拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
タイトルですが
「歴史は勝者によって作られる」
とも言い換えられるかも知れませんね。
何でこんな事を唐突に思ったかというと、
ちょっと調べ物があって、大昔にコピーしていた『尚古集成館紀要』をじっくり読み返してみました。
「歴史は勝者によって作られる」
とも言い換えられるかも知れませんね。
何でこんな事を唐突に思ったかというと、
ちょっと調べ物があって、大昔にコピーしていた『尚古集成館紀要』をじっくり読み返してみました。
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おかしいと気が付いたあなたはマニアヾ(--;)
タイトルの話は『島津家譜』(改定史籍集覧第15冊別記類所収)に載っているのだが
初代:島津忠久
2代:島津忠時
3代:島津久経
4代:島津忠宗
5代:島津貞久
6代:島津宗久
7代:島津師久・島津氏久 ← ここ
8代:島津元久
9代:島津久豊
10代:島津忠国
11代:島津立久
12代:島津忠昌
13代:島津忠治
14代:島津忠隆
15代:島津勝久
16代:島津貴久
17代:島津義久
18代:島津義弘
19代:島津久保 ← ここ
20代:島津家久(忠恒)
まで書かれています。
ちなみに今の島津家の公式歴代当主についてはこちら 1 2
カウントの仕方でずれたんですね。
個人的には薄幸の青年武将・島津久保が代数に入っているのがうれしい。
タイトルの話は『島津家譜』(改定史籍集覧第15冊別記類所収)に載っているのだが
初代:島津忠久
2代:島津忠時
3代:島津久経
4代:島津忠宗
5代:島津貞久
6代:島津宗久
7代:島津師久・島津氏久 ← ここ
8代:島津元久
9代:島津久豊
10代:島津忠国
11代:島津立久
12代:島津忠昌
13代:島津忠治
14代:島津忠隆
15代:島津勝久
16代:島津貴久
17代:島津義久
18代:島津義弘
19代:島津久保 ← ここ
20代:島津家久(忠恒)
まで書かれています。
ちなみに今の島津家の公式歴代当主についてはこちら 1 2
カウントの仕方でずれたんですね。
個人的には薄幸の青年武将・島津久保が代数に入っているのがうれしい。
島津家は九州制圧はこちらの問題で関白とは関係ない、第一大友のせいで関白に挨拶にいけないと主張している。しかしちょっと待って欲しい。九州制圧はこちらの問題で関白とは関係ない、第一大友のせいで関白に挨拶にいけないと主張するには早計に過ぎないか。
島津家の真摯な姿勢が、今ひとつ伝わってこない。
例えば大友宗麟からは侵略戦争を反省してないと主張するような声もある。
このような声に島津家は謙虚に耳を傾けるべきではないか▲
思い出してほしい、過去にも何度も島津家は大友宗麟の叫びを無視している。
島津家は大友宗麟の侵略戦争を反省してないという主張を間違いであるかのような発言をして、批判を浴びた。
確かに大友宗麟には変な宗教にはまっているという問題もある。だが、心配のしすぎではないか▲
島津家の主張は一見一理あるように聞こえる。
しかし、だからといって本当に島津家は九州制圧はこちらの問題で関白とは関係ない、第一大友のせいで関白に挨拶にいけないと主張できるのであろうか?
それはいかがなものか。的はずれというほかない▲
事の本質はそうではではない。その前にすべきことがあるのではないか。
島津家は、未来を担う一員として責任があることを忘れてはならない。
島津家の主張には危険なにおいがする。各方面の声に耳を傾けてほしい。▲
島津家に疑問を抱くのは私達だけだろうか。
九州制圧はこちらの問題で関白とは関係ない、第一大友のせいで関白に挨拶にいけないと主張したことに対しては大友宗麟の反発が予想される。侵略戦争を反省してないという主張を支持する声も聞かれなくもない▲
島津家もそれは望んでいないはず。しかし島津家は勝手に暴走している。
九州制圧はこちらの問題で関白とは関係ない、第一大友のせいで関白に挨拶にいけないと主張する事はあまりに乱暴だ。島津家は再考すべきだろう。
繰り返すが島津家は勝手に暴走している。▲
島津家の九州制圧はこちらの問題で関白とは関係ない、第一大友のせいで関白に挨拶にいけないと主張したことは波紋を広げそうだ。今こそ冷静な議論が求められる。
…何か普通だなぁ(ヲイ)
てゆうか、豊臣秀吉自体普通に上記のことをさらっと実行して九州御動座になっちゃったような。
そうか!豊臣秀吉は400年早く降臨した朝日新聞だったんだ(ヲイ)
上記のネタもと:天声人語メーカー
