「懐紙二十枚之内」
詠松間時鳥和歌 法印龍伯
一こゑはそゝやそれともわきかたみ
松の葉こしの山ほとときす
(以下略)
(「薩藩旧記雑録」後編3-1085)
挽歌として作られた物で、島津家恒例ヾ(--;)としては「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を頭に付けるのが通常ですが、これは「妙法蓮華経(妙法蓮華きやう)」を頭に付けているという珍しい例です。
ではさっそく
こゝに法名妙諦とて、年ひさしくつかへし女有しか、世をはやうせし事をかなしミて、妙法蓮華経の五字を句の上に置、七首につらね霊前に手向ものならし、
法印龍伯
妙
たへなりと見し梢たに花ちれは
空もむなしき春のゆふ暮
法
のりの道とめ入からに古寺の
鏡のひゝきや友とならまし
蓮 「朱カキ」「露か(<与欠>)」
蓮葉の上にやとれるしら玉は
「玉か(<与欠>)」「朱カキ」
涙の雨や露となるらん
華
花にとてこゝにかしこに分てしも
ゆくゑむなしき草の原かな
き
きのふ過今日はたくるゝ世中に
はかなやあすをなに頼らん
や
山風の木の葉をさそふ柴の戸に
あらハれけりな夜半のともし火
う
海原を出ると見えし月影は
南のそらにすミやのほらむ
慶長五年拾月日
(「薩藩旧記雑録 後編」3-1194)
ちなみに、この挽歌を捧げられた人物は 女性 です。
…拙HPの記述をいくつか修正しないといけないかも(^^;)
この女性の名前ですが、前書きから「妙諦」という法名は分かるのですが、生前の名前は不明です。
島津義久が挽歌を捧げた女性というのは今まで2名確認していまして、
(1)島津御隅(義久の伯母、島津忠良の次女、樺山善久の妻)
(2)広瀬氏(または園田氏、通称「宰相殿」、島津義弘の妻) 挽歌についてはこちら参照
です。2名とも重要人物の妻であり、義久の近親者であることから、この女性もかなりの重要人物だったのではないかと思われます。
この女性の正体をいくつか推測させるヒントはありまして、
1)最初「島津家の挽歌は通常頭に「南無阿弥陀仏」をつける」と書きましたが、この女性は「妙法蓮華経」であること
2)法名
から見て、法華宗(日蓮宗)信者だったのではないかと思われます。島津家に縁の深い人物で、かつ、法華宗信者であるとなると、義久の後妻・種子島時尭の娘の関係者ではないかと思われますが…。
あと、昨日のニュースに今頃反応して本当に済みません…
こういう事があるから歴史は面白い1250年…幻の大刀 聖武天皇ゆかりの品だった 奈良・東大寺出土 (1/2ページ)
このニュースのトピックス:歴史・考古学正倉院の宝物だったことが判明した東大寺大仏殿からの出土品で国宝「金堂鎮壇具」の金銀荘大刀二振。左が陽剣、右が陰剣(頼光和弘撮影)=25日午後4時28分、奈良県生駒市の元興寺文化財研究所保存科学センター(頼光和弘撮影)
奈良市の東大寺大仏の足下から明治40年に出土した国宝・金堂鎮壇具(こんどうちんだんぐ)の金銀荘大刀(きんぎんそうのたち)2本が、同寺を創建した聖 武天皇没後に妻の光明皇后が大仏に献納し、その後約1250年にわたって行方が分からなくなっていた「陰寶劔(いんほうけん)」と「陽寶劔(ようほうけ ん)」だったことが分かり、元興寺文化財研究所(奈良市)と東大寺が25日、発表した。2本は、大仏に献納された聖武天皇の遺品目録「国家珍宝帳(こっか ちんぽうちょう)」の大刀の項目の筆頭に記された正倉院宝物。献納後に光明皇后が持ち出し、埋納した可能性が高い。
同研究所によると、 陰・陽寶劔の記載欄にはいずれも献納を取り下げる意味の「除物(じょもつ)」の付箋が張られ、大仏殿竣工(しゅんこう)翌年で光明皇后の死去前年の759 年12月26日に正倉院から出された記録が残っている。除物の付箋がある宝物は7件あるが、所在が判明したのは今回が初めて。
同研究所の X線調査で、大刀のさびついた刀身の内側の根本からそれぞれ「陰劔」「陽劔」という象眼(ぞうがん)された銘文を発見。東大寺によると、大刀はいずれも長 さは約98センチで鞘は漆で塗られ、金や銀の装飾が施されており、光明皇后が756年に聖武天皇の四十九日法要に合わせて献納した陰・陽寶劔と刀身の長さ や装飾の特徴もほぼ一致した。
2本は、明治40年の大仏殿修理の際、本尊・盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)(国宝)の右ひざの下あたりから出土し、金銀荘大刀として同時期に周辺から出土した銀の壺や水晶合子(ごうす)などとともに地鎮のための鎮壇具として昭和5年に国宝指定された。
杉本一樹・宮内庁正倉院事務所長の話 「除物とある宝物の用途が判明した初めての例で非常に重要。残りの金堂鎮壇具も除物された宝物の可能性がある」
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101025/acd1010251959005-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101025/acd1010251959005-n2.htm
ただ土中に埋めるとどうしても保存状態が悪くなるので、個人的な感想を言うと本当はそのまま正倉院に入れて置いて欲しかったなあ、と。


