拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
建国大学という名前を知っている人はなかなかの満州国マニアヾ(--;)
『建国大学の研究』によると
この大学は石原莞爾の肝いりで設立された大学なのだが、
莞爾が板垣征四郎(当時関東軍参謀長)に大学設立への助力を依頼する
↓
板垣が辻政信に大学の計画を立てるよう命令する
↓
辻が平泉澄に相談に乗って貰う
…と、伝言ゲームヾ(--;)みたいにやっている内に、「日本の帝大では出来ない未来のアジアを担う人材を作る」という莞爾の理想からどんどん脱線して、「日本の帝大では出来ない屈指の皇道教育を行う」ちう別物の大学になってしまったという…
まあ、「物事は安易に人に頼まないようにしましょう」という典型的な失敗例なわけですが(をい)
『建国大学の研究』によると、今田が少し設立時に絡んでいるらしい。あの平泉澄が当時の回想で語っている。
内容については「つづきはこちら」をクリック。
『建国大学の研究』によると
この大学は石原莞爾の肝いりで設立された大学なのだが、
莞爾が板垣征四郎(当時関東軍参謀長)に大学設立への助力を依頼する
↓
板垣が辻政信に大学の計画を立てるよう命令する
↓
辻が平泉澄に相談に乗って貰う
…と、伝言ゲームヾ(--;)みたいにやっている内に、「日本の帝大では出来ない未来のアジアを担う人材を作る」という莞爾の理想からどんどん脱線して、「日本の帝大では出来ない屈指の皇道教育を行う」ちう別物の大学になってしまったという…
まあ、「物事は安易に人に頼まないようにしましょう」という典型的な失敗例なわけですが(をい)
『建国大学の研究』によると、今田が少し設立時に絡んでいるらしい。あの平泉澄が当時の回想で語っている。
内容については「つづきはこちら」をクリック。
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yahoo!で紹介されていたので見に行った。
上田定緒コレクション 江戸時代の物価換算表
こちらで紹介されているのは料金表のみだが、実際の所は物価の現代価格換算というのはなかなか難しい物があると思う。物の価値というのも時代で変動しますからね。参考程度までに。
にしても「いい仕事してますね~」ヾ(^^;)楽長次郎の茶碗が1000万円単位で取り引きされているというのはやっぱり昔もそうだったのかー、と。でも今もそれくらいで取り引きされていると思うから、実は数百年の時を隔ててもあんまりインフレしてない物の一つかも?
意外に高いと思ったのが「本」新刊本は4950円ぐらいと言う事ですから、現代では大学の先生の専門書ぐらいの値段かと。江戸時代にはけっこう貸本屋が流行ったという話も聞いたことがあるが、ナルホド納得。
旅行では宿(たぶん旅籠かな?)の1泊2食付き4000円強というのは安いかな。でもよく考えれば旅籠は相部屋だったのだった。現在でもユースホステルとかドミトリーはこれくらいだし、こんなもんか。
ビックリしたのは食べ物類。現在よりかなり高いと思いませんか。豆腐は1丁で880円ぐらいしたとか(○。○)意外に安いと思ったのはお菓子で、大福1個66円也。まあ大きさが今より小さいとか甘さが殆どない(=砂糖ほとんど使ってない)かも知れませんが…。
興味深いのが「女の身売り代」。娘の身売りは330万円、妻の身売りは528万円。これって、何かいろいろ考えてしまうんですが…ヾ(--;) 一方で、大奥の上臈御年寄がせしめる賄賂は6600万円/年。うーむ。
トータルで見ると、江戸時代は現在より(意外にも)総じて物価が高く、一般庶民が生活するのは今よりかなりきつかったように思います。
ソレデモエドジダイハスバラシイジダイトオモイマスカ?
おまけ
上田定緒(うえだ・ていお)氏というのは、在野の風俗史(服飾史)研究家のようだが、師匠は画家の吉川観方氏らしい。吉川氏の本、古本で買ったことがある。
上田定緒コレクション 江戸時代の物価換算表
こちらで紹介されているのは料金表のみだが、実際の所は物価の現代価格換算というのはなかなか難しい物があると思う。物の価値というのも時代で変動しますからね。参考程度までに。
にしても「いい仕事してますね~」ヾ(^^;)楽長次郎の茶碗が1000万円単位で取り引きされているというのはやっぱり昔もそうだったのかー、と。でも今もそれくらいで取り引きされていると思うから、実は数百年の時を隔ててもあんまりインフレしてない物の一つかも?
