いつの間にか「バトン」なる物ができていたようで、ちょっと気になるのをひらってきました。
ひらってきたのはこちら!
「歴史上の人物(戦国武将限定)を語れ」バトン
※時代劇専門チャンネルのHPはこちら
HPにもあらすじは書いてありますが、念のためコピペ
三代将軍・家光(森次晃嗣)の命を帯びて、中仙道を旅する柳生十兵衛(千葉真一)、その妹の茜(志穂美悦子)ら一行。十兵衛は任務を妨害する薩摩藩をはじめとする反徳川勢力に対し、まぼろし天狗に扮して大暴れする! 彼らが命じられた任務とは中仙道を整備するための公儀巡検使としての旅であった。表向きは、茜が柳生縫之介として公儀巡検使を務め、裏巡検使として十兵衛が白髪の権兵衛爺さんと称し、夢之屋一座の一員として旅をする。この任務を全うすることが出来るのか!?
同じサニー千葉の柳生シリーズでも『柳生一族の陰謀』とは違ってかなりコミック調です。
そして、時代劇のお約束通り島津が悪の親玉でして、
その島津さんというのがあの島津家久(忠恒)
ということは
最後でサニー千葉演じる十兵衛さんが家久(忠恒)をぼっこぼこにしてくださるんですね!
これは島津マニアとしては是非見なければヾ(--;)・・・と思っていたのですが、実は前回放送で最終回だけ見るの忘れていたので(ヲイ)今日再放送で拝見しました。
以下ネタバレ
※下記の引用で太字にしているのは当方での補足で、原文とは異なります。
相良家文書2−816
http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/IMG/850/8500/05/0502/0240.tif其後不申通候処ニ、遮而預御使書、忝存候、然者、其表、無異議候哉、此方以御同意ニ候、随而、頃自日本到来候、宇土御姉子さま御賢固之由候、可御心安候、如何さま以一人右之御礼可申入候条、不能一二候、恐々謹言
嶋津又助
七月二十日 忠清(花押)相良宮内太輔殿
御報
これとこの前の相良家文書2−815の差出人に署名している「島津又助忠清」って誰やねん?
この頃生きていた「忠清」といえば、島津義弘の五男でその後早世する人がいるが、あの人は「久四郎忠清」だし。…まさか、この人の父親である「島津備前守忠清」と同一人物か?
あと文中に出てくる「宇土御姉」も気になります。”島津又助忠清”=島津備後守忠清となると、この「宇土御姉」は天正末年の「天草国人一揆」で敗北後、小西行長配下に組み込まれた志岐親重の妻(島津義虎の長女)の可能性が出てきますが…。でも何故か宛先が相良宮内大輔(=相良頼房)…。他人様にあげる手紙で自分の姉を「御姉」と敬称で呼ぶかという疑問もある、が、頼房の姉妹に小西行長関係者に嫁いだ人は寡聞にして知らないし、うーんうーん。
ちなみに時代が後の人になるが、非業の死を遂げた島津久信・久章親子の直系子孫(2代目新城島津家当主)も「島津又助忠清」を名乗ってますね…。上の人とこの人の間には何か因縁があるのだろうか(謎)。
順番が前後するが
相良家文書2−814「島津林雪書状」
http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/IMG/850/8500/05/0502/0238.tif先度者、以一人申入候之処、御懇報、畏存候、然者、其刻御蒙気之由承、無御心元存候之条、為可承、使之者雖申付候、昨今中より御陣替由申来候間、先々以便書如此候、定而以御快然、可為御出馬候哉、御軍労察存候、目出早々御帰陣可被申候、仍又介も、先日如筈、人衆召烈着陣可仕候、 主計様御前向以下、被添御心可預事頼存候、貴殿一入頼存計候、新儀等可承様子候者、則御注進所希候、猶期後音之時候、恐々謹言
嶋又入
六月八日 林雪(花押)相良宮内様
御陣所
「林雪」って誰?文章の中には2−815、816の文書を書いたのと同一人物と思われる「又介」が出てくるが…「御陣替」なる言葉が出てくるところや「主計様」(おそらく加藤清正)が出てくるところを見ると朝鮮出兵中とおもわれ、まさかと思うがあの最後の薩州家当主・島津忠辰か?でも林雪って出家名のようにも思えるんだが…ワケワカラン
ついでに見つけた相良家文書2−813「島津忠豊(=島津豊久)」書状は、目的が分かりやすい。おばあさんの実家のために、相良姓の名乗りを許可してもらうようお願いしたんだね。関ヶ原の敵中突破ばかり取り上げられるが、こう言うところとか豊久は細々と働いています。
某所掲示板で紹介されていた、去年のニュースなんだけど・・・
「じめさあ」イメチェン?/鹿児島市立美術館
何者かに目元塗り直される(2008 10/26 07:14)化粧直後は紫色(左)いまは真っ白に(右)
「じめさあ」がまたイメチェン? 鹿児島市城山町の市立美術館前庭にあり、3日に化粧直しを終えたばかりの石像・持明院様の化粧が、何者かの手で勝手に塗り直されていることが分かった。
持明院様は約400年前の島津藩主夫人、亀寿。「じめさあ」と呼ばれ市民に親しまれている。毎年10月5日の命日に合わせ、市職員が絵の具などを使って化粧をしている。
今年は、流行している紫色を取り入れ印象的な目元に仕上げた。ところが数日後、目元の紫色の部分などが白く塗られ、ほお紅も濃くされるなど、イメージの違う「お顔」になっていたという。
塗り直した人は、流行色が好みではなかったよう。化粧直しを担当する市広報課の植村繁美課長は「悪気はないとは思うが、市も思いを込めて長年続けている。一言考えを伝えてほしかった」と話している。
http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=13411 ※リンク先には写真有り
平成の代になっても翻弄され続ける島津亀寿…。
まあどっちの化粧もどっちなんですけどね(ヲイ)

