拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
こんなのがあるらしい
「咆吼!島津十字」
…それにしても何故カテゴリが「女性コミック」…あ、歴女ブームのせいか…
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「咆吼!島津十字」
咆吼! 島津十字
著者:sanorin 原作:-
応仁の乱に端を発した戦乱の世は、遠く九州にまで及んでいた。豊後の大友氏、肥前の龍造寺氏を始め数多の大名、武将が戦に明け暮れる中、島津家の家督争い を勝ち抜いた島津貴久は、薩摩守護職に就く。鎌倉以来の領地(薩摩・大隅・日向)回復を目標に、周辺勢力と一進一退の攻防を繰り広げる貴久。彼の長男義 久、次男忠平(後の義弘)、三男歳久は、いずれも知勇兼備の将としてそれぞれに活躍を見せる。その一方で、歳の離れた四男の家久は留守を守る日々が続き、 戦に出られない自分に歯痒い想いを抱いていたが、ついに彼にも初陣の日が訪れるのだった。戦国きっての戦上手・島津家久、そして戦国最強の島津四兄弟が、 九州に旋風を巻き起こす!情報提供元:デジタルカタパルト 出版社:メディアファクトリー
(C)2010 sanorin
カテゴリ:女性コミック ジャンル:歴史、時代劇
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慶長10年頃の作です。
これだけではよく分からないのですが、別の史料によりこの和歌が奉納された背景が分かります。
清水の岡寺とは後に島津亀寿が義久の法要を行ったこともある島津氏縁の寺ですが、現在は廃仏毀釈で廃寺となっています。「義久公御譜中」
「御自筆」
「正文在清水岡寺」
龍伯
片岡をかこひて寺に住人ハ
うき世中やしら菊の花
(「薩藩旧記雑録」後編4-115)
これだけではよく分からないのですが、別の史料によりこの和歌が奉納された背景が分かります。
「片岡」というのは聖徳太子関連で「日本書紀」にも出てくる「片岡飢人」とかけてあるような気もしますが、詳細は不明。「右和韻正文在清水岡寺」
太守御遊之次、留玉車於岳寺、和歌一首詠之、
見□境地与菊花愚、時日相過後得拜覧、豈可黙耶、因用御歌韵尾花字、為卑詩一絶、以代于岳之庵主云、
松堂拜和 岳隈山領小茅家 何計今留太守車 菊圃籬荒景雖野 和歌芳恵美於花
慶長十年乙巳九月廿七日御光駕也、
(「薩藩旧記雑録」後編4-116)
こちらを読んで色々言いたいが、持ちネタばらすことになるので悶々している私がいるヾ(^^;)
要は忠恒(家久)は若い女に引っかかりやすいバカだったんですよ(暴言)
…まあ、側室の身辺調査はやっとくべきだったでしょうね、と、そのあたりを突っ込んでいくと私の持ちネタをばら(以下自粛)
義久はともかく(※亀寿との結婚は豊臣秀吉との命令でもあったので逃げられなかった)、カタリナ夫人の場合、そもそもその娘を側室にしなければこんな大地雷踏むこともなかったわけで。その独裁ぶりや正室亀寿への冷淡さなどから、あまり評判のよくない家久ですが、考えてみれば、舅(義久)と姑(カタリナ夫人)には永年苦しめられた婿さんですね
要は忠恒(家久)は若い女に引っかかりやすいバカだったんですよ(暴言)
…まあ、側室の身辺調査はやっとくべきだったでしょうね、と、そのあたりを突っ込んでいくと私の持ちネタをばら(以下自粛)
今具体的な資料を出せないのですが、かなり前から体調は悪かったような。喉のトラブルを都度都度訴えているので、喉頭癌じゃないかとにらんでますが。ちなみに家久(忠恒)没年は事件発覚後6年経った寛永16年(1638年)ですね。…目の上のたんこぶが無くなってせいせいして寿命が延びたのかな?(苦笑)カタリナ夫人を種子島に追放した前後、家久は病床にあります。もう晩年ですからありえることでしょうが、カタリナ夫人がらみの精神的な心痛が起因ではないでしょうか?