…こんなのやって遊んでいるとは頭が煮えているのかも知れない。
あ゛ー、昨日は四月馬鹿と言うとおりで最悪でしたな。
モ○バーガーで注文間違えられるわ、図書館で取り寄せてもらった論文集の内容が激しくハズレだったとか_| ̄|○手数料700円返せ
まーでも一番むかついたのは、その図書館から夜の8時前(閉館直前)に電話がかかってきて
「都城市史ですけど、大阪府立中央図書館にありますから、そちらに行って読んでもらえますかねー」(ガチャ)
…ブチ切れたために担当の名前を聞き忘れる(敗北)、つーか、今日図書館行ってたのだから、そういう話はその時にしてよ(呆)
それより、このあたくしを東大阪市のような柄の悪い場所にいかせるつもりか某図書館(ヲイ)
ところで、タイトルの通りヾ(--;)だそうですので、ご興味のある方はどうぞ。但し場所は鹿児島です。おそらく巡回もしないかと。
黎明館企画「島津斉興」展
会期は5/6までです。
チラシ写真が載っていますが、その中にあの悪名高いお由羅の方書状(宛先はなんとあの調所広郷)もあります。こちら※見られない場合は上記リンクから
…人のことは言えないが、あまり綺麗な字じゃないねまあ実際江戸の町人出身らしいから高いレベルを要求しちゃ駄目なんだが
唯一生き残った子供・久光は並の国学者が引いてしまうくらいの学者レベルに達していたようだが、やはり生母のコンプレックスがあったんでしょうなー。
拙ブログ関連ネタ
島津重豪と斉宣と斉興
19代当主・島津光久後室陽和院(自筆書状へのリンクがあります)
モ○バーガーで注文間違えられるわ、図書館で取り寄せてもらった論文集の内容が激しくハズレだったとか_| ̄|○手数料700円返せ
まーでも一番むかついたのは、その図書館から夜の8時前(閉館直前)に電話がかかってきて
「都城市史ですけど、大阪府立中央図書館にありますから、そちらに行って読んでもらえますかねー」(ガチャ)
…ブチ切れたために担当の名前を聞き忘れる(敗北)、つーか、今日図書館行ってたのだから、そういう話はその時にしてよ(呆)
それより、このあたくしを東大阪市のような柄の悪い場所にいかせるつもりか某図書館(ヲイ)
ところで、タイトルの通りヾ(--;)だそうですので、ご興味のある方はどうぞ。但し場所は鹿児島です。おそらく巡回もしないかと。
黎明館企画「島津斉興」展
会期は5/6までです。
チラシ写真が載っていますが、その中にあの悪名高いお由羅の方書状(宛先はなんとあの調所広郷)もあります。こちら※見られない場合は上記リンクから
…人のことは言えないが、あまり綺麗な字じゃないねまあ実際江戸の町人出身らしいから高いレベルを要求しちゃ駄目なんだが
唯一生き残った子供・久光は並の国学者が引いてしまうくらいの学者レベルに達していたようだが、やはり生母のコンプレックスがあったんでしょうなー。
拙ブログ関連ネタ
島津重豪と斉宣と斉興
19代当主・島津光久後室陽和院(自筆書状へのリンクがあります)
禁帯出なのがつらい(ボソ)
『宮崎県史』史料編「中世1」「中世2」に都城島津家こと元北郷本家の文書の一部が所収されています。買いたいと思ったそこのあなた!
既に完売らしい_| ̄|○ 参照こちら
ちなみに一昨年辺りから『都城市史』の発行が開始されたので、そちらに同文書が所収されている可能性もあり。ちなみに一地方都市の市史としては悶絶の史料編だけで12巻、通史編まで全巻そろえたら¥97500です⊂(。Д。⊂⌒`つ…とても買えないので、図書館に取り寄せ依頼したがどうなる事やら(所有している図書館がほぼ皆無なので)
さて本題に戻り「都城島津家文書」
さすが重文指定を目指している史料だけあり、一部しか収録できなかったという割にその内容の豊富さに驚きます。今回、他図書館からの取り寄せのためコピーもできんかったのですが。・゚・(つд∩) ・゚・ 。興味深い史料を一個だけ紹介。
北郷家(後「都城島津家」)は江戸時代の初頭に島津本家との確執が激しくなり、結局乗っ取られたのはこちらにも書かれておりますが、その確執が最も激しかった時代の北郷家の若殿2名(北郷翁久と忠亮)の元服についての記録が載っておりました(『宮崎県史』史料編 中世編2 「都城島津家文書」八−16「島津翁久、島津忠亮元服覚書写」)。
2人は寛永元年(1624年)同時に元服したようです。史料に寄れば、よりによって諸悪の根元その確執の原因である島津家久(忠恒)が烏帽子親だったようで(苦笑)
今でも成人式というのはなかなか物いりですが、この当時の名家のぼっちゃまの成人式は想像を絶する物いりだった様子がうかがえます。何しろもらう物も多ければ、返す物も多いのですから。この北郷家のぼっちゃま2名も鹿児島藩の関係者にいろいろ「お礼」としてお返しをしています中には全然お世話になってない人も混じっているようですが(爆)