意外に高いと思ったのが「本」新刊本は4950円ぐらいと言う事ですから、現代では大学の先生の専門書ぐらいの値段かと。江戸時代にはけっこう貸本屋が流行ったという話も聞いたことがあるが、ナルホド納得。
旅行では宿(たぶん旅籠かな?)の1泊2食付き4000円強というのは安いかな。でもよく考えれば旅籠は相部屋だったのだった。現在でもユースホステルとかドミトリーはこれくらいだし、こんなもんか。
ビックリしたのは食べ物類。現在よりかなり高いと思いませんか。豆腐は1丁で880円ぐらいしたとか(○。○)意外に安いと思ったのはお菓子で、大福1個66円也。まあ大きさが今より小さいとか甘さが殆どない(=砂糖ほとんど使ってない)かも知れませんが…。
興味深いのが「女の身売り代」。娘の身売りは330万円、妻の身売りは528万円。これって、何かいろいろ考えてしまうんですが…ヾ(--;) 一方で、大奥の上臈御年寄がせしめる賄賂は6600万円/年。うーむ。
トータルで見ると、江戸時代は現在より(意外にも)総じて物価が高く、一般庶民が生活するのは今よりかなりきつかったように思います。
ソレデモエドジダイハスバラシイジダイトオモイマスカ?
おまけ
上田定緒(うえだ・ていお)氏というのは、在野の風俗史(服飾史)研究家のようだが、師匠は画家の吉川観方氏らしい。吉川氏の本、古本で買ったことがある。
今田新太郎は、書いた論文の中でよく「浦敬一」という人物に言及している。今田曰く
でも「浦敬一」ってどんな人?食ったら旨いのか???ヾ(^^;)
取りあえずこういう時はネットで検索である。wikipediaでは単独項目としては立って無くて、「征清殉難九烈士」に併記されている程度である。
まとまっているのはこの辺りかな。
旧版はこれ(『浦敬一』
)だが、1924年初版の本なんてどう考えても入手するのは難関に決まってる。最近再刊されたらしい伝記叢書版ならなんとかなるだろう
¥17280(○。○) 余りの高額本なのに絶句。
こんな本は図書館で探すに限る…と思ったら、市立中央図書館にも県立図書館にもない_| ̄|○ 結局他県から借りる羽目に…なお、他の「伝記叢書」は割と揃っていたのにこれだけ無かったのは、購入を選定するに当たって”浦敬一”という人物はそろえる必要がないと思われたのではなかろうか?それくらい現代では無名と思われる…
では、今田がもしかしたら中江丑吉よりも石原莞爾よりも傾倒していたかも知れないという浦敬一というのはどういう人だったのか?伝記を概略版で紹介してみる。
※「つづきはこちら」をクリックして下さい
民間の志士が常に時の軍部と気脈を通じ世間より常に一歩も百歩も先んじて大陸に根を張って居った。(中略)浦敬一氏の如きは悲愴にも蘭州にいたりて行方不明となった。(中略)浦敬一氏の「児也去玄千萬里、縦跡恰假水上萍云々」の長詩の如き誠に当時の青年の士気を鼓舞し其腸を抉った物である。今田はこの人物をすごーく尊敬…と言うより、どうもこういう人になりたかったらしい。
「吾人は支那を如何に見るか」『偕行社記事701号附録』p.24
でも「浦敬一」ってどんな人?食ったら旨いのか???ヾ(^^;)
取りあえずこういう時はネットで検索である。wikipediaでは単独項目としては立って無くて、「征清殉難九烈士」に併記されている程度である。
まとまっているのはこの辺りかな。
浦敬一 うら-けいいち…とまあ、余り詳しく言及されているサイトやブログはどうもないようだ。ところが検索してみたら、どうも伝記があるようだ。
1860-? 明治時代の大陸浪人。
万延元年4月4日生まれ。長崎の「鎮西日報」の編集にあたる。明治20年清(しん)(中国)にわたり,荒尾精らと各地を調査。22年(1889)蘭州をへて嘉峪関にむかったまま消息をたった。肥前平戸(長崎県)出身。専修学校(現専修大)卒。本姓は坂本。
http://kotobank.jp/word/%E6%B5%A6%E6%95%AC%E4%B8%80
旧版はこれ(『浦敬一』
¥17280(○。○) 余りの高額本なのに絶句。
こんな本は図書館で探すに限る…と思ったら、市立中央図書館にも県立図書館にもない_| ̄|○ 結局他県から借りる羽目に…なお、他の「伝記叢書」は割と揃っていたのにこれだけ無かったのは、購入を選定するに当たって”浦敬一”という人物はそろえる必要がないと思われたのではなかろうか?それくらい現代では無名と思われる…
では、今田がもしかしたら中江丑吉よりも石原莞爾よりも傾倒していたかも知れないという浦敬一というのはどういう人だったのか?伝記を概略版で紹介してみる。
