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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
wikipediaの該当記事

主に薩摩における国人の統制などで活躍した。主に島津貴久に仕えた。島津義久の養育係でもあったといわれる。1549年には樺山氏と北原氏を和睦させ、同年の黒川崎の戦いでも父・忠朗とともに出陣して、暴風に乗じた奇襲策で肝付兼演を破り、降伏させている。これらの功績により、1558年からは島津氏の筆頭家老を務めることとなった。

大隅の肝付兼続を鹿児島に招いた宴席において不手際があったと相手方より詰られ、責任を強く感じ出家、隠居した。貴久・義久の強い要請によって一時は復帰したものの、嫡男の伊集院忠棟に後事を託し再び隠居。以後は身を退き表舞台に出ることはなくなった。



…これって、まさか参考資料は
『島津義久』桐野作人著
…じゃないよね…。いや、聞いたことも見たこともない具体的な話が多いと思ったんで、何となく(^^;)

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戦国ゲームヲタでもないと知らないだろう?人物に
「島津久保」
という武将がいる。
簡単なデータはこちらにあるが、あの島津義弘の次男といった方が通りがいいかも知れない。次男といっても兄が夭折しており、島津氏当主であった伯父・島津義久に男子がいなかったため、実質的に後継者と見なされていた若武者である。しかし、朝鮮出兵で客死。享年21歳。彼の死後、島津家の跡目を巡って血みどろの争いがあったことは、はっきり言って余り知られていない。(『島津義弘の賭けでも当然の如く久保の弟・忠恒(家久)が次期当主になったように比較的あっさり書かれているが…)

ところで、次期当主と見なされていた物の夭折したためか、久保に関する史料は弟・忠恒と比較して余り残っていない。例えば忠恒の幼名は「米菊丸」、夭折した兄は「鶴寿丸」ということが史料により判明しているが、久保の幼名は全く不明なのである。
ところが、本日『鹿児島県史料』の「薩藩旧記雑録後編1」というのをぼんやり眺めていると、こんな史料に目が止まった
「(前文略)
大英檀藤原朝臣忠平、同鎌寿丸、如意寿丸并女大施主云々
天正三乙亥年八月十一日
(後文略)」
「藤原朝臣忠平」というのは実は島津義弘その人である。この頃はこんな名前だったんだよーん違和感あるけど。この頃、義弘にはまだ女子一人、男子二名しか生まれていない。そのうち女子一名は先妻のもとで養育されていた(拙HP参照)となると、一緒に併記されている男子二名と「女大施主」は義弘の息子二名と後妻の宰相殿とみて間違いないであろう。「鎌寿丸(かまじゅまる/けんじゅまる)」は「鶴寿丸(かくじゅまる)」と音が近いことによる書き間違いではないかと考える。

つまり
島津久保の幼名は「如意寿丸」
あるいはそれに近い発音の名前(だって鶴寿丸が間違って書いてあるからこうしか書きようがないんだもん)と考えられるのでは無かろうか。

ちなみに参考にした資料は『鹿児島県史料』「薩藩旧記雑録 後編1」の807「飯野一宮大明神棟札」(p437)でーす。都道府県立の中央図書館とか、史学部があるような大きな大学の図書館ならこの本おいてあると思います(たぶん)

ところで
wikipediaの該当データ
幼名は万寿丸

とあるけれど、これの元ねた何なんだ?最もwikiでも「要出典」なんて補足が書かれてますけど(^^;)

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狩野永徳の屏風絵か 京都で発見、来秋に公開
2006年09月13日

織田信長や豊臣秀吉に重用された安土桃山時代を代表する絵師、狩野永徳(1543〜90)の作とみられる屏風(びょうぶ)絵が新たに見つかった。華やかな活躍にもかかわらず、真筆とされる現存作品は10件に満たない天才絵師の実像を明らかにする、貴重な作品として注目される。
(中略)
20日発行の美術専門誌「國華」(朝日新聞社刊)に論文が発表されるほか、来年秋、京都国立博物館で開催予定の「狩野永徳展」(仮称)で初公開される。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200609120397.html

来年の春、生きていたら是非見に行きたいと思うのですが、
またまた長蛇の列なんでしょうなぁ…(-_-;)

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別館で戦国時代の女性に関するデータを扱っているのだが

歴史、特に日本史では傾向が顕著なのかも知れないが、
ともかく史料がない

ある方が「系図なんて(史料として)当てにならない」といったのも知ってはいるし、系図が史料としてはいささかアヤシイのも分かってはいる。(理由としては「後世の人が後世の都合で偽作することがある」など)

のだが、
女性をネタにする場合、そんな「アヤシイ」史料でも使わないと分からないことが多い。というか系図しか史料のない人のほうが多いのである。
しかも、「○○女」(ちなみに「○○さんの娘」という意味である)とか「○○母」とだけ書いてあり、実名の分からない人の多いこと…。

しかし、そんな「ワイドショー」的な史料の中でも見えてくる物もある。
例えば「信長の○望」シリーズをやったことのある人ならご存じの新納忠元という武将。彼が何で島津家にあそこまで重用されたというのは系図を見ないと分からない。彼は島津忠良の母・常磐の実家の一族なのである。
その他にも「?」という事件の流れが、系図の女性関係を見て腑に落ちたと言うことはかなり多い。

要は「史料をその見た目だけで切り捨てるのはどうかな?」というお話でした。

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高山彦九郎とダチだったのか、斉宣_| ̄|○
ネタ元はこちら

ちなみに高山彦九郎はこんなひと
京都に修学旅行に来た人には
「京阪三条駅の上に鎮座まします京都では珍しく巨大な銅像のモデル」
といった方がわかりやすいかな。ちなみにこれが銅像。記憶にある人は多いかも。


参考:私の関連ブログはこちら

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