おそらく「元服で全然お世話になってないのにお返しさせられたよ(涙)」のメンバーが
「虎寿様」こと後の島津光久と「岩松様」こと後の北郷久直。
この年に父・家久によって人質として江戸に移住させられる、この当時9ちゃいと8ちゃいの2人です…当然人様の成人式の世話なんて出来るわけがない(爆)。ちなみに岩松君は、この元服式の主人公2名が早死にしたため後に北郷家に養子に送り込まれますが、この当時はそんな話は全くなく、分家の垂水島津家に養子に行くことが決まっていました。
また、家久には他に大勢の息子がいましたが、北郷家のぼっちゃま2人がお返しをしたのはこの2人だけです。寛永元年時点では、光久と久直は別格の扱いだったようですね。
さらに北郷家は更に「どう見ても全然お世話になってないんですが(涙)」メンバーに貢がされています。それが
島津家久側室・東の丸殿と中の丸殿。
正室ならともかく、側室に献上品送らなくてはならないというところに、この当時の北郷氏の苦境が伺えます。「東の丸殿」は島津家の史料でも誰を指すかが混乱している気配があるのですが、おそらくこちらでしょう。「中の丸殿」はこの人。
ここで不審な点があります。
先に貢がされた島津光久と北郷久直の生母はこの人なのに、貢いでもらってない模様。
北郷氏の貢ぎリストの基準はどうなってたんだろ?(゜_。)?(。_゜)?
『宮崎県史』史料編「中世1」「中世2」に都城島津家こと元北郷本家の文書の一部が所収されています。買いたいと思ったそこのあなた!
既に完売らしい_| ̄|○ 参照こちら
ちなみに一昨年辺りから『都城市史』の発行が開始されたので、そちらに同文書が所収されている可能性もあり。ちなみに一地方都市の市史としては悶絶の史料編だけで12巻、通史編まで全巻そろえたら¥97500です⊂(。Д。⊂⌒`つ…とても買えないので、図書館に取り寄せ依頼したがどうなる事やら(所有している図書館がほぼ皆無なので)
さて本題に戻り「都城島津家文書」
さすが重文指定を目指している史料だけあり、一部しか収録できなかったという割にその内容の豊富さに驚きます。今回、他図書館からの取り寄せのためコピーもできんかったのですが。・゚・(つд∩) ・゚・ 。興味深い史料を一個だけ紹介。
北郷家(後「都城島津家」)は江戸時代の初頭に島津本家との確執が激しくなり、結局乗っ取られたのはこちらにも書かれておりますが、その確執が最も激しかった時代の北郷家の若殿2名(北郷翁久と忠亮)の元服についての記録が載っておりました(『宮崎県史』史料編 中世編2 「都城島津家文書」八−16「島津翁久、島津忠亮元服覚書写」)。
2人は寛永元年(1624年)同時に元服したようです。史料に寄れば、よりによって
今でも成人式というのはなかなか物いりですが、この当時の名家のぼっちゃまの成人式は想像を絶する物いりだった様子がうかがえます。何しろもらう物も多ければ、返す物も多いのですから。この北郷家のぼっちゃま2名も鹿児島藩の関係者にいろいろ「お礼」としてお返しをしています中には全然お世話になってない人も混じっているようですが(爆)
おそらく「元服で全然お世話になってないのにお返しさせられたよ(涙)」のメンバーが
「虎寿様」こと後の島津光久と「岩松様」こと後の北郷久直。
この年に父・家久によって人質として江戸に移住させられる、この当時9ちゃいと8ちゃいの2人です…当然人様の成人式の世話なんて出来るわけがない(爆)。ちなみに岩松君は、この元服式の主人公2名が早死にしたため後に北郷家に養子に送り込まれますが、この当時はそんな話は全くなく、分家の垂水島津家に養子に行くことが決まっていました。
また、家久には他に大勢の息子がいましたが、北郷家のぼっちゃま2人がお返しをしたのはこの2人だけです。寛永元年時点では、光久と久直は別格の扱いだったようですね。
さらに北郷家は更に「どう見ても全然お世話になってないんですが(涙)」メンバーに貢がされています。それが
島津家久側室・東の丸殿と中の丸殿。
正室ならともかく、側室に献上品送らなくてはならないというところに、この当時の北郷氏の苦境が伺えます。「東の丸殿」は島津家の史料でも誰を指すかが混乱している気配があるのですが、おそらくこちらでしょう。「中の丸殿」はこの人。
ここで不審な点があります。
先に貢がされた島津光久と北郷久直の生母はこの人なのに、貢いでもらってない模様。
北郷氏の貢ぎリストの基準はどうなってたんだろ?(゜_。)?(。_゜)?