※「つづきはこちら」をクリックして下さい
今回紹介するこの本は、大仰なタイトルで伺えるように、石原莞爾の信奉者である武田邦太郎等を中心として出版されたものです。
出版の目的は
あと「石原先生マンセー」文章ばかりの中で、特別寄稿された仁科悟朗(当時明治学院大学教授)の満州事変評価に関するコラム(p.69~77)だけは読み応えあったかなあ。満州事変の首謀者を「石原莞爾等とそれを支持する軍部中央の一部」とする意見には同意します。一方、武田邦太郎氏ら莞爾信奉者のみなさんは当然「莞爾は作戦を立てただけ、陰謀なんて知らなかった」(p.47~48)と力説されておられますが、莞爾本人があれだけ満州事変計画の一部始終を詳しく日記に書いてるのに知らなかったなんてねーよう言うわ…
…といろいろ書いてきましたがヾ(^^;)
この本の中で他の石原莞爾本より傑出しているのが掲載写真の多いこと。
これはこの本の編纂に協力された人の御子息がネットでその辺りのエピソードを紹介しており、拙ブログでも一度引用したことがあります。
今まで拙ブログで紹介した写真の出元もこの本で分かったことが多いです。
例えば今田新太郎+牛島辰熊+浅原健三+津野田知重というあの写真、現所蔵は牛島辰熊夫人で、しかも掲載されなかった写真の中にはあの三上卓が写っていた物もあったとか(○。○)…見たいヾ(--;)
あと初めて見る今田の写真も結構ありましたねー。
では気になる点とかの紹介まいる。
ほとんど写真の紹介になると思います ※写真はクリックすると拡大します。
出版の目的は
現代歴史学、あるいは一般通念に於いて石原莞爾先生は、昭和に於ける日本の大陸侵略の先駆者とされている。それでは満州事変・満州建国から日中戦争、太平洋戦争期にかけ、石原先生が朝鮮民族(当時の呼称)漢民族始め、日本帝国主義の支配下にあった多くの異民族から、最も信頼すべき平和者として尊敬されたのは何故か。石原先生の指導した東亜連盟運動が、日中戦争を帝国主義侵略戦争であると批判し、公然と早期和平運動を展開して、軍閥政府から過酷な弾圧を受けたのは何故か。又極東国際軍事裁判の酒田臨時特設法廷で、石原先生が厳然として満州事変・満州建国の正当性を主張し得たのは何故か。石原先生が侵略者でなかったからではないのか。とあり、石原莞爾の再評価を狙ったものです。…ということで、最初から中身には期待してませんでしたヾ(--;) おおかた「石原莞爾は素晴らしい!」「石原先生は偉大!!!」…で列ねられてると予想してたんですが、実際読んでみて案の定そうでした_(。_゜)/ 中に書かれている話も、ほとんど今まで読んだ石原莞爾本で既に紹介されてる話ばかりで新味もなく…あ、でも石原六郎(莞爾の末弟)が死んだ後、残った土地の相続をめぐって4年にわたる大騒動となり、結局そのほとんどが売却されて莞爾が最期を迎えた家も取り壊された話(p.230~233)とかは初めて聞くことだったので興味深かったです。子供のいないご夫婦・単身者は多いかと思いますが、ちゃんと遺言書いとかないとこういう事になりますよ~(ただ莞爾の遺産の場合は莞爾の取り巻きとかも生きていて ゲフンゲフン)。まあ子供がいてても泥沼になることも多いから一緒ですかね近頃は(T∀T)
(後略)
p.6~7
あと「石原先生マンセー」文章ばかりの中で、特別寄稿された仁科悟朗(当時明治学院大学教授)の満州事変評価に関するコラム(p.69~77)だけは読み応えあったかなあ。満州事変の首謀者を「石原莞爾等とそれを支持する軍部中央の一部」とする意見には同意します。一方、武田邦太郎氏ら莞爾信奉者のみなさんは当然「莞爾は作戦を立てただけ、陰謀なんて知らなかった」(p.47~48)と力説されておられますが、莞爾本人があれだけ満州事変計画の一部始終を詳しく日記に書いてるのに知らなかったなんてねーよう言うわ…
…といろいろ書いてきましたがヾ(^^;)
この本の中で他の石原莞爾本より傑出しているのが掲載写真の多いこと。
これはこの本の編纂に協力された人の御子息がネットでその辺りのエピソードを紹介しており、拙ブログでも一度引用したことがあります。
今まで拙ブログで紹介した写真の出元もこの本で分かったことが多いです。
例えば今田新太郎+牛島辰熊+浅原健三+津野田知重というあの写真、現所蔵は牛島辰熊夫人で、しかも掲載されなかった写真の中にはあの三上卓が写っていた物もあったとか(○。○)…見たいヾ(--;)
あと初めて見る今田の写真も結構ありましたねー。
では気になる点とかの紹介まいる。
ほとんど写真の紹介になると思います ※写真はクリックすると拡大します。

