拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
天正18年5月28日頃に詠まれた物です。
実は長い前置きがあるのですが、それは後回しにして先に歌の方を紹介します
「あしのほわたをたのめ行く末」がちょっと意味が分かりにくい。
あー、わたしは龍伯様の足元に及ばない歌心のない人間であった(;¬_¬)
前置きは続きにて
実は長い前置きがあるのですが、それは後回しにして先に歌の方を紹介します
「夏衣うすきおもひをぬき捨て」は「夏の着物のようにうすーい思いを捨てて」という事なんだろうが、「在御文書方」
(「薩藩旧記雑録」後編2-661)
右され歌の返歌、
夏衣うすきおもひをぬき捨て
あしのほわたをたのめ行くすゑ
「此文書、正文在国分衆伊地知作左衛門トアリ」
「あしのほわたをたのめ行く末」がちょっと意味が分かりにくい。
あー、わたしは龍伯様の足元に及ばない歌心のない人間であった(;¬_¬)
前置きは続きにて
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本日、NHKBSプレミアムの「新日本風土記」のネタは「城 十二天守の旅」ということで、現存する12基の天守が紹介されてました。もしかしたら現存する五重塔の数より少ない?
先の戦争で空襲のターゲットにされて無くなった物も多いと記憶してます。名古屋城とか岡山城はそうじゃなかったかな?
姫路城はターゲットにされましたが、何故か全部城をそれたので助かったとのこと。城下町のほうは丸焼けになってしまいましたが。
ふと思ったのですが、大きな領地を持つ大名ほど、幕府に遠慮して天守を建てなかったという通説があるのですが、果たして本当か?ちょっと調べてみました。ちなみに元データはwikipediaなので余り当てにしないようにヾ(^^;)
1 加賀藩(前田家)外様 102万石 金沢城 慶長7年に天守が焼失、以後は再建されず(三層櫓を代用)
2 鹿児島藩(島津家)外様 77万石 鹿児島城 天守は元から無かった
3 仙台藩(伊達家)外様 63万石 仙台城 天守は元から無かった(艮櫓を代用)
4 尾張藩(徳川家)親藩 62万石 名古屋城 五層の天守があったが、戦災で焼失
5 紀州藩(徳川家)親藩 56万石 和歌山城 三層の天守があったが戦災で焼失
6 熊本藩(細川家)外様 54万石 熊本城 五層の天守があった※が西南戦争で焼失
7 福岡藩(黒田家)外様 47万石 福岡城 ? 詳しくはこちら
8 広島藩(浅野家)外様 43万石 広島城 五層の天守があった※が原爆により全壊
9 長州藩(毛利家)外様 37万石 萩城 明治7年(1874年)の廃城令で破却
10 佐賀藩(鍋島家)外様 36万石 佐賀城 享保11年(1726年)火災で焼失
※注 前任の藩主が既に天守閣を造っていた
取りあえず石高上位10位まで見てみました。
意外に天守無しの藩が少ないように思います。元から無かったのは鹿児島藩と仙台藩だけです。その仙台藩でも代用天守を持っているので、鹿児島藩の異様さが目立ちます。
その中でもちゃっかりしてるなあと思ったのが長州藩。関ヶ原の合戦で思いっきり盟主になった上、大減封食らってるのに、しっかり移転先にも天守建ててるという(^^;)しかも、明治になってあっさり取り壊してる…毛利さん、それ観光資源ですよヾ(^^;)
※当時城が飯のタネになるという認識は全くなかったと思われます。
先の戦争で空襲のターゲットにされて無くなった物も多いと記憶してます。名古屋城とか岡山城はそうじゃなかったかな?
