拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
…今年は、その家老だった平田増宗が島津家久(忠恒)の命で暗殺されて400年と言うことですな、確かに。
関連 こちら(桐野作人氏ブログ「膏肓記」)
桐野氏の説のように島津義弘が新・島津本家の“初代”(中興の祖)かどうかはともかくとして、実際には当主についたとは思われない(三木靖氏説)義弘が、後の系図では「十七代当主」とされたり、制作年が義弘存命中に近い史料でも当主っぽい扱いにされているのは、まあ、義弘が当主だった方が都合のいい人がいるからでしょう。
それが島津家久(忠恒)というのは公然のひみt …あ、お前は押川強兵衛うわ何を(以下略)
関連 こちら(桐野作人氏ブログ「膏肓記」)
桐野氏の説のように島津義弘が新・島津本家の“初代”(中興の祖)かどうかはともかくとして、実際には当主についたとは思われない(三木靖氏説)義弘が、後の系図では「十七代当主」とされたり、制作年が義弘存命中に近い史料でも当主っぽい扱いにされているのは、まあ、義弘が当主だった方が都合のいい人がいるからでしょう。
それが島津家久(忠恒)というのは公然のひみt …あ、お前は押川強兵衛うわ何を(以下略)
PR
今までの話はこちら 1 2
わたしが「図書館にいけねーヽ(`Д´)ノ」とわめいていたら、哀れに思し召して下さった方がcopyを送って下さいました。改めましてありがとうございました<(_ _)>
…で、「もしかしたら謎を解く鍵があるのでは?」と考えていた前半部分なのですが…
わたしが「図書館にいけねーヽ(`Д´)ノ」とわめいていたら、哀れに思し召して下さった方がcopyを送って下さいました。改めましてありがとうございました<(_ _)>
…で、「もしかしたら謎を解く鍵があるのでは?」と考えていた前半部分なのですが…
残念ですが、島津忠清兄弟の動向やその原因などに関する直接的な言及はないですね…。尚以玉薬之儀被仰付候由、一段忝存事候、弥奉頼候、以上、
一昨日之 御書、昨夕慥令頂戴候、仍此表之様子、当時無替儀候、自然新儀候ハヽ、即可申上候、
一 水俣迄敵打入候へ共、行等今日迄とかく無之候、衆長之儀ハ、昨日六右衛門尉前より申上候之間、不及巨細候事、
一 今度之人数ハ、如水、加主、鍋嶋まて之由、御方へ其聞申候哉、柳川・筑紫被罷居候之由聞相聞申候事、
(以下省略)
ネタは「奈良時代を騒がせた女性」と言うことで、この人を取り上げました。
ご存じの方が多いと思いますが、橘三千代は藤原不比等の後妻であります。
…が!
推定される再婚時点で彼女は既に結婚していて、重婚の可能性もあるのです。
ここから分かるように一癖もふた癖もあった女性といわれております。
しかし、彼女を単独で取り上げた小説・論文は意外なほど少ないのです。
また、橘三千代には3人(4人?)の娘がおりましたが、その中で知られているの
は聖武天皇皇后となった光明皇后ぐらいで、残りの娘達も波乱に富んだ生涯
を送ったにも関わらず、余り論及されることはありません。
今回の企画ではこの母娘4人(5人?)を取り上げ、縦切り横切り斜め切りしたいと思います。
今後の参考資料の系図です。
随時系図等は出す予定ですが、これが分かってないと、
たぶんこれから先の話はややこしゅうて分からないはずです(^^;)
┌牟漏女王(父・美務王)=夫・藤原房前(藤原不比等の次男)
│
橘三千代──┼光明皇后(父・藤原不比等)=夫・聖武天皇
│
├藤原吉日(父・藤原不比等)=夫・橘諸兄(美務王と橘三千
│ 代の長男)
└<藤原殿刀自(父・藤原不比等)=夫・大伴古慈斐>
※系図は作成当時の事情により作画ではなく文字を使って作成しております。ブラウザによってはズレが発生すると思われますが御了承下さい。
ご存じの方が多いと思いますが、橘三千代は藤原不比等の後妻であります。
…が!
