱行が伝えられていてとても貞淑とは思えない、同じ秀吉の妻室でも北政所や京極龍子は秀吉の死後出家したが淀殿は大坂の陣で自害するまで結局出家しなかった、そういえば淀殿の母・市も夫・浅井長政が死んだ後も出家しなかったので淀殿は母と同じ道を選んだわけである」
と言う事が書かれていたのを読んで、あることを思い出した。
拙ブログで言及していたと思って検索してみたが、書いてないようなので改めて書いてみる。
上記の文でもわかるように、
「武家の女性というのは夫が死ねば出家するのが当たり前」
というのは一般的常識なのだが、
それって本当にそうなのか?
…と言うのが今回の問題提起。
この先は「つづきはこちら」をクリック。
久しぶりの戦国ネタです!ただし島津氏に直接関係なし_(。_゜)/
図書館で偶然に見つけた本です。タイトルでピンときて中も確認せず借りました(^^;)
帰宅して読みましたが、読みは的中。
現在は余り学術的にはネタになることが少ない(と思われる)
「豊臣秀吉賎民階級出身説」
を至極真面目に諸史料を駆使して検討した論文でした(→何しろ出版社が歴史教科書の大御所・山川出版社ですからな、変な内容ではないと思ってたヾ(--;))
※物事を肩書きだけで判断するのは辞めましょうヾ(^^;) 現に今こういう例がヾ(--;)
更に驚いたのが、これまた更に学術的にネタにする人は最近ほぼ皆無の
「豊臣秀頼秀吉非実子説」
を真面目に検討しているみたい(○。○)
現在の秀吉研究と言えば政治体制とか家臣団の権力闘争とかが中心だと思うので、なかなか面白いテーマに目を付けたと思います。
以下詳しいことは「つづきはこちら」をクリック
※論旨の都合上、現在はマスコミないし一般的には使わない単語が続出します ご了承くださいますようお願いします。
図書館で偶然に見つけた本です。タイトルでピンときて中も確認せず借りました(^^;)
帰宅して読みましたが、読みは的中。
現在は余り学術的にはネタになることが少ない(と思われる)
「豊臣秀吉賎民階級出身説」
を至極真面目に諸史料を駆使して検討した論文でした(→何しろ出版社が歴史教科書の大御所・山川出版社ですからな、変な内容ではないと思ってたヾ(--;))
※物事を肩書きだけで判断するのは辞めましょうヾ(^^;) 現に今こういう例がヾ(--;)
更に驚いたのが、これまた更に学術的にネタにする人は最近ほぼ皆無の
「豊臣秀頼秀吉非実子説」
を真面目に検討しているみたい(○。○)
現在の秀吉研究と言えば政治体制とか家臣団の権力闘争とかが中心だと思うので、なかなか面白いテーマに目を付けたと思います。
以下詳しいことは「つづきはこちら」をクリック
※論旨の都合上、現在はマスコミないし一般的には使わない単語が続出します ご了承くださいますようお願いします。
実は以前引用した「東京大学100年史編纂委員会 平泉澄氏インタビュー」のpdfファイルがどこにあるのか分からなくなってしまい、結局検索する羽目になったのだが、その過程でこんな小論文を見つけたでござる。
「東京大学文学部日本史学研究所旧保管「平泉澄氏文書」について」(若井敏明)(『東京大学文学部日本史学研究室紀要 第9号』2005年3月)
末尾に付いている文献一覧をずずーっと見ていくと、何と島津氏関連では必ずお世話になる五味克夫氏のお名前はっけーん(○。○)…平泉ゼミに在籍していたことがあったのか。と言うか五味さんすごいお年と言うことですよね…ご健在でしょうか…
では前回途中で挫折した続き。
いよいよ平泉は軍の教育に足を突っ込んでいくこととなります…
「東京大学文学部日本史学研究所旧保管「平泉澄氏文書」について」(若井敏明)(『東京大学文学部日本史学研究室紀要 第9号』2005年3月)
末尾に付いている文献一覧をずずーっと見ていくと、何と島津氏関連では必ずお世話になる五味克夫氏のお名前はっけーん(○。○)…平泉ゼミに在籍していたことがあったのか。と言うか五味さんすごいお年と言うことですよね…ご健在でしょうか…
では前回途中で挫折した続き。
いよいよ平泉は軍の教育に足を突っ込んでいくこととなります…
前にも触れたのだが、在神戸英国大使館が陸軍中野学校の学生と伊藤佐又という将校(中野学校教官)によって襲撃されたという事件、今田の親友である高嶋辰彦と桜井徳太郎がバックにいるという話はいろんな本やネットにもちらちらとは載っていたのだが、
はっきりと
関係がある!
とか
この事件の概要はこうだ!
と書いた物が無くって、本当に高嶋と桜井が関係あるのか、そして私の推測通り、高嶋と桜井の左遷はこれに関係あるのかはっきりしなかった。
しかし、今田関連で入手した本『昭和憲兵史』に非常に詳しい記述があったので、それを元にして私の推測も交えつつ紹介してみることにする。
なお管見で見た限り、この事件に触れた本は多くても、高嶋と桜井までからめて触れた論文とか本は皆無なので、このブログが初めて取り上げることになる(と思う多分)。
…こういうニッチネタは早者勝ちなのである。( ̄^ ̄) この台詞義弘の肖像ネタでも書いたようなf(^_^;)
はっきりと
関係がある!
とか
この事件の概要はこうだ!
と書いた物が無くって、本当に高嶋と桜井が関係あるのか、そして私の推測通り、高嶋と桜井の左遷はこれに関係あるのかはっきりしなかった。
しかし、今田関連で入手した本『昭和憲兵史』に非常に詳しい記述があったので、それを元にして私の推測も交えつつ紹介してみることにする。
なお管見で見た限り、この事件に触れた本は多くても、高嶋と桜井までからめて触れた論文とか本は皆無なので、このブログが初めて取り上げることになる(と思う多分)。
…こういうニッチネタは早者勝ちなのである。( ̄^ ̄) この台詞義弘の肖像ネタでも書いたようなf(^_^;)