姫路城はターゲットにされましたが、何故か全部城をそれたので助かったとのこと。城下町のほうは丸焼けになってしまいましたが。
ふと思ったのですが、大きな領地を持つ大名ほど、幕府に遠慮して天守を建てなかったという通説があるのですが、果たして本当か?ちょっと調べてみました。ちなみに元データはwikipediaなので余り当てにしないようにヾ(^^;)
1 加賀藩(前田家)外様 102万石 金沢城 慶長7年に天守が焼失、以後は再建されず(三層櫓を代用)
2 鹿児島藩(島津家)外様 77万石 鹿児島城 天守は元から無かった
3 仙台藩(伊達家)外様 63万石 仙台城 天守は元から無かった(艮櫓を代用)
4 尾張藩(徳川家)親藩 62万石 名古屋城 五層の天守があったが、戦災で焼失
5 紀州藩(徳川家)親藩 56万石 和歌山城 三層の天守があったが戦災で焼失
6 熊本藩(細川家)外様 54万石 熊本城 五層の天守があった※が西南戦争で焼失
7 福岡藩(黒田家)外様 47万石 福岡城 ? 詳しくはこちら
8 広島藩(浅野家)外様 43万石 広島城 五層の天守があった※が原爆により全壊
9 長州藩(毛利家)外様 37万石 萩城 明治7年(1874年)の廃城令で破却
10 佐賀藩(鍋島家)外様 36万石 佐賀城 享保11年(1726年)火災で焼失
※注 前任の藩主が既に天守閣を造っていた
取りあえず石高上位10位まで見てみました。
意外に天守無しの藩が少ないように思います。元から無かったのは鹿児島藩と仙台藩だけです。その仙台藩でも代用天守を持っているので、鹿児島藩の異様さが目立ちます。
その中でもちゃっかりしてるなあと思ったのが長州藩。関ヶ原の合戦で思いっきり盟主になった上、大減封食らってるのに、しっかり移転先にも天守建ててるという(^^;)しかも、明治になってあっさり取り壊してる…毛利さん、それ観光資源ですよヾ(^^;)
※当時城が飯のタネになるという認識は全くなかったと思われます。
今月に入ってから東京スカイツリーのニュースや番組にこと欠かないわけですが、
すっかりその影に隠れてしまった東京タワーが不憫でなりません。
そういえば一度も東京タワーに昇ったこと無かったな、私…いつか機会があれば昇ってみたい
さて先日、BS朝日でスカイツリー関連番組?でこんなのやってました。
知られざる物語 京都1200年の旅
取り上げられたのは
・東寺の五重塔
・醍醐寺の五重塔
・仁和寺の五重塔
・海住山寺の五重塔
・大徳寺総見院の織田信長の供養塔(五輪塔)
・志子淵神社(現在大谷大学委託)の五輪塔
・宝積寺の三重塔
・法勝寺の八角九重塔 ※現存せず
・法観寺の五重塔
有名なのは上3つと下1つでしょうかね
個人的には醍醐寺の五重塔の中を初めて見られたのが収穫。
海住山寺と志子淵神社は…京都に住んでない人が行ってたら神ですな(^^;)
…
で、検索して調べたところ、確かに京都にはこの番組で取り上げた分しか五重塔残ってないみたい。
もっと残っているかと思ったので意外だった。
一番古い五重塔は醍醐寺(平安時代)
東寺の五重塔は国宝になってますが、江戸時代と意外に新しかったりする。ちなみに建てたのは徳川家光です。
ところで、
すっかりその影に隠れてしまった東京タワーが不憫でなりません。
そういえば一度も東京タワーに昇ったこと無かったな、私…いつか機会があれば昇ってみたい
さて先日、BS朝日でスカイツリー関連番組?でこんなのやってました。
知られざる物語 京都1200年の旅
取り上げられたのは
・東寺の五重塔
・醍醐寺の五重塔
・仁和寺の五重塔
・海住山寺の五重塔
・大徳寺総見院の織田信長の供養塔(五輪塔)
・志子淵神社(現在大谷大学委託)の五輪塔
・宝積寺の三重塔
・法勝寺の八角九重塔 ※現存せず
・法観寺の五重塔
有名なのは上3つと下1つでしょうかね
個人的には醍醐寺の五重塔の中を初めて見られたのが収穫。
海住山寺と志子淵神社は…京都に住んでない人が行ってたら神ですな(^^;)
…
で、検索して調べたところ、確かに京都にはこの番組で取り上げた分しか五重塔残ってないみたい。
もっと残っているかと思ったので意外だった。
一番古い五重塔は醍醐寺(平安時代)
東寺の五重塔は国宝になってますが、江戸時代と意外に新しかったりする。ちなみに建てたのは徳川家光です。
ところで、
とうとつに 夏も近づく八十八夜
CINIIで「島津」で検索していると恐ろしく古い論文に引っかかったのだが
それに「島津忠良公ご愛用のお茶碗」というのがのっていた。
白黒ながら写真も掲載されていたのだが…
どう見ても形が変なのである
というか、この時代の日本の茶碗ではないことは確実
あえていうとこの時代の中国や朝鮮にもこういう茶碗無いと思うぞ!ヾ(^^;)
そうだな…ダ○ソーで「これちょっと使い勝手悪そうだよなあ」という湯呑みにこういうのがあったような(をーい!)
まあ、忠良の食器と言えばこういう物も「新発見」されたそうなので、もしかしたらもしかするの…か…な???
※この茶碗について何かご存じの方の情報お待ちしてます、かなり真面目に。
参考ネタ 茶道嫌いじゃ忠良おじいちゃん
CINIIで「島津」で検索していると恐ろしく古い論文に引っかかったのだが
それに「島津忠良公ご愛用のお茶碗」というのがのっていた。
白黒ながら写真も掲載されていたのだが…
どう見ても形が変なのである
というか、この時代の日本の茶碗ではないことは確実
あえていうとこの時代の中国や朝鮮にもこういう茶碗無いと思うぞ!ヾ(^^;)
そうだな…ダ○ソーで「これちょっと使い勝手悪そうだよなあ」という湯呑みにこういうのがあったような(をーい!)
まあ、忠良の食器と言えばこういう物も「新発見」されたそうなので、もしかしたらもしかするの…か…な???
※この茶碗について何かご存じの方の情報お待ちしてます、かなり真面目に。
参考ネタ 茶道嫌いじゃ忠良おじいちゃん