推定される再婚時点で彼女は既に結婚していて、重婚の可能性もあるのです。
ここから分かるように一癖もふた癖もあった女性といわれております。
しかし、彼女を単独で取り上げた小説・論文は意外なほど少ないのです。
また、橘三千代には3人(4人?)の娘がおりましたが、その中で知られているの
は聖武天皇皇后となった光明皇后ぐらいで、残りの娘達も波乱に富んだ生涯
を送ったにも関わらず、余り論及されることはありません。
今回の企画ではこの母娘4人(5人?)を取り上げ、縦切り横切り斜め切りしたいと思います。
今後の参考資料の系図です。
随時系図等は出す予定ですが、これが分かってないと、
たぶんこれから先の話はややこしゅうて分からないはずです(^^;)
┌牟漏女王(父・美務王)=夫・藤原房前(藤原不比等の次男)
│
橘三千代──┼光明皇后(父・藤原不比等)=夫・聖武天皇
│
├藤原吉日(父・藤原不比等)=夫・橘諸兄(美務王と橘三千
│ 代の長男)
└<藤原殿刀自(父・藤原不比等)=夫・大伴古慈斐>
※系図は作成当時の事情により作画ではなく文字を使って作成しております。ブラウザによってはズレが発生すると思われますが御了承下さい。
桐野作人氏のブログのコメントで知ったのだが
…
ふえーん、これはとても行けないよ~。・゚・(つд∩) ・゚・ 。 シクシク…
行った方のご感想をお待ちしております…
・海洋国家薩摩(琉球船の屏風が載っているところを見ると江戸時代の慶賀使などが中心の展示か?)
・幕末の三君
・公爵島津家
と続くらしい。現在の御当主の直接のご先祖に当たる島津忠良から始まって順番に昭和までたどるという企画でしょうかね。
…
ふえーん、これはとても行けないよ~。・゚・(つд∩) ・゚・ 。 シクシク…
行った方のご感想をお待ちしております…
ちなみにこの後の展示予定は戦国大名島津氏展
2010年4月24日(土)〜7月22日(木)16世紀初頭、島津氏は滅亡寸前に追い込まれました。そうした中、島津忠良・貴久が活躍して勢力を挽回、貴久の子義久・義弘らは九州の大半を支配するまでに成長しました。しかし、豊臣秀吉と戦って敗れ、南九州に押し戻されました。この激動の時代を追った展示です。
http://www.shuseikan.jp/about/kikaku.html#kikaku100424
・海洋国家薩摩(琉球船の屏風が載っているところを見ると江戸時代の慶賀使などが中心の展示か?)
・幕末の三君
・公爵島津家
と続くらしい。現在の御当主の直接のご先祖に当たる島津忠良から始まって順番に昭和までたどるという企画でしょうかね。
今年2010年は藤原京(新益京)から平城京に遷都した710年から数えて目出度く1300年目に当たります。
…その記念イベントのイメージキャラクターで、いきなりこんなのを作って大滑りするとは思いも寄りませんでしたがヾ(--;)
そこで当ブログもブームに乗って便乗(^^;)「橘三千代とその娘」を企画しました。
実はこの文、まだインターネットが普及して無くて世の中に「パソコン通信」ぐらいしかない頃に某所の掲示板に書いた物です。
…ようは「私生活が忙しくて島津義久企画を書いてる余裕がないので、過去の遺産でも世間のブームに便乗ついでに食いつぶしてなんとかしよう」…というどうしようもない企画(爆)
ちょっと今までのネタとは毛色が違いますが、おつきあい宜しくお願いいたします<(_ _)>
※当時の文章はさすが若さの至り?か今読み返すと練れてないので、適宜改定しています。
…その記念イベントのイメージキャラクターで、いきなりこんなのを作って大滑りするとは思いも寄りませんでしたがヾ(--;)
そこで当ブログもブームに乗って便乗(^^;)「橘三千代とその娘」を企画しました。
実はこの文、まだインターネットが普及して無くて世の中に「パソコン通信」ぐらいしかない頃に某所の掲示板に書いた物です。
…ようは「私生活が忙しくて島津義久企画を書いてる余裕がないので、過去の遺産でも世間のブームに便乗ついでに食いつぶしてなんとかしよう」…というどうしようもない企画(爆)
ちょっと今までのネタとは毛色が違いますが、おつきあい宜しくお願いいたします<(_ _)>
※当時の文章はさすが若さの至り?か今読み返すと練れてないので、適宜改定しています。

